聖書の王の治世、非即位年方式とルカ三章のティベリウス治世15年

2024/11/27

ハルマゲドン

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西暦はイエスの生誕が基準のこよみで全世界中の人々はキリストを知らないとは言えない時代に生きています。そして、非即位年方式という年代の加算方法で正確に年代の経過年数を把握することができます。聖書ではユダの王達の即位年数が詳細に記録にまとめられていますが、気をつけるべき点を覚え書きとして要約していきます。図解はこちらをヒントにヨシヤさんが作成してくださいました。

ユダヤ暦の使い方

  1. ニサン (Nisan) - 通常、春に相当し、エジプトからの出エジプト記を記念する過越祭 (ペサハ) が行われる月です。
  2. イヤール (Iyar) - ニサンの次の月で、主に春の季節に関連しています。オメルの数えが行われる期間でもあります。
  3. シバン (Sivan) - この月にはシナイ山でモーセが律法を受け取ったことを記念するシャブオット (五旬祭) が祝われます。
  4. タムズ (Tammuz) - 夏に入る月で、神殿の破壊や悔い改めを象徴する出来事に関連しています。
  5. アヴ (Av) - 神殿の破壊を記念する月で、特に9日目(ティシャ・アバ)には哀悼の時期となります。
  6. エルル (Elul) - 悔い改めの月で、ロシュ・ハシャナ(新年)を迎える準備をする時期です。
  7. ティシュリ (Tishrei) - 新年を祝うロシュ・ハシャナ、贖罪日(ヨム・キプール)、そしてスッコート(仮庵の祭り)など、重要な祭りが集中する月です。
  8. ヘシバン (Cheshvan) - 祭りが少ない月で、特に秋から冬にかけての時期です。
  9. キスレヴ (Kislev) - この月にはハヌカ(光の祭り)が祝われます。
  10. テヴェット (Tevet) - 寒い冬の月で、主に悔い改めと祈りの時期とされています。
  11. シェバット (Shevat) - 冬の月で、特に木の実や果物の祝福が行われる月です。
  12. アダール (Adar) - この月にはプーリム(祭り)が祝われ、ユダヤ人の敵からの救いを記念します。閏年の場合、13か月目のアダール2 (Adar II) が追加されます。

聖書中やユダヤ暦では上記の第七月のティシュリから新年のカウントが始まります。王の治世年数などはティシュリを基準にカウントするのが通例です。

ユダとイスラエル王の統治年数でのズレ

ユダ王国では、王の死後すぐに次の王の統治が始まり(例:列王第二 14:19-21)、ダビデ家の安定性と共同統治(例:アザルヤとヨタム、列王第二 15:5)で空白期間が少ない。しかし、イスラエル王国では、クーデターや短命な王(例:ゼカリヤ6か月、列王第二 15:8-10)が頻発し、統治の空白や記録のずれが生じやすい。イスラエル治世とユダ王の統治年数のズレは、共同、単独統治に関わらず政治的に王として認知されたタイミングの記念として記録されているためである。

アマツヤとアザルヤのケース

例として、ユダ王アマツヤ(治世29年、列王第二 14:2)は、イスラエル王ヤロブアム2世の14年目に殺害され死去(列王第二 14:19)。直後、16歳のアザルヤが王となる(列王第二 14:21)。しかし、アザルヤの公式な即位はヤロブアムの27年目と記録(列王第二 15:1-2)。この12~13年のずれは、アザルヤが若さゆえに補佐役(祭司や母エコバら)と共同統治し、27年目に単独統治を始めたため。アザルヤの52年治世(列王第二 15:2)は、アマツヤの死からカウントされるが、イスラエルの記録とのずれは、実質の経過年数ではなく政治的に権威ある王と認知されたタイミングを書いているため。

統治年数計算法

即位年方式(Accession Year System)

  • 王が即位した年を「即位年(0年目)」とし、その年は年数としてカウントせず、翌年の元旦からをその王の「在位1年目」と数え始める方法です。

非即位年方式(Non-Accession Year System)

  • 王が即位した年を、たとえ数ヶ月しかなくてもいきなり「在位1年目」としてカウントする方法です。

公式記録として、数ヶ月しか統治していない王の年数は影響力が翌年に及ばず切り捨てられて次の王の1年目に吸収されます。しかし、1年以上と記録される王に関しての端数は切り上げられたりしています。このように2つの方式が適宜上手に使い分けられているため、一つの王統において実際の経過年数が重複しないようになっています。なので、図解にあるエホアハズとエホヤキンの二人の統治年数(それぞれ3ヶ月)はカウントしません。ゆえに、ソロモン王からゼデキヤ王までの実際の経過年数はトータルで429年となります。

ゼデキヤ治世を11年満了と仮定する(読み飛ばし推奨)

この見出しだけに関しては個人用覚え書きなのでスキップして次の見出しから読んでください。(クリックで開閉)

39章2節のבְּעַשְׁתֵּי־עֶשְׂרֵה שָׁנָה לְצִדְקִיָּהוּをこちらで検索をかけるとIn the twelfth year of Zedekiahつまりゼデキヤ12年目と正確に翻訳されています。多くの日本語訳では「11年目最中」とか「二年後」とか勝手に原語にない単語を加筆して意訳による間違いが生じています。בְּはinやatやwithやforの複数の意味合いを持つ前置詞で1節とは異なるのですが、文章の組み合わせによる変化の形を考慮に入れずに1節と同じ様に英語に翻訳され「11年目最中」というニュアンスが強調されています。一つ前の1節の英語訳は原語的構造が二節とは異なっています。「その年のin+9番目」という構造をして最初に年というヘブライ語があり、「9番目のその年の中」という意味合いになります。

2節は原文を見ると、「ゼデキヤの治世11年全体が満了した第四の月の時点」という原語と表現が使用されて一節と異なります。「11年満了した+年の時点で」という構造で、他の聖句で人物の寿命が列挙されてる原語構造の表現と同じく11年を超過したことが強調されています。

例えば創世記5章5節は「アダムは930年生きた」930+年の順番で並列している原語構造をしています。アダムは930年と数か月生きたのでしょうが、一年を年越すことが無かった端数は切り捨てて、930年がちょうど経過したタイミングを表す原語の表現になります。

さらに列王記第二24章18節の前置詞が無い女性型の「11年」と異なり、列王記第二25章2節とエレミヤ39章2節の「11年」は前置詞がある男性型の11年であり12を意味するヘブライ語の形に限りなく類似しています。月や日等は男性名詞なので男性数字が使用されるヘブライ語のルールがあります。女性名詞の年に関しては男性型と女性型の数字双方が聖句の中で使い分けられているように見受けられます。男性型や女性型が存在しない10を除いた10の倍数20, 30, 40, 50, 60, 70, 80, 90とかの数字もあるようですが、1から19のように二通りあるケースでは特に男性型の数字は「満了、完了の強調」を古代において意味するように推測されます。(エゼキエル31章1節では前置詞と女性型11の使用)

Blueletterbibleでは、古代ヘブライ語数字におけると男性型、女性型の組み合わせによってニュアンスに違いが生まれることを知らないため、11含めた他の数字で女性型と両方/男性型女性型と表記してるケースがあります。しかし女性型名詞の年に使用される女性型数字と、男性型名詞の月や日等に使用される男性型数字といった互いに異なる二パターンの形があるなら、互いに異なる性別の単語同士で組み合わさったとしても片方は女性型であり、もう一方は両方と表記されていても古代ヘブライ語的には男性型を意味するケースもあります。一方で女性型と表記されても、実は性別の区別がないケースもあります。古代における数字の型の使い分けは現在のユダヤ人にとっても謎の分野です。

例えば創世記5章3-5節でアダムが130歳の時セツが生まれたとありますが、100と30に両方と表記されています。しかし、5節の100の倍数の時に使用される単位のヘブライ語וֹは性別の区別にはならず、2つとも女性型と表記されてる創世記11章10節の100と全く同じ形をしてるのでblueletterbibleが名詞の性別に整合させて女性型や両方と区別しているのは完全な間違いで全てに両方と記載されているべきでしょう。チャットgptやgrok、gemini等に聞いても新たな知見で仮説を立てることは不可能です。

1から19までの数字で、明確に男性型女性型と表記が分かれてる数字に関しては、聖書中では年等の女性型名詞に対して女性型数字しか使用されておらず、一方で月や日等には男性型数字しか使用されてないため判別しやすくそのように表記してるのでしょう。

今回扱うエレミヤ39章2節の11は両方と記載されてるものの、明らかに形も女性型と異なり、男性型名詞の月や日に使用される男性型数字で、殆どのケースでは年に使用されることがありません。同様の前置詞と男性型数字11と女性型名詞である年の組み合わせをしているエゼキエル26章1節含めたゼデキヤの治世の表記が唯一の事例であり、明確な性別の区別があります。

数字の中のどの時点なのかを示す前置詞もないシンプルな文章構造では、ヘブライ語の文において、動詞があってもなくとも、男性型女性型関係なく数字が完了したことを示唆します。後に続く文章構成が前文と同一パターンを形成してるなら女性数字でも満了と解釈できます。しかし、特に女性型数詞が特定の前置詞と組み合わされる場合、数字の完了の影響が抑制されることがしばしば見られます。これにより、出来事が「完了した」ものではなく、進行中や特定の時点での出来事を表現しているように解釈されることがあります。要するに、数字が持つ「完了」の意味が、特定の前置詞によって調整され、文全体の意味合いが変わる場合があるのです。この微妙な役割が、ヘブライ語特有の文法構造に深く関わっています。

創世記7章6節では、ノアが600歳だったとまるで600歳を越えたと読み取れる文章ですが、6に女性型数字が使用されて前置詞がありません。前置詞が無い時は、年が女性型名詞なので女性型数字を使用するのが通例で、男性型女性型の区別がなく数字の満了をそのまま意味するのでしょう。でも勘違いしないように敢えてもう一回11節で、inやat等の複数の意味を持つ前置詞を加えつつ女性型数字を7章6節と同じく使用し、「厳密には600歳目」と暗示してくれてるわけです。列王第二24章18節では、ゼデキヤは女性型数字11年支配したとありますが、敢えて「前置詞at+男性型数字11年」とエレミヤ39章2節で表現することで臨機応変に「11年が満了している」ニュアンスを他で補って伝えてくれているわけです。בְּ等エレミヤ39章2節で使用される特定の前置詞が付属する時に数字の性別の意味が強く異なるということです。

※聖書中の古代ヘブライ語数字は、千が最高の桁数で万、十万、百万、千万以降は千と十と百が組み合わさって表記されます。

20から90までの十の倍数に関しては複数単位が男性型ベースと言われがちですが、十の位の部分は女性型で統一されて、100から900までの10の倍数も百の位に関して同様です。それで、20からの10の倍数で900迄は女性型ベース一択で区別はありません。聖書時代の古代ヘブライ語では、千が最高桁数になるようですが、千の位は男性型数字で統一(民数記31:43)されているので、千は男性型ベース一択でこちらも区別はありません。

つまり1から19のような容易に満了に達する小規模数字と異なる千のような数字に関しては男性型ベースは集合体の強調となり、千の桁以上の位で男性型数字のみが配置されても前置詞が付属すればスケールの大きさのためにそのまま途中経過と解釈されます。複数形エロヒムが文脈に応じて単数人物の存在の強調として使用されるケースと同様でしょう。しかし、現代ヘブライ語はもはや性別の区別が曖昧になっており千以上の桁数の表記の種類も増えて性区別はないのですが、大きな数字に女性型ベースで統一されているパターンもあるかもしれません。

一旦整理すると、1から19までは性別の区別があり、20からの10の倍数には性別の区別がない。本来数字は、女性型男性型どちらも満了を意味するが、その数字のどの時点かを示す前置詞が加わる場合、女性型数字は途中経過になり、男性型数字は影響されずに満了を示唆するケースがあるわけです。

こちらに11の男性型の全ての使用事例が掲載されてます。興味深い点として、ゼカリヤ1章7節において、11の男性型の前に十二番目のアルファベットのラメッドを意味する前置詞לְが添えられています。11が満了型の数字として仮定すると、「シェバットの第11月が満了した」という訳し方かと推測しがちですが、上述したように月や日は男性名詞なので男性型数字を割り振るのが通例ですし、その箇所の前置詞は今取り上げてるものとは異なるため、そのまま11月を示唆するのでしょう。

結論として、1〜19のようなある数字で男性型と女性型の二パターンがある場合に、特定前置詞+男性型数字+女性名詞の年という並び方をする条件を満たせば完了を示唆すると考えられます。女性型名詞=女性型数字、男性型名詞=男性型数字、男性型名詞>女性型数字、男性型数字>女性型名詞の強弱関係において男性の意味が優先されるのでしょう。

  • 特定前置詞なしの場合、男性型・女性型の数字がそのまま完了や満了を示す。
  • 年(女性型名詞)と女性型数字の組み合わせの時に特定前置詞がつく場合、数字の完了の影響が抑制されて途中経過、男性型数字は影響を受けず完了を表す。
  • 月や日(男性型名詞)と男性型数字の組み合わせの際に特定前置詞がつく場合、数字の完了の影響が抑制され、途中経過を意味する。
  • 今のところ聖書中で確認されていないが、女性型数字が男性型名詞である月や日に使用されるケースがあれば、男性型名詞=男性型数字>女性型数字の法則により特定前置詞が指定するニュアンス通りになる。

列王第一6章1節は、女性型数字の4と区別がない80と100と前置詞が混在してるので、480年目かつソロモン王の治世四年目であることを示唆しています。さらにエレミヤ1章3節では、「ゼデキヤ治世の十一年の終わりまで」で十一年目の満了を強調するヘブライ語文章を一旦「迄」のヘブライ語で区切り、さらに「第五の月でバビロン捕囚されるまで」ともう一度「迄」を使用し、12年目に突入したことを示唆しているように推測されます。そして、当然その11年目は39章2節と同じく男性型の満了になっています。

もはや年などの女性型名詞と男性型数字が組み合わさるだけで常に本来数字が保つ属性の完了になり、前置詞の有無や位置は関係ない可能性すらあります。

エレミヤ1章3節を考慮するともはや11の男性型と12の女性型が類似しているため列王記下 8章26節: アハジヤは「22歳で王となった」と歴代誌下 22章2節: アハジヤは「42歳で王となった」と同様に写本の書き写しミスがあったとも推測されます。

日本人も時折11時以降とか言いながら11時より後を意識しますよね。でもこれって実は11時も含む日本語の表現でもしかしたら現地のユダヤ人もあまりわからず11年の後という意味を11年目と認識してしまうのかもしれません。原語を見ると過去形で11年経過後の第四の月の時という表現になっていますが、ここに重大さを感じないユダヤ人は11年目と認識するケースもあるかもしれません。ちょうど日本人が11時より後を11時以降(11時を含める)と表現するように。(2024/10/29 ユダヤ人からメールでこちらの言い分が正しいかもと返答いただく。)

原語的には「12年目の第四の月の時」を示唆する特殊な書き方の可能性があり、その時にゼデキヤはバビロン捕囚されて退位することになります。つまり、12年目で退位して13年目に突入できずそのティシュリを越えることができなかったので、彼の治世年数は11年で間違いないのです。



こちらでも同じ結果になります。さらにこれでも同じで順番に上下に証拠画像として貼り付けておきます。もしかしたらヘブライ語翻訳ツールは古代男性型11が、現代ヘブライ語12に似てるので解読ミスをしてる可能性もあります。

それで、11年とティシュリ(秋を一年の始まりとする民間暦)から九か月経過している「11年経過した第四月の時点」を意味しているかもしれません。そして41章1節ではティシュリの月の新年に切り替わっているので、その時点でゼデキヤが退位してから三か月が経過したことになり、11年にプラス一年を加えることで、430年になるということです。エレミヤ39章のみならず他の王の前置詞を伴った男性型数字での治世表記で翻訳ミスがあるかもしれません。

では次からはまたシンプルに11年目つまり10年満了とおよそ四か月経過時点を暗示していると読み取る場合の解釈になるので忙しいけど頭を切り替えて一旦上記を忘れましょう。そもそも退位後に二、三か月で夏の果実を収穫できる状況下ではない現実が浮き彫りになります。

ゼデキヤ王の退位後のユダの土地での収穫

まず聖書が直接的な年数経過を書いていない事例を見てみましょう。

パターン1:ダビデ王の罪と、預言者ナタンの糾弾(サムエル記下11章〜12章)
聖書の記述の見た目は、エレミヤ書とそっくりです。 

  • 11章: ダビデ王が人妻バテ・シェバと関係を持ち、彼女が妊娠する。ダビデは隠蔽のために彼女の夫を戦死させ、彼女を妻に迎える。 
  • 12章(すぐ次の節): 預言者ナタンがダビデの前にやってきて、「お前は何という罪を犯したんだ!」と激しく叱責する。 

文字通り読むと、ダビデが彼女を家に引き入れた直後にナタンが怒鳴り込んできたように見えます。しかし、11章の最後にサラッと「彼女は男の子を産んだ。その後に主はナタンを遣わされた」とあります。バテシバとの子供が生まれるまでには当然1年近く(年をまたいで)時間が経っているのですが、文章としては何事もなかったかのように地続きで話が進みます。

パターン2:サウル王のロバ探しと王への即位(サムエル記上9章〜13章)
サウルがイスラエルの初代王に選ばれるエピソードです。 

  • 9章〜10章: サウルが迷子になったロバを探しているうちに、預言者サムエルに出会い、あれよあれよという間に王に任命されます。 
  • 11章: 敵が攻めてきて、サウルが活躍して民に王として認められます。 
  • 13章: サウルがペリシテ人と戦う話が始まります。 

ここを普通に読むと、ロバを探し始めてから数ヶ月の間の出来事に見えます。しかし、13章1節の原文(ヘブライ語)を詳しく精査すると、サウルが王になってからすでに数年、あるいは1年以上の歳月が流れてから13章の戦争が始まっていることが分かります。聖書は「ロバ探しから始まった王としての物語」を一つの流れで見せたいので、途中の「何もない1年」を完全にスキップしているのです。

パターン3:新約聖書でも!イエスの誕生と東方の三博士(マタイによる福音書2章)
クリスマス(新約聖書)でも同じ現象が起きています。

  • イエスがベツレヘムの馬小屋で生まれます(2章1節)。
  • 続いて、東方の三博士が星に導かれて「幼子」を拝みに来ます(2章11節)。

絵本などでは同じ日の夜の出来事のように描かれますが、博士たちが到着した時、イエスはもう馬小屋ではなく「家」にいました。さらに、これに激怒したヘロデ王が「2歳以下の男の子を全員殺せ」と命令している(2章16節)ことから、イエスが生まれてから博士たちが到着するまでに1年〜2年近くの時間が経過していたことが分かります。これも「1年後」とはどこにも書いてありません。

エルサレム陥落後の丸一年

ここで一番重要な一年が抜けてるわけですが、エレミヤ40章から43章においてゼデキヤがバビロン捕囚されて王位から退いた期間、あるユダヤ人達はユダの土地で収穫をして普段通りの生活をしていたとあります。

ダビデ王統の統治年数は、王の死後も後継者が翌年へバトンを繋ぐことで国が機能していた「リアルな経過年数」の記録です。エレミヤ52章1節がゼデキヤを「11年支配した」と明記しているのは、彼が11年目の第4月に連行された後も、その年を満了させ、歴史を「12年目」へと突入・機能させた後継者(ゲダルヤ体制の復興作業)が「先にいたこと」の証明スタンプなのです。逆に、ゲダルヤの先には時計を引き継ぐ後継者がもういません。だからこそ、ゲダルヤ体制が「1年間支配した」という帳簿の記録(スタンプ)は存在しないし、わざわざ「1年経過後の第7の月」と書く必要も最初からありません。「先におるから書く、先におらんから書かない」という数字の有無そのものが、歴史の存続と終焉を語る暗黙の了解なのです。

エレミヤ52章6節では、当然ながら第四の月、6月中旬以降という大麦、特に小麦や夏の果実等の大収穫が望める環境下のはずがエルサレムへのバビロン軍による2年近くの包囲によって食料が尽きた」経緯があり国内の防御態勢が崩壊した状況が説明されていますので、深堀しましょう。

1. 兵器や陣地を作るための「大量の伐採」 

当時のバビロン軍は、エルサレムの頑丈な城壁を崩すために、城壁と同じ高さの「土塁(土の丘)」を築いたり、カタパルト(投石機)や破城槌(壁を壊す丸太)などの巨大な攻城兵器をその場で作りました。その材料や軍のインフラにするため、エルサレム周辺にある果樹園や森の木々は、片っ端から目的別に切り倒され、略奪されました。エレミヤ書6:6にも、神がバビロン軍に対して「木を切り倒し、エルサレムに対して土塁を築け」と命じる描写があり、当時の過酷な戦術がそのまま反映されています。具体的には、以下のような凄惨な奪い合いが1年半にわたって繰り広げられていました。

  • オリーブやザクロの巨木(大型兵器・土台の材料):
    非常に硬く重量のあるオリーブの幹や、真っ直ぐ育つ頑丈な木々は、城壁を打ち砕くための「破城槌(はじょうつい)」の巨大な丸太や、カタパルトの強固なフレーム、土塁(土手)を支えるための巨大な杭として根こそぎ伐採されました。
  • ぶどうの木と支柱(土手の補強・防御用の盾の材料):
    ぶどうの木そのものは細くグネグネしているため大型兵器にはなりませんが、しなやかな枝やツル、そしてブドウ棚を支えていた木製の頑丈な支柱(杭)は、土塁の土砂崩れを防ぐための「土留めの編み込み材」として大量に消費されました。また、城壁の上から降ってくる矢を防ぐため、作業兵たちの「動く巨大な木の盾(防盾)」の表面に、弾力のあるぶどうの枝をギチギチに編み込む材料としても利用されました。
  • すべての果樹(十万単位の軍隊の『燃料(薪)』):
    兵器の材料以上に、周辺の果樹を荒廃させたのが「薪(まき)」です。数万〜十万人以上のバビロン兵と馬が1年半(540日以上)キャンプ生活を送り、パレスチナの凍える冬の夜を越すため、手近にあって手斧で簡単にバキバキ折って燃やせるぶどうやいちじくの木は、格好の燃料として毎日の焚き火の中に放り込まれ、消費し尽くされました。
  • 6月頃に実っていた果実(兵士たちの食糧):
    もちろん、木が切り倒される前に、6月頃から色づき始めていたぶどうの未熟な実や、いちじく、なつめやしなどの果物は、飢えたバビロン兵たちの格好のビタミン源(食糧)として、年内の貯蔵が不可能になる程にもぎ取られました。(エレミヤ5:17)

このように、城壁の外側に広がっていた豊かな果樹園は、バビロン軍の「大型兵器の材料」「毎日ご飯を炊くための薪」「兵士たちの胃袋」として完璧に使い果たされ、陥落した時には、「炭と切り株の荒野」にされていたのです。城壁内部でもユダ王国側の国民と防衛隊によって同じ裁量で果樹園は年内の冬を越すための貯蔵は不可能なレベルまで消費されていたことでしょう。

2. 十万単位の軍隊による「食い尽くし」と「踏み荒らし」 

包囲戦の間、数万人から十万人以上のバビロン兵とその馬やロバが、何でも現地調達で食べて生き延びます。 

  • 畑の麦や野菜: 成長するそばからすべて兵士たちの食料として刈り取られました。 
  • 家畜の放牧: 兵士や馬が動き回ることで、畑の土壌は踏み固められ、植物の根っこまで台無しになりました。

3. 水源の遮断と奪い合い 

籠城するユダヤ人に水を渡さないため、またバビロン軍自身が水を確保するために、周辺の水路や湧き水はせき止められたり、ルートを変えられたりしました。これにより、水を失った周辺の農地や果樹園は、包囲期間中に枯れ果てていきました。列王記第二25章8~11節とエレミヤ52章12節には陥落の翌月からもさらなるネブザラダンの追撃により家や建物が諸々火で焼き払われたとありますし、神殿内の青銅のざくろ含めた分捕り物の強奪と捕囚される民の登録にも数か月の経過を要していたことが読み取れます。哀歌2章12節を見ると陥落後、「ぶどう酒がない」嘆きの事実が書いてありますので、同年の二、三か月後の追撃団が撤退してない状況下でゲダルヤが指揮を執ってぶどうを収穫して酒を造る余裕などないと言わざるを得ません。

つまり陥落直後の年内においては、既にユダ王国にとって「都が陥落するレベルの飢饉で収穫物が不足しつつ果樹園も伐採、放火もされている状態」であったために、エレミヤ40章12節にあるようにゲダルヤの指揮のもと畑や果樹園の手入れと種蒔きや水源の修復作業によって一年後の果実の大量収穫が得られた農業の現実的経緯が状況証拠として書き留められています。原語では「大量」と表記されており、何とかその日暮らしの飢えを凌ぐのに精一杯で手入れもしてない年内では実現不可能と言えるでしょう。

エレミヤ40章を見るとバビロンは同年の二か月後にエルサレムから撤退する意図はなく、長期的に復興し傘下に置く意図があったので、5節にあるように食糧を配給しつつ、ゲダルヤを派遣して大量収穫のために畑を手入れをするよう指示していたと読み取れます。ユダの人々が避難先からぼちぼち戻って来て果樹園の剪定も収穫もぶどう酒造りもようやく軌道に乗り、一年間という比較的長期が経過する中で慢心が生じたのかゲダルヤにイシュマエルの悪意から目を背ける気の緩みが生じています。

41章では、一年後の収穫を得た後の第七月である秋頃の新年に切り替わった後にイシュマエルの侵攻襲撃によりユダヤ人達はエジプトに逃げたりバビロン捕囚に連れて行かれることになったとあります。またエレミヤ52章30節では陥落してから5年後もネブザラダン率いるバビロン軍がゲダルヤ暗殺の後ろ盾だったアンモンやモアブに遠征してそこに避難していたユダヤ人をさらに連行した歴史背景がありますがユダの土地は既に空っぽでした。ゼデキヤ王が退位した後でもユダの土地で丸一年間の収穫の期間があり、その後に一連の騒動で民が退去して人の手による復興は不可となり、歴代第二36章21節にある通り、その荒廃となった土地に七十年の安息がもたらされることになります。

ルカのティベリウス治世15年

ルカ3章のティベリウス治世15年目においても、一般的な考古学者の定義や北イスラエルのような政治的認知タイミングにおける治世年数表記ではなく、実際の経過年数を知るためには非即位年方式を使う必要がありますが、そもそもルカが誰宛に手紙を書いたのか重要です。ルカ一章では、「テオフィロ(Theophilus)」という表現が確認されますが、純粋なギリシャ語で神を愛する者であり、当時のユダヤ教のガチガチのエルサレム文化圏ではなく、シリアのアンティオキアや、アレクサンドリア、ギリシャ地方といった「ギリシャ語が公用語として話されていた、異邦人(非ユダヤ人)の世界」の住人であることを明確に示しています。

また、「テオフィロ閣下(最優秀なるテオフィロよ)、あなたに順序正しく書き記して差し上げるのがよいと考えました。」とあるように、ここで使われている「閣下(クラティストス)」という言葉は、当てずっぽうなお世辞ではなく、当時のローマ帝国における「公式な高官(騎士階級、あるいは属州の総督や治安判事クラス)」に対する正式な敬称です。つまりテオフィロは、ローマ帝国の東方属州(シリアなど)で公式な地位にあった、ギリシャ文化を身にまとった非ユダヤ人の有力者(パトロン)だった可能性が極めて高いと結論付けられます。

執筆者のルカは初代教会文献によるとシリアのアンティオキア出身のギリシャ人医師であり、宛先であるテオフィロ閣下も、シリア地方など東方属州のローマ高官(ギリシャ系住民)であることから、通常のユダ王国の計算方法ではなく、自分と読み手にとって公式かつ認知されていた太陽暦化した非即位年方式一択の10月1日が新年の始まりとするシリア暦を使用していると考えられます。

ではここで、シリア暦非即位年方式をおさらいしましょう。1年は12ヶ月ですが、その中で順番に1人目が4ヶ月、2人目が4ヶ月、3人目が3ヶ月王として入れ替わりながら即位したとします。一年に満ちるには後一ヶ月残ってるわけですが、確率の低い話ではありますがそれぞれ3人の王が即位しても不幸が重なり退位して、新たな四番目の王が即位してそこから1ヶ月後に新たな翌年を迎えたとします。そうすると、シリア暦の非即位年方式では、新たな王が即位した年を12ヶ月の中の後半の一ヶ月だけ支配しただけにもかかわらず丸一年統治したとみなし、それが新たな王の治世の1年目となり、翌年は2年目としてカウントされるわけです。つまり、年を越すことなく1年未満しか統治してない王の数ヶ月程度の治世年数は切り捨てて、新たな王が一年の後半残り1ヶ月目の時から支配を始めて新年を迎えると、その新たな王の治世年数一年目としてカウントすることで年の重複を避けて時代の変遷の経過年数の見誤りを防ぐことができてるのです。

ルカ3章1節ではinというギリシャ語が使用されており、ティベリウス治世15年最中という意味合いになります。前の王はアウグストゥスですが、彼は紀元14年の8月19日に死去しています。その日からティベリウスは統治を始めるのが聖書的な計算方法になるので、アウグストゥスは13年秋の時点までが彼の即位年数で、ティベリウスは13年の秋から14年のティシュリの秋頃9月11日までが治世一年目となります。ローマ暦でも同様に、13年の12月までがアウグストゥスの治世年数であり、14年の1月から12月まではティベリウス治世一年目となります。

それでティベリウス治世1年目から2年目は西暦13年から西暦14年で、2年目から3年目は西暦14年から西暦15年、3年目から4年目は西暦15年から西暦16年といった間隔で0年が始まりではないので、ティベリウス治世15年目は、14年を足すとシリア暦では西暦27年秋から28年秋に該当します。ローマ暦では言わずもがな28年の1月から12月までがそれに該当します。となると、洗礼者ヨハネは、28年の春頃にキリストの到来を預言し、その半年後の秋頃にイエスがヨハネから洗礼を受けて、それがキリストなる神殿が完成されたタイミングになります。

一般的に流布してる西暦28年の秋から29年の秋までがティベリウス治世15年目とする見識は単なる後世の定義に基づく記録であり、聖書の非即位年方式や当時の一般人にとっての年代測定とは相容れません。イエスがヨハネより洗礼を受けて水から顔を出して天から遣わされた鳩の聖霊を受けた西暦28年秋頃が一秒のズレもなく四千年丁度経過になった時でしょう。そして➡再臨はその二千年後にあることが聖書から読み取れます。

ルカによる年代計算根拠

※図解作成者のヨシヤさんは2028年の春を六千年目終結とし、ワテは秋と認識しており相違があります。

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