即位年方式とか非即位年方式と言う年代の加算方法の統一によって様々な国々は正確に年代の経過年数を把握することができます。聖書ではユダの王達の即位年数が詳細に記録にまとめられていますが、一つ気をつけるべき点を覚え書きとして要約していきます。図解はこちらをヒントによしまるさんが作成してくださいました。
ユダヤ暦の使い方
- ニサン (Nisan) - 通常、春に相当し、エジプトからの出エジプト記を記念する過越祭 (ペサハ) が行われる月です。
- イヤール (Iyar) - ニサンの次の月で、主に春の季節に関連しています。オメルの数えが行われる期間でもあります。
- シバン (Sivan) - この月にはシナイ山でモーセが律法を受け取ったことを記念するシャブオット (五旬祭) が祝われます。
- タムズ (Tammuz) - 夏に入る月で、神殿の破壊や悔い改めを象徴する出来事に関連しています。
- アヴ (Av) - 神殿の破壊を記念する月で、特に9日目(ティシャ・アバ)には哀悼の時期となります。
- エルル (Elul) - 悔い改めの月で、ロシュ・ハシャナ(新年)を迎える準備をする時期です。
- ティシュリ (Tishrei) - 新年を祝うロシュ・ハシャナ、贖罪日(ヨム・キプール)、そしてスッコート(仮庵の祭り)など、重要な祭りが集中する月です。
- ヘシバン (Cheshvan) - 祭りが少ない月で、特に秋から冬にかけての時期です。
- キスレヴ (Kislev) - この月にはハヌカ(光の祭り)が祝われます。
- テヴェット (Tevet) - 寒い冬の月で、主に悔い改めと祈りの時期とされています。
- シェバット (Shevat) - 冬の月で、特に木の実や果物の祝福が行われる月です。
- アダール (Adar) - この月にはプーリム(祭り)が祝われ、ユダヤ人の敵からの救いを記念します。閏年の場合、13か月目のアダール2 (Adar II) が追加されます。
非即位年方式の説明
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即位年方式(Accession Year System)
王が即位した年を「即位年」としてカウントし、その年は年数としてはカウントされず、翌年からその王の「在位1年目」として数え始めます。この方式では、即位年における重複は避けられます。
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非即位年方式(Non-Accession Year System)
王が即位した年を「1年目」としてカウントし、その年の部分的な在位期間も1年としてカウントします。この方式では、同じ年に複数の王が在位すると、年数が重複する可能性があります。
この2つの計算方法があるわけですが、便宜上、上記のように仮定すると聖書は後者の非即位年方式を採択しています。例えば、1年は12ヶ月ですが、その中で順番に1人目が4ヶ月、2人目が4ヶ月、3人目が3ヶ月王として入れ替わりながら即位したとします。一年に満ちるには後一ヶ月残ってるわけですが、確率の低い話ではありますがそれぞれ3人の王が即位しても不幸が重なり退位して、新たな四番目の王が即位してそこから1ヶ月後に新たな翌年を迎えたとします。そうすると、この非即位年方式では、新たな王が即位した年を12ヶ月の中の後半の一ヶ月だけ支配しただけにもかかわらず丸一年統治したとみなし、それが新たな王の治世の1年目となり、翌年は2年目としてカウントされるわけです。
つまり、年を越すことなく1年未満しか統治してない王の数ヶ月程度の治世年数は切り捨てて、新たな王が一年の後半残り1ヶ月目の時から支配を始めて新年を迎えると、その新たな王の治世年数一年目としてカウントすることで年の重複を避けて時代の変遷の経過年数の見誤りを防ぐことができてるのです。旧約聖書のユダヤ人達の治世年数のカウント方法はまさにこのやり方です。
なので図解の中でエホアハズとエホヤキンは約3ヶ月しか統治しておらず年を越すことが無いため、その年の最中にそれぞれエホヤキ厶とゼデキヤが即位して年を越しているので彼らの治世1年目としてカウントされています。そのためソロモン王からゼデキヤ王がバビロン捕囚開始によって王位から退位するまでの実際の経過年数は3ヶ月2つはカウントから外すため429年となります。
ゼデキヤ王の退位後のユダの土地での収穫
ここで一番重要な一年が抜けてるわけですが、エレミヤ40章から43章においてゼデキヤがバビロン捕囚されて王位から退いた期間、あるユダヤ人達はユダの土地で収穫をして普段通りの生活をしていたとあります。
41章では、第七月つまりユダヤ暦の一年の始まりであるローマ暦での秋の10月の新年に切り替わった後にイシュマエルの侵攻襲撃によりユダヤ人達はエジプトに逃げたりバビロン捕囚に連れて行かれることになったとあります。ゼデキヤ王が退位した後でも土地での収穫の期間があり、その後完全なバビロン捕囚によって収穫が完全終了し、歴代第二36章21節にある通り、荒廃となった土地に七十年の安息がもたらされることになったわけです。
間違いやすい点ですが、バビロン捕囚開始時から七十年カウントするのではなく、ゼデキヤがバビロン捕囚されて退位してから、ユダの土地に収穫の期間があったので、それをカウントして430年になるのです。
KJV含めた英語日本語訳全ての大きな誤訳
39章2節のבְּעַשְׁתֵּי־עֶשְׂרֵה שָׁנָה לְצִדְקִיָּהוּをこちらで検索をかけるとIn the twelfth year of Zedekiahつまりゼデキヤ12年目と正確に翻訳されています。多くの日本語訳では「11年目最中」とか「二年後」とか勝手に原語にない単語を加筆して意訳による間違いが生じています。בְּはinやatやwithやforの複数の意味合いを持つ前置詞で1節とは異なるのですが、文章の組み合わせによる変化の形を考慮に入れずに1節と同じ様に英語に翻訳され「11年目最中」というニュアンスが強調されています。一つ前の1節の英語訳は原語的構造が二節とは異なっています。「その年のin+9番目」という構造をして最初に年というヘブライ語があり、「9番目のその年の中」という意味合いになります。
2節は原文を見ると、「ゼデキヤの治世11年全体が満了した第四の月の時点」という原語と表現が使用されて一節と異なります。「11年満了した+年の時点で」という年という構造で、他の聖句で人物の寿命が列挙されてる原語構造の表現と同じく11年を超過したことが強調されています。
例えば創世記5章5節は「アダムは930年生きた」930+年の順番で並列している原語構造をしています。アダムは930年と数か月生きたのでしょうが、一年を年超すことが無かった端数は切り捨てて、930年がちょうど経過したタイミングを表す原語の表現になります。
さらに列王記第二24章18節の前置詞が無い女性型の「11年」と異なり、エレミヤ39章2節の「11年」は前置詞がある男性型の11年であり12を意味するヘブライ語の形に限りなく類似しています。月や日等は男性名詞なので男性数字が使用されるヘブライ語のルールがあります。女性名詞の年に関しては男性型と女性型の数字双方が聖句の中で使い分けられているように見受けられます。男性型や女性型が存在しない10を除いた10の倍数20, 30, 40, 50, 60, 70, 80, 90とかの数字もあるようですが、1から19のように二通りあるケースでは特に男性型の数字は「満了、完了の強調」を古代において意味するように推測されます。(エゼキエル31章1節では前置詞と女性型11の使用)
Blueletterbibleでは、古代ヘブライ語数字におけると男性型、女性型の組み合わせによってニュアンスに違いが生まれることを知らないため、11含めた他の数字で女性型と両方/男性型女性型と表記してるケースがあります。しかし女性型名詞の年に使用される女性型数字と、男性型名詞の月や日等に使用される男性型数字といった互いに異なる二パターンの形があるなら、互いに異なる性別の単語同士で組み合わさったとしても片方は女性型であり、もう一方は両方と表記されていても古代ヘブライ語的には男性型を意味するケースもあります。一方で女性型と表記されても、実は性別の区別がないケースもあります。古代における数字の型の使い分けは現在のユダヤ人にとっても謎であり深く知らない分野です。
例えば創世記5章3-5節でアダムが130歳の時セツが生まれたとありますが、100と30に両方と表記されています。しかし、5節の100の倍数の時に使用される単位のヘブライ語וֹは性別の区別にはならず、それを除いて両方とも女性型と表記されてる創世記11章10節の100と全く同じ形をしてるのでblueletterbibleの表記ミスなのか、構文全体の何かの意図を読んで形が同じでもそれぞれ両方と女性型と表記している可能性があります。チャットgptに聞くと両方と表記されている100も女性型であり男性型ではないようです。20からの10の倍数に関しては、両方と表記されるものが必ずしも男性を意味するわけではないようです。20からの10の倍数で両方と表記されてるものには、100のように男性型を意味せず女性型がベースになって性別の区別がないので、本来は全てに両方と記載されてるべきでしょう。
1から19までの数字で、明確に男性型女性型と表記が分かれてる数字に関しては、聖書中では年等の女性型名詞に対して女性型数字しか使用されておらず、一方で月や日等には男性型数字しか使用されてないため判別しやすくそのように表記してるのでしょう。
今回扱うエレミヤ39章2節の11は両方と記載されてるものの、明らかに形も女性型と異なり、男性型名詞の月や日に使用される男性型数字で、殆どのケースでは年に使用されることがありません。同様の前置詞と男性型数字11と女性型名詞である年の組み合わせをしているエゼキエル26章1節含めたゼデキヤの治世の表記が唯一の事例であり、明確な性別の区別があります。
数字の中のどの時点なのかを示す前置詞もないシンプルな文章構造では、ヘブライ語の文において、動詞があってもなくとも、男性型女性型関係なく数字が完了したことを示唆します。後に続く文章構成が前文と同一パターンを形成してるなら女性数字でも満了と解釈できます。しかし、特に女性型数詞が特定の前置詞と組み合わされる場合、数字の完了の影響が抑制されることがしばしば見られます。これにより、出来事が「完了した」ものではなく、進行中や特定の時点での出来事を表現しているように解釈されることがあります。要するに、数字が持つ「完了」の意味が、特定の前置詞によって調整され、文全体の意味合いが変わる場合があるのです。この微妙な役割が、ヘブライ語特有の文法構造に深く関わっています。
創世記7章6節では、ノアが600歳だったとまるで600歳を越えたと読み取れる文章ですが、6に女性型数字が使用されて前置詞がありません。前置詞が無い時は、年が女性型名詞なので女性型数字を使用するのが通例で、男性型女性型の区別がなく数字の満了をそのまま意味するのでしょう。でも勘違いしないように敢えてもう一回11節で、inやat等の複数の意味を持つ前置詞を加えつつ女性型数字を7章6節と同じく使用し、「厳密には600歳目」と暗示してくれてるわけです。列王第二24章18節では、ゼデキヤは女性型数字11年支配したとありますが、敢えて「前置詞at+男性型数字11年」とエレミヤ39章2節で表現することで臨機応変に「11年が満了している」ニュアンスを他で補って伝えてくれているわけです。בְּ等エレミヤ39章2節で使用される特定の前置詞が付属する時に数字の性別の意味が強く異なるということです。
※聖書中の古代ヘブライ語数字は、千が最高の桁数で万、十万、百万、千万以降は千と十と百が組み合わさって表記されます。千の桁以上の数字は集合体の強調のため男性型数値名詞の扱いになり、千の位の数字は男性型が割り振られる傾向にあります。(民数記 31:43)
千以上の桁数字は完了の強調というよりは、大規模の強調としての男性型数字が割り当てられるが、1から19のような容易に満了に到達する小規模数字と異なり、前置詞が付く場合にはスケールの大きさ故に途中経過をそのまま示唆する可能性があるようです。エロヒムのような複数形が強調を意味したりそのまま複数を示唆するのと同様に、男性型数字は大きな数字には大規模の強調、小さな数字に関しては満了の強調の役目を担うようです。
とはいえ、「千年目」という単語の組み合わせが聖書中に皆無ではありますが、古代ヘブライ語数字においても千の位の数字が女性型と男性型の二通りの使い分けがあったとも推測できます。
結論としては、1から19までは性別の区別があり、20からの10の倍数には性別の区別がない。本来数字は、女性型男性型どちらも満了を意味するが、その数字のどの時点かを示す前置詞が加わる場合、女性型数字は途中経過になり、男性型数字は影響されずに満了を示唆するのでしょう。
こちらに11の男性型の全ての使用事例が掲載されてます。興味深い点として、ゼカリヤ1章7節において、11の男性型の前に十二番目のアルファベットのラメッドを意味する前置詞לְが添えられています。11が満了型の数字として仮定すると、「シェバットの11月が満了した」という訳し方が正確になり得ます。男性型の11が月や日といった男性名詞に使用されるケースですら11日や11番目月が満了したと訳せる可能性があります。とは言え、上述したように月や日は男性名詞なので男性型数字を割り振るのが通例ですし、その箇所の前置詞は今取り上げてるものとは異なるため、そのまま11月を意味するニュアンスかもしれません。
1〜19のようなある数字で男性型と女性型の二パターンがある場合に、特定前置詞+男性型数字+女性名詞の年という並び方をする条件を満たせば完了を示唆すると考えられます。女性型名詞=女性型数字、男性型名詞=男性型数字、男性型名詞>女性型数字、男性型数字>女性型名詞の強弱関係において男性の意味が優先されるのでしょう。
- 特定前置詞なしの場合、男性型・女性型の数字がそのまま完了や満了を示す。
- 年(女性型名詞)と女性型数字の組み合わせの時に特定前置詞がつく場合、数字の完了の影響が抑制されて途中経過、男性型数字は影響を受けず完了を表す。
- 月や日(男性型名詞)と男性型数字の組み合わせの際に特定前置詞がつく場合、数字の完了の影響が抑制され、途中経過を意味する。
- 今のところ聖書中で確認されていないが、女性型数字が男性型名詞である月や日に使用されるケースがあれば、男性型名詞=男性型数字>女性型数字の法則により特定前置詞が指定するニュアンス通りになる。
列王第一6章1節は、女性型数字の4と区別がない80と100と前置詞が混在してるので、480年目かつソロモン王の治世四年目であることを示唆しています。さらにエレミヤ1章3節では、「ゼデキヤ治世の十一年の終わりまで」で十一年目の満了を強調するヘブライ語文章を一旦「迄」のヘブライ語で区切り、さらに「第五の月でバビロン捕囚されるまで」ともう一度「迄」を使用し、12年目に突入したことを示唆しているように推測されます。そして、当然その11年目は39章2節と同じく男性型の満了になっています。
もはや年などの女性型名詞と男性型数字が組み合わさるだけで常に本来数字が保つ属性の完了になり、前置詞の有無や位置は関係ない可能性すらあります。
エレミヤ1章3節を考慮するともはや11の男性型と12の女性型が類似しているため列王記下 8章26節: アハジヤは「22歳で王となった」と歴代誌下 22章2節: アハジヤは「42歳で王となった」と同様に写本の書き写しミスがあったとも推測されます。
日本人も時折11時以降とか言いながら11時より後を意識しますよね。でもこれって実は11時も含む日本語の表現でもしかしたら現地のユダヤ人もあまりわからず11年の後という意味を11年目と認識してしまうのかもしれません。原語を見ると過去形で11年経過後の第四の月の時という表現になっていますが、ここに重大さを感じないユダヤ人は11年目と認識するケースもあるかもしれません。ちょうど日本人が11時より後を11時以降(11時を含める)と表現するように。(2024/10/29 ユダヤ人からメールでこちらの言い分が正しいかもと返答いただく。)
正確な翻訳は原語的には「12年目の第四の月の時」であり、その時にゼデキヤはバビロン捕囚されて退位することになります。しかし「11年統治しました。」というヘブライ語はシンプルな構造をしているせいか、正確で間違いはないようです。つまり、12年目で退位して13年目に突入できずそのティシュリを越えることができなかったので、彼の治世年数は11年で間違いないのです。
※こちらでも同じ結果になります。さらにこれでも同じで順番に上下に証拠画像として貼り付けておきます。もしかしたらヘブライ語翻訳ツールは古代男性型11が、現代ヘブライ語12に似てるので解読ミスをしてる可能性もあります。
それで、実際には11年とティシュリ(秋を一年の始まりとする民間暦)から九か月経過している時点になります。そして41章1節ではティシュリの月の新年に切り替わっているので、その時点でゼデキヤが退位してから三か月が経過したことになり、11年にプラス一年を加えることで、430年になるということです。
今のところ見当たりませんが、エレミヤ39章のみならず他の王の治世表記も翻訳ミスがあるかもしれません。列王記にあるシンプルな「何年統治しました」の文章は間違いが無いので、上記の図解は信頼できます。原語的に「11年経過した第四月の時点」つまり第12年最中という意味があるのです。
ティベリウス治世15年の聖書的認識
同じくルカ3章のティベリウス治世15年目における一般的な考古学者の定義は聖書の非即位年方法と相容れないことが予想できます。エレミヤ39章2節のゼデキヤの治世年数表記と異なりギリシャ語数字には英語と同じく性別の区別がなく、ルカ3章1節ではinというギリシャ語が使用されており、ティベリウス治世15年最中という意味合いになります。前の王はアウグストゥスですが、彼は紀元14年の8月19日に死去しています。その日からティベリウスは統治を始めるのが聖書的な即位年計算方法になるので、アウグストゥスは13年秋の時点までが彼の即位年数で、ティベリウスは13年の秋から14年のティシュリの秋頃9月11日までが治世一年目となります。ローマ暦でも同様に、13年の12月までがアウグストゥスの治世年数であり、14年の1月から12月まではティベリウス治世一年目となります。
それでティベリウス治世1年目から2年目は西暦13年から西暦14年で、2年目から3年目は西暦14年から西暦15年、3年目から4年目は西暦15年から西暦16年といった間隔で0年が始まりではないので、ティベリウス治世15年目は、14年を足すとユダヤ暦では西暦27年秋から28年秋に該当します。ローマ暦では言わずもがな28年の1月から12月までがそれに該当します。となると、洗礼者ヨハネは、28年の春頃にキリストの到来を預言し、その半年後の秋頃にイエスがヨハネから洗礼を受けて、その時が一秒のズレもなくキリストなる神殿が完成されたタイミングになります。
一般的に流布してる西暦28年の秋から29年の秋までがティベリウス治世15年目とする見識は単なる年代の記録であり、聖書の非即位年方式や当時の一般人にとっての年代測定とは相容れません。イエスがヨハネより洗礼を受けて水から顔を出して天から遣わされた鳩の聖霊を受けた西暦28年秋頃が一秒のズレもなく四千年丁度経過になった時でしょう。
そして再臨はその二千年後にあることが聖書から読み取れます。こちらを参考