「誰もその日と時間を知らない」「その時と時期は父の権威による」という言葉が特定の「年」とは異なることを説明するために、原文の年を示すギリシャ語を対比して説明します。この聖句がネックとなって年代特定することを避けるべきと考えるクリスチャンは多くいます。
マタイ24章36節における日と時刻
マタイ24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
原語の対比 **「日」 vs. 「年」
- ἡμέρα (hēmera): 「日」を意味し、カレンダーの日付や特定の日を指します。
- ὥρα (hōra): 「時間」または「時刻」を意味し、1日の中の特定の時間や時刻、瞬間を指します。例:「ἡμέρα τοῦ Κυρίου」(主の日)。 例:「ἡ ὥρα ἥκει」(その時が来た)。
以下は該当聖句で使用されなかった原語です。
- ἔτος (etos): 「年」を意味します。これは、365日(または366日)年単位の期間を示します。
- αἰών (aiōn): 時代や永遠の期間を指し、具体的な瞬間ではなく長期間を意味します。 例:「ἐνιαυτὸς ἐκείνος」(その年)。
結論として、マタイ24:36の原文で使用されている「ἡμέρα (hēmera)」と「ὥρα (hōra)」は、具体的な「日」と「時間」を意味し、これらは特定の年や時代を示すものではありません。
使徒1章7節における時や時期
ダニエル 12:9 「彼は言った。『ダニエルよ、行きなさい。これらの言葉は終わりの時まで隠され、封じられている。多くの者が清められ、白くされ、練られる。しかし、悪者は悪を行い続ける。悪者はだれも悟らないが、賢い者は悟る。』」
ヨハネの福音書 16:12 「わたしには、あなたがたに話すべきことがまだ多くあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」
使徒 1:7 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
使徒1:7では、「時(χρόνος・クロノス)」と「時期(καιρός・カイロス)」の双方が複数形で使われています。複数形は単なる数の複数だけでなく、「多様な期間」や「さまざまな機会」という意味を含みます。
- クロノス複数 … いくつもの期間・年月。連続する時間の流れを指し、1年を365日とする場合はその連続する日々とも読み取れます。
- カイロス複数 … いくつもの決定的瞬間や機会。その年の中で意味を持つ複数の節目(例:祭日、新月、天文現象)なども含みます。
あえて「年」を意味する ἔτος(エトス)ではなく、この長期と短期の双方を含む原語が選ばれているのは、読者の理解に幅を持たせる意図があると考えられます。日本語訳では「時や時期」とされますが、キリストの言葉は「その期間、その瞬間」とも訳し得るものでした。
このことから、たとえ特定の年という“枠”が見えても、その中のどの期間やどの瞬間が再臨に当たるのか――すなわち複数形で表された諸々のクロノスやカイロスの中身――は父の権威によって秘められていると理解できます。年は推測できても、その他の複数のタイミング、たとえば日や時刻は人には分かりません。
聖書全体からは、人類歴史六千年という神のスケジュールが暗示されています。初期クリスチャンにとって二千年後の再臨は秘められていましたが、二千年後に生きる賢い者にはその計画が汲み取れるよう、神が計らっておられるように思われます。
ですから、私たちは六千年目にあたる2028年という外枠は読み取れますが、その年の中で再臨が訪れる正確なクロノスとカイロスは知ることができません。イエスご自身も、その日と時刻における期間や瞬間は知らないと述べられました。
逆に言えば、その正確な日と時刻における期間と瞬間は分からなくても、神の子は六千年目の終了時を把握でき、人類も年単位での予測は可能です。今のように時代が歪んでいても、心と目が開かれた者はこの預言の意図を悟ることでしょう。
