テサロニケ第一4章16節のミカエルの声でイエス・キリストが再臨か

2024/10/14

三位一体

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ダニエルは非常に敬虔なヤフワの崇拝者であり、「愛された人よ、今安らかに死の眠りにつき復活後に祝福されることになろう」とミカエルから預言されました。(ダニエル12:13)ダニエルは敬虔な預言者だったので特別に御使いによりミカエルの真の正体を明かされ、彼が天の軍勢の将軍であり、終わりの日における君たちの中の君であることも知り当時の他の預言者よりもメシアの正体を啓示されるという点で祝福されました。

原語でのミカエルの立場

 ヨシュア5:14  すると彼は言った,「いや,このわたしは,エホバの軍の君(ヤフワのサー)として今ここに来た。それを聞いてヨシュアは地にひれ伏し,その人に平伏してこう言った。「我が主は僕に何と言われるのでしょうか」。 15  するとエホバの軍の君はヨシュアに言った,「あなたの足からサンダルを脱ぎなさい。あなたが立っているのは聖なる場所だからである」。すぐにヨシュアはそのとおりにした。

ダニエル8:25  そして,その洞察力によって欺き事を必ずその手中で成功させる。また,その心のうちで大いに高ぶり,心配なく過ごしている間に多くの者を滅びに至らせる。そして,君の君たる者(サーのサー)に向かって立ち上がるが,人手によらずして砕かれることになる。

ダニエル10:20  すると彼は続けてこう言った。 「わたしが何のためにあなたのところに来たか,あなたは本当に知っているだろうか。そして今,わたしはペルシャの君と戦うために戻って行く。わたしが出て行くとき,見よ,ギリシャの君もやって来る。 21  しかしわたしは,真実の書の中に書き留められた事柄をあなたに告げる。これらの事に関してわたしを強く支えてくれる者は,あなた方の君(あなたのサー)ミカエルのほかにいない。

ダニエル12:1「そして,その時に,あなたの民の子らのために立つ大いなる君(大いなるサー)ミカエルが立ち上がる。そして,国民が生じて以来その時まで臨んだことのない苦難の時が必ず臨む」

ヨシュア5章14節の軍勢の君、ダニエル8章25節の君の君たる者とはイエスのことです。そしてすべての箇所でヘブライ語では君主を意味するサーが使用されています。君の君たる者はサーのサーと原語ではなっています。そしてこのサーはヨシュア5章14節、あとに続くダニエル書の君主ミカエル、大いなる君ミカエルのすべての箇所でも使用されています。

要はイエスもサー、ミカエルもサーで表現されていること、また10章21節では我々の君主(サー)であるミカエルしかガブリエルを力づけることができないと表現されていることからも、ミカエルがダニエル8章25節で言われる君の君たる者、サーの中のサーであることも理解できます。

エノク書は外典扱いされて、改ざんなどもあるでしょうが、正典に含まれるべき書簡だったと推測されます。そのエノク書の中では天使の君たちの主だったメンバーが順を追ってミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル、ラグエル、ラミエル、サリエル等登場します。この中でもミカエルは当時のネフィリムを生み出した堕天使を縛って神の裁きを布告し幽閉する任務に就くなど大きな働きをする天使長であることも理解できます。(ペテロ第一3:18,19)また、上記の聖句を照合させれば、主だった天使の君たちの君主がまさにミカエルであることも読解できますし、ダニエルがナザレ人ヨシュアとしてではなく、君主たる君主ミカエルが将来のヤフワの民、いわゆる真のクリスチャンと誠実な憐れみ深い気質をした大群衆たちの守護天使なる君主になることを聖霊によって啓示され悟り書き留めたことも理解できますね。

特に後半の「ミカエルが立ち上がる」のヘブライ語には創設するの意味があります。つまりミカエルが王国を創設するために立ち上がるわけですから、イエスでしょう。ダニエルはイエス・キリストがミカエルであることを啓示されたわけです。

一般教会たちは、ミカエルはただの天使だとか三位一体ゆえにイエスがヤフワだとか意味不明な自分たちでも説明不能なロマンスに浸りますが、ダニエルがミカエルの将来の働きを聖霊によって啓示され書き留めたことからクリスチャンを名乗るなら素直になって、ミカエルの功績を認めて彼を将来のナザレ人ヨシュアつまりイエスとして称えるべきですね。

ミカエルがナザレ人イエスであり、君の君たる者であることを理解できればイエスも喜ばれるでしょう。ミカエルはただの天使だとか言って、聖霊様ーとか言うてるようでは交霊術と変わりませんし、変なカリスマペンテコステ系になっちゃうよ。普通に聖句から示される数々の根拠を柔軟に受け止め理解していくことこそが、聖霊への敬意の表明であり口だけのパフォーマンスより大切でしょう。

テサロニケ第一4:16の携挙の御使いの頭

テサロニケ第一4章16節では、16For the Lord himself shall descend from heaven with a shout, with(in) the voice of the archangel, and with the trump of God: and the dead in Christ shall rise first:

ギリシャ語には句読点はありません。そしてこの英語のwithやが、これはギリシャ語の「エン」となり、1900回近くinと訳されます。shoutはギリシャ語原文では号令を意味しています。ほんでラッパをandで区切っていることからも、ギリシャ語原語の観点の正しい訳し方としては「主ご自身が御使いの頭の声による号令を放ちそして神のラッパを伴いながら降臨される」ですね。せやから、イエスご自身は御使いの頭なんですよ。神のラッパはおそらく御使いたちが鳴らすでしょう。

この聖句では主「ご自身」というワードがあり、イエス「ご自身」が御使いの頭の声における号令を放つことが強調されてるわけです。号令、御使いの頭の声を個別にする訳し方は不自然です。むしろ御使いの頭の声が号令としての役目を果たすと読み取るほうが自然です。

KJVの三位一体について

KJVヨハネ第一5章7節には、「天において証をするものが三つある。父と言葉と聖霊である。これら三つは一つである。」と三位一体信者が喜びそうな記述があります。実際に多くの三位一体信者はニコニコ顔でこれを押し付けてきます。しかし、シナイ写本該当箇所には見当たりません。

KJVは有名なTR写本を元に作成されています。ある人たちはTR写本を擁護するために必死でシナイ写本を批評し、逆も然りです。写本は数多くありますし、オリジナル原本ではないので、それ自体に書き写しミスもあります。なのでTRだからシナイ写本だから絶対無謬とも言えません。何らかのミスや誤訳があると見越して冷静になりましょう。

今までの記事にも上記にも書き上げましたが、ミカエルがイエスの元来の名前であることを理解するなら、「父と言葉と聖霊が一つ」と言えども既存のヤフワ≒イエス(ミカエルではない)とパラノイアのように固執することはないでしょう。その加筆と思わしき記述に賛同するにしても、既存の三位一体の概念は崩壊しています。

その言葉がオリジナル原本にあるとするなら、「神とイエスと聖霊が常に共同して全権を有しておられて思いや目的において一つである」の意図でしょうし、何も殊更にヤフワはイエスだ(ミカエルはイエスじゃないそれはエホバの証人の教えだ)と脅迫的に頭ごなしに否定しなくともいいでしょう。(聖霊が人格的存在か否かについてはまた後日別途記事にて)

とはいえ、三位一体パラノイアの方の意見も尊重します。しかし、一つのキリスト教信条教理が間違いであるなら他もそうである可能性も高く、ドミノ倒しで崩壊することも念頭に置きましょう。人々は自分たちの信条を否定されることに恐怖心を抱くので、自ら調査することを拒みます。自らの救いのみに注意が向きがちな人々は客観的に調べることに興味を抱きません。救いを独占し他者を恐怖思想(地獄行き)で洗脳し支配下に置くための口実作りの捏造された教理(霊魂不滅、三位一体、地獄行き、艱難前携挙)なのでしょう。

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