ダニエル10章に登場する亜麻布の人はイエスミカエルかガブリエル?

2024/10/08

三位一体

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黙示録1章13節から登場するイエス・キリストの風貌は上記のようになっています。ダニエル7章13節、8章15節、9章21節、特に10章には上記のような風貌をした何者かが登場します。ミカエル、ガブリエルとはどのような人物であるのかをこの記事で原語的な観点から調べていきたいと思います。特に10章では、間違いなく二人の御使いがダニエルと対話をしていることが原語から読み取れるのです。

ダニエル7:13の原語 ダニエル8:15の原語 ダニエル10章の原語 

ミカエルとガブリエル登場の聖句箇所

ダニエル7:13「わたしが夜の幻の中でずっと見ていると,見よ,天の雲と共に人の子(エネシュのバー)のような者が来るのであった。その者は日を経た方に近づき,彼らはこれをその方のすぐ前に連れて来た。

ダニエル8:15 そうしてわたしダニエルが,幻を見ながら理解を得ようとしていると,見よ,強健な男子のように見える者(ゲベールのマレ、男の姿をしている者)がわたしの前に立っていた。 16  またわたしには,ウライの中ほどにいる地の人の声が聞こえてきて,その者が呼ばわってこう言うのであった。「ガブリエル,そこにいる者に,見た事柄を理解させよ」。 17  すると彼はわたしの立っている所のそばに来た。彼が来た時,わたしは恐れおののいてそこにひれ伏した。すると彼はわたしにこう言った。「人の子よ,理解せよ。この幻は終わりの時のためのものである」。 18  そして,彼がわたしと話している間に,わたしは顔を地に付けたまま深い眠りに落ちていた。それで彼はわたしに触れ,わたしが立っていた所に立ち上がらせてくれた。

ダニエル10:5  目を上げて見ると,そこに,亜麻布をまとい,ウファズの金を腰に帯びたひとりの人がいた。6 そして,その者の体は貴かんらん石のようであり,その顔は稲妻の現われのようであった。その目は燃えるたいまつのようであり,その腕と足の立つ所とは磨き上げた銅を眺めるようであった。その言葉の響きは群衆のどよめきのようであった。(啓示1:13−15のイエスと同じ風貌をしたミカエル)7  そして,わたし,つまりこのダニエルだけがその姿を見た。その時わたしと一緒にいた人々は,その姿を見なかった。それでも,それらの者たちには非常なおののきが臨み,彼らは逃げて行って身を隠すのであった。 8  それで,このわたしだけがそこに残り,それによってこの大いなる姿を見た。そして,わたしには何の力も残っておらず,わたしの威厳はわたしにあって滅びに変わり,わたしは何の力も保っていなかった。 9  そしてわたしにはその人の言葉の響きが聞こえてきた。だが,その言葉の響きを聞いているうちに,わたしは,ひれ伏して顔を地に付けたまま深く眠ってしまっていた。 10  すると,見よ,ひとつの手があってわたしに触れ,それが少しずつわたしを起こして,ひざと両手のひらで[起き上がらせ]てくれた。 11  そうして彼はわたしにこう言った。 「ダニエル,大いに望ましい人よ,わたしが話している言葉について理解を得よ。そして,あなたの立っていた所に立ち上がるように。わたしは今,あなたのところに遣わされてきたのである」。 それで,彼がこの言葉を語った時,わたしはそのとおりに立ち上がったが,身は震えていた。 12  すると彼はなおもこう言った。「ダニエルよ,恐れることはない。あなたが自分の心を理解力に,そしてあなたの神の前で身を低くすることに向けた最初の日以来,あなたの言葉は聞かれているからである。わたし自身あなたの言葉のゆえにここに来た。 13  しかし,ペルシャの王土の君たちが二十一日間わたしに逆らって立ちつづけた。すると,見よ,主立った君のひとりミカエルがわたしを助けに来た。そのためペルシャの君たちに優勢になり,突破できたのだ。 14  そして今,末の日にあなたの民に臨む事柄をあなたに悟らせるためにやって来た。それはなお[来たるべき]日々にかかわる幻なのである」。 15  さて,彼がこのような言葉をわたしに話した時,わたしは顔を地に向けたまま口がきけなくなっていた。 16  すると,見よ,人の子らに似た者(アダムのベンにデムス)がわたしの唇に触れるのであった。それでわたしは口を開いて話しはじめ,自分の前に立っていた者にこう言った。「我が主よ,その現われのために,わたしのもだえはわたしの内に生じ,わたしは何の力も保っていませんでした。 17  それで,この我が主の僕はどうしてこの我が主とお話しできたでしょうか。そしてわたしには,今なお何の力もとどまっておらず,息さえ全く残っていないのです」。 18  すると,地の人のような姿をした者(アダムのマレ、男の姿をしている人)が再びわたしに触れて,わたしを強めてくれた。 19  そうして彼はこう言った。「恐れることはない,大いに望ましい人よ。あなたに平安があるように。強くあれ。さあ,強くあれ」。 それで,彼がわたしに話しかけるとすぐ,わたしは自分の力を奮い起こし,ようやくこう言った。「我が主がお話しくださいますように。わたしを強めてくださったのですから」。 20  すると彼は続けてこう言った。 「わたしが何のためにあなたのところに来たか,あなたは本当に知っているだろうか。そして今,わたしはペルシャの君と戦うために戻って行く。わたしが出て行くとき,見よ,ギリシャの君もやって来る。 21  しかしわたしは,真実の書の中に書き留められた事柄をあなたに告げる。これらの事に関してわたしを強く支えてくれる者は,あなた方の君ミカエルのほかにいない。

原語の対比と説明

この聖句の原語を調べると特にダニエル10章では、二人の強力な御使いが登場することを読み取れます。まずダニエル8章15節では、原語を正確に訳すと、ガブリエルが「男の姿をしている者」になります。新世界訳では「強健な男子のように見える者」となっている通り、原語ゲベールは強健の意味を包含しています。しかし、聖句の9割以上でゲベールは単純に「男」を意味する原語として使用されています。英語では、ダニエル8章15節も10章18節のどちらでもガブリエルは「男の人の姿をしている者」と統一して表現されているわけです。

「ように見える」の原語は「マレ」ですが、外観を意味します。ガブリエルが登場する8章15節、10章18節の全ての箇所において使用されているので、「男の姿をしている人」と訳すのがより正確です。人の子らに似ている者」はあくまで「似ている」、ヘブライ語では「デムス」で超自然的存在ですが、ガブリエルは男の姿をしているという対比が聖句で印象的です。

それで、ダニエル10章に話を戻すと、まず初っ端から黙示録1章13節で描かれるイエスご自身と全く同じ身なりと風貌をした何者かが出現してダニエルを圧倒し気絶させてしまいます。そして、別の何者かの手がダニエルを起こして力づけるのですが、これはガブリエルです。イエスが霊者としての復活後に姿を自由自在に変化されて弟子たちがイエスだと気づかなかったように、ガブリエルもペルシャの君と21日間格闘し続けていたので、外観が8章15節の時と異なっていたかもしれません。さらに二人の超自然的な荘厳な栄光に圧倒されて疲弊したダニエルは8章、9章で対面したガブリエルの顔を完全に認識できなかったのでしょう。それでもダニエルはガブリエルを男らしさを包含する「アダム」つまり強健さを包含するゲベールに相当する「男の人」と表現しています。

ダニエル9:21  まだ祈りの中で話している[間]に,わたしが幻の中で始めに見た人ガブリエルが,疲労しきって,夕方の供え物をする時分にわたしのそばにやって来るのであった。 22  そうして彼は[わたしに]理解を得させながら,わたしと話してこう言った。 「ダニエルよ,今わたしは,理解とともに洞察力をもあなたに得させるために出て来た。 23  あなたの懇願が始まった時にひとつの言葉が発せられ,報告を行なうためにわたし自らここに来た。あなたは大いに望ましい人だからである。ゆえにこの事をよく考え,見た事柄について理解を得よ。

ダニエル10章10~12節、19節でも「恐れるな大いに望ましい人よ」と呼びかける何者かがいますが、上記の9章23節ではガブリエルがその発言をしていました。ルカ1章13節、30節でも洗礼者ヨハネの父となるゼカリヤを「怖がらせた」から「恐れるな」と語ったとあり、マリアにも「恐れるな」と伝言しています。このことからも男らしいの意味を包含した「アダム」「ゲベール」と表現されるガブリエルは常人が怖がるような超自然的な強健な男の姿をしているために、ダニエルにも目の前にいるイエスなるミカエルや自分自身をやたらと「恐れるな」と伝えたのだろうと伺えます。彼の口癖第一声は「恐れるな大いに望ましい人よ」ですね。ですから、10章10~14節、18節~12章4節までの「恐れるな大いに望ましい人よ」のくだりはガブリエルの言動でしょう。

そしてそのガブリエルは「見よ、これが主だった君で私を助けてくれたミカエルだ」とダニエルに他者紹介しています。目の前に黙示録1章13節におけるイエスの風貌をしたミカエルがいるからこそ「見よ」と他者紹介できたのでしょう。聖書の種類によっては「見よ」が省かれていることがありますが、原文ではしっかり「見よ」とか「ここにいる」を意味するヘブライ語「ヒネイ」があります。目視できる対象が目の前にいるからこその「見よ」であり、イエスの風貌をしたミカエルこそがペルシャの君、サタンを牽制できる最強の君主であると述べているようです。

それで、このミカエルはダニエルの唇に触れて語ることができるようにされました。ダニエルは「人の子らに似ている者」と訳されている目の前の対象を見上げてその栄光によって圧倒されたことを正直に伝えました。7章13節でも原語が異なるとはいえ、全く同じ意味の表現である「人の子」と訳されて解釈されています。このようにこの聖句では二種類の強力な主だった御使いの長が登場することが記されています。

ちなみにミカエルはペルシャの君との戦闘モードで強面の姿をしていましたが、ダニエルが気絶して以降は「人の子らに似ている者」の姿で屈強な「男の姿をしている人」ガブリエルより人間離れした超自然的存在に映っていたものの少しマイルドになったのかダニエルが見上げることができるように配慮したと思われます。

そして、ダニエル12章の7節では、亜麻布を着た人つまりミカエルことイエスが水の上に立って無名の御使い二人が川辺の両端にいることが描写されています。黙示録12章7節には「ミカエルとその使いたち」と表現される箇所がありますので、8章13節と12章5節で登場する無名の御使い二人はガブリエルと協働していた「ミカエルの使いたち」と言えるでしょう。(創世記18章でも無名の御使いが三人体制で動く)ガブリエルは10章20節でペルシャの君との戦闘に戻ると述べたとおり、12章の4節までに預言解釈をダニエルに語った以後は、その場所から去っていったようです。なので、5節以降はミカエルとその二人の彼の使いたちしかいないということですね。

聖書翻訳の問題

原語を精査すると人の子らなる「アダムのベンに似ている者」と表現される対象はミカエル、男らしい「アダムの姿をしている者」はガブリエルであることが理解できます。7章13節、8章15節でそれぞれ使用される原語が異なる箇所がありますが、意味は全く同じでイエスは「人の子」、ガブリエルは「男の姿をしている者」に訳されます。そして、ダニエル10章では特に、ミカエルが「人の子らに似ている者」ガブリエルが「地の人の姿をしている者、男の姿をしている人」と区別されています。

ちなみに豆知識ですが、新世界訳はダニエル10章14節の訳し方がおかしいようです。「そしてペルシャの君の傍らに踏みとどまった」とありますが、ミカエルの助太刀が何の意味も成さないことになります。原語を調べると、10章13節該当箇所にて、ヘブライ語は右から左の順でוַאֲנִי נוֹתַרְתִּי שָׁם אֵצֶלになります。 右から順を追って(改行された場合でも右から)ヘブライ語「アニ」には「〜だから」、「ヤセール」には「優勢になる」、「シャム」には「そこで」、「エイトセール」には「〜に対して」の意味でも使用されています。

KJVは新世界訳と同じ誤訳になっていますが、NKJVでは「私が21日間ペルシャの君たちによって妨害されそこで滞っていたために」と「アニ」の意味が「そして」から修正されています。あるいは、「そのため、私はペルシャの君に対してそこで優勢になることができた」とも訳せます。これらの二通りの翻訳が文脈全体と矛盾しない文章構成になります。

新共同訳やリビングバイブルなどは、ミカエルがイエス・キリストと同じ称号である「人の子」と表現することを控えて意図的に「人のような者」と訳しています。三位一体信者たちはミカエルを「人の子」と訳したくないわけです。

ダニエルの前には強面の戦闘モードになってダニエルを気絶させてしまった「人の子らに似ている者」ミカエルと強健な「男の姿をしている人」であるガブリエルがいました。彼らはペルシャの君を突破してダニエルの前に来たわけです。

ガブリエルは黙示録1章13節で使徒ヨハネが気絶したほどの栄光を放つダニエルの目の前にいるイエスなるミカエルを「見よ、これがイスラエル(クリスチャン)の君主であり、私を助けてくれるものは彼一人だ」と他者紹介したと読み取れます。

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