エリック・デュベイのフラットアースFAQ翻訳しておきました。deepleで翻訳してあまりにもわからないところは加筆修正しています。また本の中で不快に感じる画像(便器とか妙な偶像等の意味ない画像)は不要なのでこちらでも添付することは控えさせてもらいました。200の証拠と合わせて読まれてください。https://ipoem.files.wordpress.com/2023/02/flat-earth-faq.pdf
目次[非表示]
- 1.どのように地球が平らであることが解りますか。
- 2.NASAの月面着陸捏造をなぜ知っているのか?
- 3.なぜ平らな地球について嘘をつくのか?
- 4.なぜ「地球は平らだ」という内部告発者はいないのか?
- 5.なぜ平らな地球の写真がないのか?
- 6.なぜ地球だけが平らなのか?
- 7.なぜ平らな地球ではエベレストが見えないのか?
- 8.なぜオーストラリアから北極星は見えないのか?
- 9.なぜ南半球では月が逆さまに見えるのか?
- 10.太陽/月はなぜ水平線近くで大きくなるのか?
- 11.地球の曲率を超えて船が消える?
- 12.飛行機の窓から見える地球の湾曲?
- 13.エラトステネスの実験が平らな地球を否定?
- 14.キャベンディッシュの実験が重力を証明?
- 15.フーコーの振り子は地球の自転を証明するか?
- 16.コリオリ効果で地球は回転する球体?
- 17.レーニア山の影が地球を証明?
- 18.ポンチャートレイン湖の橋は地球の湾曲を示している?
- 19.地図、コンパス、周回航法は平らな地球上でどのように機能するのか?
- 20.平らな地球上でシドニー-サンティアゴ間のようなフライトはどのように機能するのか?
- 21.平らな地球で重力はどのように働くのか?
- 22.平らな地球では日の出と日の入りはどのように機能するのか?
- 23.平らな地球では季節はどうなるのか?
- 24.平らな地球で真夜中の太陽はどのように機能するのか?
- 25.日食は平らな地球上でどのように機能するのか?
- 26.平らな地球で南の星はどのように機能するのか?
- 27.平らな地球では潮汐はどのように機能するのか?
- 28.火山と地震は平らな地球上でどのように機能するのか?
- 29.平らな地球でウシュアイアの日照時間は17時間?
- 30.平らな地球の上、下、そしてその先には何があるのか?
- 31.フラットアースについて個人的にどのように学びますか?
- 32.なぜ平らな地球が重要なのか?
どのように地球が平らであることが解りますか。
フラットアースは長い間あらゆる陰謀論の中でも最も奇妙な類として誹謗され、嘲笑され、軽蔑されてきた。重要視されることもなく小馬鹿にされながら何世紀にもわたって無知な古代の非科学的世界観であると見做されてきた。しかし、この問題の事実は教え込まれてきた現実とはかけ離れている。徹底的かつ勤勉に心を開いて調査すれば、建設的な意味で懐疑的で批判的な思考をする人なら誰でもNASAが推進し、それが吹聴するような傾き、ぐらつき、回転する、学校で教えられている宇宙ボールのような地球こそ、実に馬鹿げていて非科学的であることが見えてくる。以下は、誰でもできる地球が静止する平面台地であることを証明する20の方法である:1.常識的感覚
回転する球体の上に住んでいない事実に気づくために、大げさに誇張せず単刀直入に述べるとそれは我々の生きてる中で感じる共通の常識的感覚が一番頼りになる。我々は上下左右の平衡感覚正常な状態で太陽と月や星々が静止した地上を旋回しているのを実際に体験している。これこそが人類全般が抱く共通認識の常識的感覚であり、世界中の誰もが個人的に毎日経験していることだ。 しかし、私たちはそうではない真逆のことを信じるように教えられている。 私たちは幼い頃から、自分の常識や経験にまったく反することを教えられてきた。 回転する球体である地球の "下 "に住んでいるオーストラリア人は、北半球に住んでいる人と比べて、実は逆さまに生きているのだ。 北半球に住む人々とは逆さまに暮らしているのだが、人間や建物や海を高速回転するボールの下側に固定する強力な重力があり、一方でそれは鳥や虫や飛行機が自由自在に飛んで離陸できて地面に引き付けられることが無いほどに弱いと。 回転してる地球内の大気や人々が飛散しないように強力な重力が完璧に作用しそれらは引き付けられているが都合よく人間が地面に叩き落とされ潰されることがないようだとも。
水平線が水平であることははっきりと見えるが、水平線は曲がっていると言われる。私たちは足元の地球が動いていないと感じることができるが、地球は動いていると言われる。私たちの周りを回転している発光体を観察することができるが、回転しているのは私たちだと言われる。星が恒星であることは明らかだが、恒星は太陽だと言われる。太陽は星よりも大きいが、星は太陽よりも大きいと言われる。太陽と月が同じ大きさであることはわかるが、太陽はその400倍も大きいと言われる。上なら上、下なら下であることは明らかなのに、そうではなく複雑怪奇な哲学を押し付けられる。平らな地球の著者であるデイヴィッド・ウォードロー・スコットが述べているように、「現代の天文学者には、理論的には『上』も『下』もない。しかし空や地上を見上げたり見下ろす度にその当たり前の経験、体感は圧倒的にその現代天文学と矛盾する。このような知性の逸脱は実に哀れである。」3世紀の哲学者、ラカンティウスも同様に、この考え方に不快感を顕にした。「球体の反対側に生息する人々の足が我々の頭上方向に固定されて生活し、同じく雨や雪や雹が上方向に降り注ぎ、木々や作物もそのように上下逆さまに生い茂るだと?しかも空が地面より低位置に存在することになると。野原、海、町、山が支えなしで大地からぶら下がっている等の異教徒らしい空想話を信奉するより、古代バビロンの空中庭園の神秘の方が現実的に近い話だろう!」事実、地球のある場所では人が普通に立ち、船が航行し、敢えて飛行機が上下逆さまに飛行してる一方で他の場所ではありえない90度直角の角度で傾いてそれが正常とする考えは、まったく不合理であり、常識に対する冒涜である。
実際、常識の共通感覚は地球儀信仰するため最初の犠牲にされる。子供や洗脳されていない人なら、自分の個人的な観察に基づいて、地球が太陽の周りを回っている球であると結論づけたり、思いついたりすることはないだろう。学校で教えられるこのナンセンスな太陽中心天文学の地動説地球儀モデルを支持するために、静止した平面大地と普通に感じる常識や生活の中での体感を放棄するよう子供たちが非常に幼い頃から洗脳されるために一種の精神分裂症の思考回路が生じる。もはや自分の体感や経験を信用することは許されず、その代わりに専門家や権威者が勝手に吹聴する新しい天文学が現実的思考の結果であり正しいと無理やり教え込まれて、人間が本来感じる常識の共通感覚とはまったく逆の情報を信用するよう強要される。子どもたちは、周りの大人がみんな地球が回っていることを心から信じているのを目の当たりにし、無知で非科学的な祖先だけがそう信じていたと聞かされると、自分の人間としての共通感覚による経験的証拠を容易に放棄し、新たに一般的と勝手に定義されてる虚像モデルを受け入れる。平面大地の著書E. Eschiniは次のように述べた。「地球が回転しているという寓話が成し遂げたことのひとつは、誰もが見破れるはずの嘘の恐ろしい程までの影響力。嘘には人を精神的奴隷にする力があり、常識の共通感覚や認知力を喪失させる程に強力なのだ。目の前に見える明白な太陽の動きを否定するために自分がまったく動きのない地球の上に立っていると実感してるのに、誰かの提案で自分が激しく回転している仮説を受け入れようとする。飛んだり地に足つけて着陸離陸する鳥の動きを確認しても、創造された人体の常識的感覚を否定する一方で地面が鳥より考えられない程素早く回転してるとかの狂人の空想話を容易に妄信しようとする。」
2.フェイク写真
一般の人々が世界を地球儀だと信じている主な理由のひとつは、NASAやその他の宇宙機関が提供する球状の地球画像やビデオ映像にある。地球儀を撮影した何百もの写真や何千もの映像がインターネット上で自由に入手できるにもかかわらず、ほとんどの人は懐疑的な目でそれらを批判的に検証することはない。初期の写真から最新のライブストリームに至るまで、NASAをはじめとする世界の宇宙機関は、ハリウッド映画スタイルの技術職による捏造だと自ら暴露してくれてるような間抜けだ。偏見無く良心的に比較対照し、矛盾がないか調査してみると、球状の地球を示す画像や映像はすべて、何らかの方法で捏造加工されていることが判明した。
実例として、全ての地球の映像は、水平線をカーブさせるために魚眼レンズを使うか、完全にCGI技術で作られている。後者の明確な例として、NASAが1990年にガリレオ探査機で130万マイル(2092,147km)離れた場所から撮影したとされる地球のタイムラプス(低速度撮影)映像がある。このビデオでは、地球が25時間ノーカットで宇宙空間を回転しており、その間ずっと、まったく同じ雲が消えたり、形が変わったり、位置が変わったりすることなく存在していることが確認できる。現実には、空に浮かぶ雲を数分間眺めていると、必然的に3つのことが起こる。雲はすべて動き、ある雲は徐々に形を変え、ある雲は散って完全に消えてしまう。しかし、NASAが公式に発表した回転する球体状の映像では、25時間もの間、全世界の雲は消滅も変形も移動もしていない。これは紛れもなく詐欺的な画像や映像の加工があったことの証拠だ。
魚眼レンズによる偽造の典型例は、スカイダイバーのフェリックス・バウムガートナーがスペースバルーンで記録破りの128,000フィート(39km)まで持ち上げられ、その後地球に着陸できた2012年の有名なGo Proレッドブルジャンプである。 機体の外側とフェリックス自身に取り付けられた7台のGo Proカメラが、上昇と下降のすべてを記録した。鋭い視点を持つ観察者は、地上から24マイル(39㎞)の頂点まで、水平線が大きく湾曲していることに気づくだろう。これは、Go Proカメラに標準装備されているフィッシュアイレンズによって引き起こされた人工的なカーブだからだ。フェリックスが限界高度に達し、気球のドアが開くと、魚眼レンズなしで彼の後ろに取り付けられた内部カメラが真実を明らかにする。まさに限界高度39㎞の地点でも水平線は完全にフラットであったのだ。
一般の人々が世界を地球儀だと信じている主な理由のひとつは、NASAやその他の宇宙機関が提供する球状の地球画像やビデオ映像にある。地球儀を撮影した何百もの写真や何千もの映像がインターネット上で自由に入手できるにもかかわらず、ほとんどの人は懐疑的な目でそれらを批判的に検証することはない。初期の写真から最新のライブストリームに至るまで、NASAをはじめとする世界の宇宙機関は、ハリウッド映画スタイルの技術職による捏造だと自ら暴露してくれてるような間抜けだ。偏見無く良心的に比較対照し、矛盾がないか調査してみると、球状の地球を示す画像や映像はすべて、何らかの方法で捏造加工されていることが判明した。
実例として、全ての地球の映像は、水平線をカーブさせるために魚眼レンズを使うか、完全にCGI技術で作られている。後者の明確な例として、NASAが1990年にガリレオ探査機で130万マイル(2092,147km)離れた場所から撮影したとされる地球のタイムラプス(低速度撮影)映像がある。このビデオでは、地球が25時間ノーカットで宇宙空間を回転しており、その間ずっと、まったく同じ雲が消えたり、形が変わったり、位置が変わったりすることなく存在していることが確認できる。現実には、空に浮かぶ雲を数分間眺めていると、必然的に3つのことが起こる。雲はすべて動き、ある雲は徐々に形を変え、ある雲は散って完全に消えてしまう。しかし、NASAが公式に発表した回転する球体状の映像では、25時間もの間、全世界の雲は消滅も変形も移動もしていない。これは紛れもなく詐欺的な画像や映像の加工があったことの証拠だ。
魚眼レンズによる偽造の典型例は、スカイダイバーのフェリックス・バウムガートナーがスペースバルーンで記録破りの128,000フィート(39km)まで持ち上げられ、その後地球に着陸できた2012年の有名なGo Proレッドブルジャンプである。 機体の外側とフェリックス自身に取り付けられた7台のGo Proカメラが、上昇と下降のすべてを記録した。鋭い視点を持つ観察者は、地上から24マイル(39㎞)の頂点まで、水平線が大きく湾曲していることに気づくだろう。これは、Go Proカメラに標準装備されているフィッシュアイレンズによって引き起こされた人工的なカーブだからだ。フェリックスが限界高度に達し、気球のドアが開くと、魚眼レンズなしで彼の後ろに取り付けられた内部カメラが真実を明らかにする。まさに限界高度39㎞の地点でも水平線は完全にフラットであったのだ。
NASAは、撮影された何百枚もの地球の写真について、これらが合成画像であり、実際の写真ではないことを認めている。人工衛星から送られてきたデータをフォトショップでつなぎ合わせ、最終的に色付けして合成している公式に説明している。NASAのシニア・プログラム・アナリストであり、データ・ビジュアライザーのリーダーであるロバート・シモンは、「フォトショップで加工」されているのは「そうせざるを得ない」からだとインタビューで認めている。並べて比較し、見識ある目で見れば、その矛盾は明らかだ。陸地や海洋の色合いや大陸の相対的な大きさは画像によって大きく変わり、地球全体の50%にしては陸地が少なすぎることがよくある。NASAの『ブルーマーブル・アース』の画像には、明らかにコピー&ペーストされた雲が頻繁に写っている。
アポロの月面着陸ミッション時に撮影されたとされる地球の画像も、コンピューターによる補正で上記同様の詐欺的トリックが施されている。黒い背景から色相を取り除き、明るさを強調すると、その貼り付けられた地球画像箇所の周囲に長方形のアーチファクトがはっきり見えてしまい、それがまた加工された合成写真であることを証明している。
さらに、NASAの地球写真をロシアや中国、その他の宇宙機関のものと比較すると、それぞれの違いは明らかであり、それらがすべて単なるフォトショップ画像であるという事実が明らかになる。もし、NASAや世界の宇宙機関が本物の地球の写真やビデオを提供できるのであれば、間違いなくそうしているはずである。そうではなく魚眼レンズやCGIアニメーションで繋ぎ合わせた偽造加工された画像しか世間に提供できない現状を見ても、NASAの地球の形状についての主張に信憑性がないと結論づけられる。
3.水の性質
水の自然な物理的性質は、一度水が囲いの中にあり、それが乱されなければ、表面は常に水平を保つというものだ。この強みがあるからこそ水の水平を保つ基本的な物理的性質は、何千年もの間、建築業者やエンジニアによって実験道具として活用されてきた。バケツであろうと、バスタブであろうと、池であろうと、湖であろうと、海であろうと、静止している水の表面は常に平らであり、その表面に凸凹やいかなる形状を形成し保持する性質はない。この事実は簡単に証明でき、経験的に検証可能であるが、私たちが地球について聞かされている事情と完全に矛盾している。地球が球形で、70%以上が水で覆われているためには、海が何らかの形で湾曲し、宇宙空間に吊るされた高速回転するボールの四方に張り付いていなければならない。誰でも自分で実験できるように、水にこのような振る舞いをさせることは不可能である。
地球が球体である仮説を擁護する人たちは、しばしば水滴、メニスカス(界面張力によって細管内の液体の表面がつくる凸状または凹状の曲面。 管の壁を水で濡らせば凹状、濡らさなければ凸状になる。)、表面張力、粘着力などを挙げ、これらは水が曲げられたり、表面にくっついたりする例だと主張するが、これらはコーヒーカップほどの非常に小さなスケールでしか起こらないので、同等レベルの実例としては無理があるし詐欺的な言い分である。その主張とは、海全体が回転するボールの下側に巻き付き、くっつくというもので、水滴やコップ一杯のメニスカスではない。NASAも最近、拡張仮想現実技術を使ってCGIのウォーターボールを作り、水がこのような振る舞いをすることを一般大衆に納得させようとしている。しかし、このような99.99%の一般人がアクセスできない参照系枠内で行われたデモンストレーションは、世界中の科学者/懐疑論者によって再現不可能なものであり、したがって科学的なものでもなければ、何かの証明として有効になるわけでもない。彼らはまず、地球と同じ大きさ程度の物体だけがこの引力の性質を有していると主張し、彼らの述べる地球上ですら確認できない現象が宇宙に存在すると仮定して、証明できてない事例を無理矢理に証拠として勝手に話を進める。言い換えれば、彼らは地球の水域が曲がりくねり、ボールにくっつき、その表面に曲率が生じているとか、それは一般人が再現できないレベルの大きさのみで発生する宇宙の神秘だと主張します。となると、彼らは水が玉になって宙に浮くことができると主張していることにもなるが、これもまた一般人が再現するには実現不可能な基準系枠内(仮説上でのシュミレーション)の中での話だ。
水平面に関しては、球体擁護派は彼らの教義に合わせるために、「水平、面」という言葉を完全に定義し直そうとしている。「水平、面」のそれぞれの真の定義は、「平らで、水平面に沿って高低差のない平面」である。水は常に確実に水平を形成するし、それを維持する。だからこそ、どれだけ大きくても平行で真っ直ぐな歪み無い建造物を作るために、昔から水準器や建設計画に水の水平を維持する性質は活用されてきた。しかし、球体狂信者たちは、この明白な真実と明確な定義に満足せず、"水平面"を "曲率を伴うもの"という意味に再定義しようとしている。彼らが新たに定義した "水平面"とは、"中心点から測ったとき、球の周りの高さが等しい "という意味である。しかし、実際のところ、誰もこの空想上の地球の中心点に到達したことがないため、彼らの再定義した用語を裏付ける検証も反証もできない。それができた日には、私たちが「海水面」を「海曲面」「水曲面」と命名し直すのは当然だろうが、絶対にそれはないのだ。
アポロの月面着陸ミッション時に撮影されたとされる地球の画像も、コンピューターによる補正で上記同様の詐欺的トリックが施されている。黒い背景から色相を取り除き、明るさを強調すると、その貼り付けられた地球画像箇所の周囲に長方形のアーチファクトがはっきり見えてしまい、それがまた加工された合成写真であることを証明している。
さらに、NASAの地球写真をロシアや中国、その他の宇宙機関のものと比較すると、それぞれの違いは明らかであり、それらがすべて単なるフォトショップ画像であるという事実が明らかになる。もし、NASAや世界の宇宙機関が本物の地球の写真やビデオを提供できるのであれば、間違いなくそうしているはずである。そうではなく魚眼レンズやCGIアニメーションで繋ぎ合わせた偽造加工された画像しか世間に提供できない現状を見ても、NASAの地球の形状についての主張に信憑性がないと結論づけられる。
3.水の性質
水の自然な物理的性質は、一度水が囲いの中にあり、それが乱されなければ、表面は常に水平を保つというものだ。この強みがあるからこそ水の水平を保つ基本的な物理的性質は、何千年もの間、建築業者やエンジニアによって実験道具として活用されてきた。バケツであろうと、バスタブであろうと、池であろうと、湖であろうと、海であろうと、静止している水の表面は常に平らであり、その表面に凸凹やいかなる形状を形成し保持する性質はない。この事実は簡単に証明でき、経験的に検証可能であるが、私たちが地球について聞かされている事情と完全に矛盾している。地球が球形で、70%以上が水で覆われているためには、海が何らかの形で湾曲し、宇宙空間に吊るされた高速回転するボールの四方に張り付いていなければならない。誰でも自分で実験できるように、水にこのような振る舞いをさせることは不可能である。
地球が球体である仮説を擁護する人たちは、しばしば水滴、メニスカス(界面張力によって細管内の液体の表面がつくる凸状または凹状の曲面。 管の壁を水で濡らせば凹状、濡らさなければ凸状になる。)、表面張力、粘着力などを挙げ、これらは水が曲げられたり、表面にくっついたりする例だと主張するが、これらはコーヒーカップほどの非常に小さなスケールでしか起こらないので、同等レベルの実例としては無理があるし詐欺的な言い分である。その主張とは、海全体が回転するボールの下側に巻き付き、くっつくというもので、水滴やコップ一杯のメニスカスではない。NASAも最近、拡張仮想現実技術を使ってCGIのウォーターボールを作り、水がこのような振る舞いをすることを一般大衆に納得させようとしている。しかし、このような99.99%の一般人がアクセスできない参照系枠内で行われたデモンストレーションは、世界中の科学者/懐疑論者によって再現不可能なものであり、したがって科学的なものでもなければ、何かの証明として有効になるわけでもない。彼らはまず、地球と同じ大きさ程度の物体だけがこの引力の性質を有していると主張し、彼らの述べる地球上ですら確認できない現象が宇宙に存在すると仮定して、証明できてない事例を無理矢理に証拠として勝手に話を進める。言い換えれば、彼らは地球の水域が曲がりくねり、ボールにくっつき、その表面に曲率が生じているとか、それは一般人が再現できないレベルの大きさのみで発生する宇宙の神秘だと主張します。となると、彼らは水が玉になって宙に浮くことができると主張していることにもなるが、これもまた一般人が再現するには実現不可能な基準系枠内(仮説上でのシュミレーション)の中での話だ。
水平面に関しては、球体擁護派は彼らの教義に合わせるために、「水平、面」という言葉を完全に定義し直そうとしている。「水平、面」のそれぞれの真の定義は、「平らで、水平面に沿って高低差のない平面」である。水は常に確実に水平を形成するし、それを維持する。だからこそ、どれだけ大きくても平行で真っ直ぐな歪み無い建造物を作るために、昔から水準器や建設計画に水の水平を維持する性質は活用されてきた。しかし、球体狂信者たちは、この明白な真実と明確な定義に満足せず、"水平面"を "曲率を伴うもの"という意味に再定義しようとしている。彼らが新たに定義した "水平面"とは、"中心点から測ったとき、球の周りの高さが等しい "という意味である。しかし、実際のところ、誰もこの空想上の地球の中心点に到達したことがないため、彼らの再定義した用語を裏付ける検証も反証もできない。それができた日には、私たちが「海水面」を「海曲面」「水曲面」と命名し直すのは当然だろうが、絶対にそれはないのだ。
4. 水平線
水平線は、高度に関係なく、観測者の周囲360度では常に完全に水平である。もし地球が実際に球体であったなら、それがどんな大きさであろうとも高い位置でも曲率を伴う水平線、地平線の位置は固定されるので、上昇するほど観測者の下に落ちるだろう。現実には、魚眼レンズを使わずに撮影されたアマチュアの気球、ロケット、飛行機、ドローンの映像ではすべて、最高高度20マイル(32km)以上で、完全に平らな水平線が目線の高さまで上昇している。NASAやその他の宇宙機関の映像においてのみ、地平線がカーブしたり、観察者の目線より下に見えることがある。
太陽中心天文学説では、水平線は地球の物理的な曲率を伴い、それが岸にいる観測者から遠ざかるボートが視界から消える理由であると主張される。実はこれ、アリストテレスが提示した球体説の証拠とされるもののひとつで、今日でも信者が鸚鵡返しに使っているのだが、現代のズーム技術を使えば、水平線は地球上で物理的な曲率を伴わないことが証明されるし、まさにズームをして拡大するとボートがきちんと視界に戻るようになるわけだ。こういうケースがあるということは、水平線は客観的な物理現象として人々に捉えられておらず、単純に観測者個人の先入観が入り込んだ視点に基づく主観的な光学現象とされがちなのだ。もし水平線が実際に地球上での客観的な物理的曲率を伴うとしたら、水平線を越えて遠ざかる物体をズームしてもそれが視界に戻ることはないはずで、観測者が上昇してもその位置は固定されたままである。しかし実際には、水平線はどんなに高くても観測者とともに上昇し、現代のズーム技術では、水平線を越えて後退していく物体を完全に視界に戻すことができる。これは、水平線が曲率を伴う凸面地球上での客観的な目標地点としては機能せず、観察者側視点からの遠近法に作用される極めて主観的な消失点になることを証明する。
サミュエル・ロウボサム博士の『地球は球体ではない』を引用すると、「リバプールから北に数マイル離れたウォータールー近くの海岸に、高性能な望遠鏡を水面から6フィート(1.8m)の高さに設置した。その望遠鏡は、マージー川を出てダブリンに向かう大きな汽船に向けられていた。後退する船のマストヘッドは徐々に水平線に近づき、やがて4時間以上が経過した頃、その姿は見えなくなった。ダブリンの蒸気船の通常の航行速度は時速16.8マイル(27km)だったので、マストヘッドが水平線に差し掛かったとき、船は少なくとも32マイル(51.5km)離れていたことになる。望遠鏡の高さ6フィート(1.8m)を考慮して、凸分の3マイル(4.8km)を差し引くと29マイル(46.7km)となり、その2乗に8インチを掛けると560フィート(170.7m)となる。メインマストの高さ80フィート(24.4m)を差し引くと、地球の円周率があると定義する理論上、往路の汽船のマストヘッドは水平線から480フィート(146.3m)下にあったはずである。この種の実験は、他にも海を航行する汽船で数多く行われてきたが、常に地球が球体であるという説とはまったく相容れない結果をもたらしてきた」。
5.ジャイロスコープ
ジャイロスコープという2,3個のジンバルとフレームの輪っかを組み合わせつつも一つのスピン軸で旋回する仕組みをしている精密器具がある。装置全体はぐるぐる回り、ジンバルとフレームもそれに応じて動いてアングルを変えるが、内側の輪っかがそれぞれに対して角度を変えることはないのだ。このユニークな特性は「ジャイロ効果、空間剛性」と呼ばれ、スピン軸と結びついた内輪がその向きと回転軸を、地面ではなく空間に対して維持することを意味する。つまり、ジャイロスコープの軸を垂直にセットし、テーブルの上に6時間置くと、一日に一周360度自転する地球と一緒に90度回転するはずだ。地球がジャイロスコープの下で6時間回転すると、軸は垂直から水平にゆっくりと回転するはずである。この実験は何度もテストされ、ネットで公開されている長編ビデオもいくつかあるが、ジャイロスコープの垂直軸が地面の静けさに反して地球の自転運動に応じてずれることは一度もない。もし太陽中心天文学が本当なら、ジャイロスコープが時速1,000マイル(1670km)とされる地球の自転を検出するだけでなく、太陽の周りを時速67,000マイル(10万7800km)で公転し、太陽系全体が天の川銀河の周りを時速500,000マイル(80万4700km)で公転し、銀河系全体が宇宙を時速数百万マイル(時速260万km)で猛突進している現象を検出するはずだ。これらが精密なジャイロスコープに記録されることはないため、それらがベースにしている自転する球体の地球と同様に、この妄想上の運動も存在しないことは明らかである
ジャイロスコープは、慣性誘導システムや航空機の姿勢指示器の原理にもなっている。軍用ジェット機がループやバレル・ロール、ドッグ・ファイト等の空中動作を行う際、姿勢指示器を使えば、パイロットは窓の外を見ることなく、地球に対する正確な方角を簡単に確認することができる。もし地球が本当に球体であれば、真っ直ぐ飛行をするだけで、パイロットがいわゆる "宇宙空間 "に突進して飛び出さないよう常に高度を下方に修正しない限り、飛行機に搭載されてる人工水平儀、姿勢指示器は常に低下を表示するはずである。例えば、円周24,900マイル(40072.7)kmの地球上空を時速500マイル(804.7km)で飛行するパイロットは、平均2,777フィート(846.4m)、つまり1分間に半マイル(804.7m)以上降下しなければならない。そうでなければ、1時間後に飛行機は想定より31.5マイル(50.7km)も上にずれてしまう。実際、もし地球が本当に球体であったなら、"宇宙空間 "に飛ぶためにロケットを使う理由はないはずだ。 というのも、飛行機をどの高度でも長くまっすぐ飛ばすだけで、もう必然的にそこに到達してしまうからだ。
航海用羅針盤もまた、平な地上でしか使えない精密機器であり、球体の上で使うには不可能な道具である。平らな面の北と南を同時に指し示し、平らでなければ作動しないが、仮説上の溶融金属の内核から生じる回転する球体上の両端にある2つの絶えず移動する地磁気極をピンポイントで指していると主張している。コンパスの針が実際に地球の北極に引かれているとしたら、反対側の「南」の針は実際には上なる「宇宙空間」を向き、ずれることになる。同様に、南極大陸でコンパスを持つ観測者はボールの底にいるため、北を示すには針が足元を指すはずだ!もし南極大陸のいわゆる「南極点」が本当に地磁気極だとしたら、観測者は南極に背を向けて円を描くように歩き、コンパスの針がどの方向から見ても正面に北を示すようになるはずだが、実際はそうならない。というのも、いわゆる「南極点」とは、南極の氷に沿った任意の地点に赤と白の床屋のポールを立て、その上に小さな金属球の地球を乗せただけのものだからだ。地球に存在する実際の磁気の種類は、スピーカーのリング型磁石に似ている。リング型磁石では、北極は中央に、"南 "極は、その反対に位置するが北極の外周全てである。これは、平面上での磁気作用と完璧に一致する。一方、地球儀モデルで主張されている地磁気の源動力は、球の中心にある仮説上の溶融性の磁気コアから放出されるもので、それが両極を常に移動させ、その結果、2つの "インチキ儀式上の極点 "で一般人含めた個人が権威から独立して偏見無く検証しても結果は出せないと言い逃れされる。
7. 平面航法
海上の長距離を航行する船の船長は、地球の曲率を計算に入れる必要はない。最も一般的な航海法である平面航法と大圏航法は、球面三角法ではなく平面三角法を用いており、地球が完全に平らであるという前提ですべての数学的計算を行っている。もし地球が球体であったなら、このような誤った仮定は常に不正確さを露呈することになる。しかし、平面航法は何千年もの間、理論的にも実践的にもまったく問題なく機能してきたし、海洋を横断する距離を決定する上で、平面三角法は球面三角法よりも正確であることが何度も証明されてきた。『航海の理論と実践』というマニュアルには、「実際には、平面航法関係のルールしか活用してない。平面航法に対する重大かつ深刻な反対意見は、経度が平面航法では正確に求められないということである。実際には、他のどの方法よりも頻繁に経度を算出することができる。」とある。つまり、緯度も経度も、地球が球形であると仮定するよりも、地球が平らであると仮定する方が、正確に算出できるのだ。ウィリアム・カーペンター著『地球が球体ではない100の証拠』を引用する。「 もし地球が球体だとしたら、航海士が海に持ち出すものとしては、小さな地球儀の模型が最適だろう。 しかし、そのような地球儀マップ模型が使用されることは無い。 そのような玩具を道しるべにすれば、航海士は間違いなく船を難破させるだろう!これは地球が球体ではない証拠である。」
8. 建設
測量士、エンジニア、建築家、建設業者は地球の曲率を考慮する必要はない。垂直基準点を定めるには下げ振りの重り、水平基準点を定めるには水準器がそれぞれ活用され、この二点の併用があるからこそ広大な範囲に至るまで歪みの無い建造物を築くことができる。もし地球が一定の比率で曲率を伴うのであれば、建設業者は垂直・水平の基準値のもと境界線を定めても、現実のデータと常に一致しないことに頭を悩ますだろう。しかし実際には、運河、鉄道、橋、トンネル、その他の大規模な数百㎞に及ぶプロジェクトでも曲率を考慮することなく、定められた基準から逸脱することなく、ぞれぞれのデータムは常に平らの基準値で敷設される。測量技師のT.ウェストウッドが『アース・レビュー』誌で次のように述べている。「水準測量では、海抜の高さを算定するために、区域ごとの条例標識や運河の水位を参考にするのだが、謎なのは、数㎞に及ぶそれぞれのデータムの基準値が全長にわたって同じ水準として扱われていることだった。数㎞にわたって、それぞれの基準値が端から端まで同じ平坦レベルとして扱われているのだ。少なくとも各データを繋ぎ合わせる際に全長に生じるはずの曲率を考慮する作業は一切行われていない。」
地中海と紅海のスエズ湾を結ぶスエズ地峡は、地球と水が非凸であることの明確な証拠のひとつである。この運河は全長100マイル(160.9km)で、閘門がないため、地中海から紅海まで途切れることなく続いている。建設当時、地球の湾曲は考慮されず、海面下26フィート(7.9m)の水平基準線に沿って掘られ湖と海が繋がり、基準線と水面は100マイル(160.9km)にわたって完全に平行だった。もうひとつの分かり易い例は世界で一番長い102マイル(164.2km)もある丹陽-昆山特大橋である。長江川と平行で、上海と南京を繋ぎとなっている。この橋はスエズ運河とほぼ同じ長さで、地球の曲率を考慮せずに建設された。もし地球が実際に円周24,900マイル(40,075km)の地球であったとしたら、球面三角法によって、スエズ運河と敦陽・昆山大橋の中心は、どちらの端よりも1666フィート(507.8m)以上高く膨らむことになる。
エンジニアのW.ウィンクラーは、地球が湾曲しているとされることについて『アース・レビュー』誌に発表し、次のように述べている。「曲率の仕組みなんて学校だけで教えられる馬鹿げた話だ。こんな夢物語を真に受けるエンジニアはいない。私は何マイルもの鉄道や何マイルもの運河を設計してきたが、このような補正は考慮してないし、ましてや容認されることなどない。この曲率の算出規定では、1マイルで8インチの湾曲が生じる設定から始まり、マイル単位の距離を2乗したものを8インチに掛け算する比率で増加するということである。したがって、例えば長さ30マイル(48.3km)の小さな舟運用の運河は、上記のルールより、600フィート(182.9m)の曲率を伴うことになる。皆さんには色々考えなおしてもらいたいし、エンジニアが愚かではいことを覚えてほしい。こんな湾曲を設計に取り入れることは無いんだ。私たちは、30マイルの鉄道や運河の線路に600フィートの曲率を伴うなんて考えてもいないし、不可能かつ無駄な仕事をすることはないんだ。」
鉄道もまた、何百、何千kmにも及ぶ大規模な建設プロジェクトに関わらず、各データは水平に設定され繋ぎ合わされその基準を維持して、全長にわたって逸脱することなく行われている例である。マンチェスター・シップ・カナル社は、『アース・レビュー』誌に掲載された公式声明の中で、「鉄道や運河の建設では、各々のエンジニアが分担しながら担当するデータムの基準は全て水平になっており、それを繋ぎ合わせて平らな設計を作り出すのが通常作業であり、すべての断面も水平で真っ直ぐであることが前提になっている。公共事業の敷設において、地球の湾曲を考慮する習慣はない」。例えば、ロンドン・ノースウェスタン鉄道はロンドンとリバプールを結ぶ180マイル(289.7km)の直線である。鉄道の最高地点である中間地点のバーミンガム駅は海抜240フィート(73.2m)に過ぎないが、もし地球が実際に曲率を伴う球体であったとしたら、180マイルの鉄道はバーミンガムを中心点として弧を描き、ロンドンとリバプールから1マイル以上、実に5,400フィート(1.6km)も高くなる。
『バーミンガム・ウィークリー・マーキュリー』紙に掲載された、30年来の測量技師エンジニアは次のように述べた。「私は土木工学の理論と実践を知り尽くしている。偏屈な教授たちは教義上の計算を取り入れようと頭でっかちになるけど、それはいざ設計の実践や現場では全く通用しない不可能な机上の理論であることは我々全員が周知していることだ。現状ある機関車はすべて、完全に平地と見なせるところを走るように設計されている。もちろん、部分的な傾斜や勾配はあちこちにあるが、それらは常に正確に把握されつつそれに見合った補填修正がされてる。慎重に通過しなければならないポイントだからね。しかし、距離の2乗を1マイルの8インチに掛け算して増加する曲率に近い現象は皆無だし、そんな設計に都合の良いエンジンなんて生み出せないよ。イングランドとスコットランドのある駅と別の駅を比較すると、すべてのプラットフォームは相対的に同じ高さにあると言える。イングランドの東海岸と西海岸を結ぶ距離は300マイル(482.8km)と言われている。規定の曲率が本当に表記の通りだとすれば、ラグビーやウォリックの中央駅は、両端から引いた弦よりも3マイル(4.8km)近く高いはずだ。もしそうだとしたら、国内には列車を担当する運転手や機関員は存在しないだろう。球状のカーブを列車が走るとかそんな危険過ぎる荒業をエンジニアが任務遂行できると思ってるなら苦笑するしかない。水平面上でのカーブも十分に危険だが、垂直方向へのカーブはその1000倍も悪いし、そういう類の鉄道列車は物理的に設計不可能だ。」
9. 遠距離撮影された写真
私たちは常に、地球が実際に所定の比率で曲率を伴う球体であった場合に視察できる距離以上の信じられない程の遠距離の物体を観察することができる。地球曲率計算機に観測者の高さと観察する距離を入力すれば、球体上で目標がどの程度で視界から消えるかを簡単にチェックできる。例えば、ミシガン湖を挟んで60マイル(96.6km)離れた海面からシカゴの街並みを見ることができる。2015年、写真家ジョシュア・ノヴィツキがこの現象を撮影した後、いくつかのニュースチャンネルはすぐに彼の写真を「上位蜃気楼」、気温の逆転層によって引き起こされる大気の異常であると主張した。このようなことは確かに起こるが、問題の摩天楼は上下左右の方向感いつも通りで、ぼんやりとした幻の蜃気楼とは違ってはっきりと見えたが、円周24,900マイル(40,075 km)の球体では、地平線から2,400フィート(731.5m)下にあるはずだ。イタリアのジェノバでは、海抜わずか70フィート(21.3m)から、晴れた日には81マイル(130.4km)、99マイル(159.3km)、102マイル(164.2km)、125マイル(201.2km)離れたエルバ島、ゴルゴナ島、カプライア島、コルシカ島を見ることができる。もし地球が本当に所定の大きさの地球であったなら、4つの島はそのような観測者から見えるはずもなく、3,300フィート(1km)、5,200フィート(1.6km)、5,600フィート(1.7km)、8,700フィート(2.7km)の湾曲した水の陰に隠れているはずである。
標高102フィート(31.1m)のアラスカ州アンカレッジからは、晴れた日にはフォレイカー山とマッキンリー山の両方が、それぞれ120マイル(193.1km)と130マイル(209.2km)離れた場所にあるのに肉眼で麓から山頂までまっすぐに立っているのを見ることができる。しかし、もし地球が円周を伴う球であったなら、両方の山は観測者から遠ざかり、それぞれの山の下半分が視界から完全に遮られるはずである。検証可能とされる曲率の計算に基づくと、フォレイカー山の底から頂上までの全長17,400フィート(5.3km)中の7,719フィート(2.4km)と、マッキンリー山の全長20,320フィート(6.2km)中9,220フィート(2.8km)は、湾曲した球状の巨大な膨らみの陰に隠れているはずである。
現在の最長距離ズーム写真の記録を更新したのは、なんと275マイル(442.6km)離れたピック・ド・フィネストレルからピック・ガスパールを捉えたもので、観測者が位置する標高は約9,000フィート(2.7km)、そこから正規の曲率計算に基づけば、標高12,740フィート(3.9㎞)の山全体は約6マイル(9.7km)の湾曲した地球の陰に隠れて見えないはずである。さらに最近では、JTolanMediaのような平地球体論者が、高層から赤外線ズームカメラを使って、湖や山、その他の風景を1,000マイル(1609.3km)先まで撮影している!もし地球が本当に私たちが言うような大きさの球体であったなら、撮影された風景の多くは、70マイル(112.7km)盛り上がりながら湾曲した地球の陰に隠れてしまうだろう。
10. 灯台
世界中のさまざまな灯台の灯が海上から見える距離も、球体上で見られる限界を遥かに超えてしまっている。たとえば、フランス南部の高さ194フィート(59.1m)のダンケルク・ライトは、28マイル(45.1km)離れたボート(海抜10フィートつまり3m)から見える。球面三角法上の設定では、もし地球が所定の曲率を伴う球体であったなら、この光は水平線から190フィート(57.9m)下に隠れるはずだ。ニュージーランドのポート・ニコルソン・ライトは海抜420フィート(128m)に位置し、水平線から220フィート(67.1m)下にあるべきなのに35マイル離れたところから見える。ノルウェーのエゲロ・ライトは、海面から154フィート(46.9m)の高さで、水平線から230フィート(70.1m)下にあるはずのところを、28マイル(45.1km)離れたところから見ることができる。エスプラネードにあるマドラスのライトは高さ132フィート(40.2m)で、250フィート(76.2m)下に視界から消えているべきだが、28マイル(45.1km)先から見える。フランス西海岸のコルドナン灯は高さ207フィート(63.1m)で、280フィート(85.3m)下に視界から隠れているべきだが、31マイル(49.9km)先から見える。ニューファンドランドのボナビスタ岬にある灯りは、海面から150フィート(45.7m)の高さで、水平線から491フィート(149.7m)下にあるはずの35マイル(56.3km)離れた地点から見える。ボストンの聖ボトルフ教区教会の灯台の尖塔は高さ290フィート(88.4m)で、水平線から800フィート(243.8m)下に隠れているはずの灯台が40マイル(64.4km)以上離れたところから見える。イギリスのワイト島灯台は高さ180フィート(54.9m)で、42マイル(67.6km)先から見ることができる。現代の天文学者によれば、光は視線より996フィート(303.6m)下に落ちるはずだという。南アフリカのラガルハス岬灯台は高さ33フィート(10.1m)、海抜238フィート(72.5m)で、50マイル(80.5km)以上先から見えてしまう。もし世界が球体だとしたら、この光は観測者の視線から1,400フィート(426.7m)下に落ちることになる。そして最後に、エジプトのポートサイドにある標高わずか60フィート(18.3m)の灯台は、現代の天文学によれば、視線から2,182フィート(665.1m)下にあるはずなのだが、なんと58マイル(93.3km)先から見えた。
もし地球が本当に時速1000マイル(1609.3km)以上で常に自転している球体であるなら、ヘリコプターや熱気球は地表で単に浮かんでいるだけで、目的地がやってくるのを待つことができるはずだ。例えば、レッドブルの成層圏ダイブで、フェリックス・バウムガートナーはニューメキシコ上空を3時間かけて上昇し、西に2500マイル(4023.4km)離れた太平洋に着地するはずだったが、実際には離陸地点から数十マイル東に着地した!同様に、垂直に発射された砲弾やその他の弾丸は、東向きに回転する球体に対してかなり真西に落下するはずだ。しかし実際には、垂直発射された大砲の弾は平均14秒かけて上昇し、14秒かけて下降する。そして、大砲から2フィート(61cm)以内の距離で地面に落下して、時には直接銃口に向かって戻ってくる。
この問題を説明するために、球体擁護派は、「重力」が何らかの方法で魔法のように不可解に、地球の下層大気全体を完全に同質化させて、ある未定の高さまで引っ張り上げられ、その徐々に速く回転する大気が、無限の真空空間と思われる非回転、非重力、非大気に接続していると主張する。NASAは、この不可能な非科学的現象がどの高度で起こるのか公式に発表することを拒否しているが、その地点を飛行する機体は大気圧の異常な変性に危険な影響を受けるだろう。また、真空が真空の性質を維持したまま非真空とつながって存在することはできないという単純な事実によっても、科学的に否定されている。エアゾール缶に穴をあけたことのある人なら誰でも知っているように、どんな種類でもいいがバリアや膜で隔てられていない隣接する2つの気圧は平衡化する。
もし "重力 "が回転する球体上の大気を魔法のように引きずるとしたら、極地の大気は時速0マイルで回転し、中緯度では時速500マイル(804.7km)前後で回転し、次第に速くなり、赤道付近では地球と大気が一緒に時速1000マイル(1609.3km)以上で回転することになる。この "重力化した "大気は、極点から赤道まで速度を増加させるだけでなく、高度が高くなるほど速度も必然的に増加する。しかし実際には、地球上のどの地点の大気も、同じようにこの力の影響を受けていない。測定されたことがなく、飛行機がそのような大気圧の変遷の異常を経験することなく、どの方向へも衰えることなく飛行できることから、それが存在しないことが証明されている。東西南北、どの角度からであっても高速回転してるはずの高速滑走路に飛行機を着陸させることも事実上不可能だ。言うまでもなく、雨、花火、鳥、虫、雲、煙、風船、投射物などは、地球とその大気が常に自転していれば、まったく違った挙動を示すだろう。
19世紀には、地球とその大気が自転していないことを証明するために、それぞれの方角に大砲を向けて実験が行われた。もし自転しているとすれば、北向きと南向きの大砲でコントロールが確立され、東向きの大砲の弾は他のものよりもかなり遠くに落ち、西向きの大砲の弾はかなり近くに落ちるはずである。
しかし実際には、大砲がどの方向に発射されても、その距離は常に同じである。常識的に考えて、もし地球とその大気が時速1000マイル(1609.3km)以上で常に東に回転しているのであれば、どこかで誰かが見たり、聞いたり、感じたり、測定したりできるはずである。人類史上誰も東向きへの回転の動きは感じない。 しかしその一方で、私たちは西向きのわずかな風さえも聞き、感じ、当然ながら体感的に測定することができる。さらに、雲、風、30種類の気象パターンは、予測不可能な形状に変化しながら蛇行し、雲は高度にて互いに反対方向へ同時に移動することがよくある。
12. 飛行時間
もし地球とその大気が赤道上で時速1000マイル以上で常に東に回自転しているとしたら、時速500マイル(804.7km)で飛行する通常の民間旅客機は、飛行速度を上げないと後ろに置いてけぼりにされて東方向の目的地に到着することはできないはずである。同様に、西向きの目的地には3倍の速度で到着するはずだが、そうではない。現実には、東行きと西行きの飛行時間の差は通常数分の問題であり、回転する地球上で発生するようなことはない。ガブリエル・アンリエットが著書『ヘブン・アンド・アース』で述べているように、「もしコペルニクスの時代に飛行機が発明されていたら、飛行機の速度と地球の自転速度の関係から、地球の自転に関する彼の主張が間違っていることにすぐに気づいたに違いない。 地球が1時間に1,000マイルで自転していると言われるように、飛行機が同じ方向に500マイルしか飛ばないとすると、目的地が1分ごとに遠ざかることは明らかである。一方、自転と反対方向に飛ぶとすれば、自転速度が加算されてしまい1,500マイル(2414km)の距離を1時間で移動することになる。また、地球の自転速度と同じとされる時速1,000マイルの飛行速度で自転速度と同じ方向にこの速度で飛行する航空機は、絶対に地面に着陸できないだろう。どちらの速度も等しいので、離陸した場所の上空で宙づりになったままである。」
地球回転モデルでは、地球と大気の速度は、赤道では時速1,000マイル、極に近づくにつれて徐々に遅くなり、ゼロに近づいていく。以下の例はすべて、地球とその大気が時速約500マイル(民間旅客機の平均飛行速度と同じ)で一緒に移動しているはずだと球体モデル信奉者が主張する中緯度での出来事である。例えば、ロサンゼルスからニューヨークへのフライトは、地球の自転と言われている東への移動に平均5.5時間かかるので、西への復路は2.75時間しかかからないはずだが、実際にはニューヨークからロサンゼルスへのフライトは平均6時間以上かかり、この時間は地球回転モデルとまったく矛盾している。 東京からロサンゼルスまで、地球の自転と仮定される東方向へのフライトは平均10.5時間かかる。したがって、自転中の西方向への往復フライトは平均5.25時間かかるはずだが、実際には平均11.5時間かかり、これも地球儀モデルとまったく矛盾するフライト時間である。ニューヨークからロンドンへの東行きフライトは平均7時間かかるので、スピン中の西行きフライトは平均3.5時間かかるはずだが、実際には平均7.5時間かかる。地球の自転上シカゴからボストンへの東方向へのフライトは平均2.25時間かかる。したがって、反対側西方向への往復フライトは平均1時間強かかるはずだが、実際には平均2.75時間かかる。パリからローマへの東方向へのフライトは平均2時間かかるため、疑わしいこの自転反対西方向への復路便は1時間しかかからないはずだが、実際には平均飛行時間は2時間10分である。これらの飛行時間はすべて、時速1000マイルで東向きに回転するボールでは不可能だが、静止した地球上空で予想される飛行時間と一致している。
13. 飛行経路
もし地球が本当に球体であったとしたら、南半球には、チリのサンティアゴからオーストラリアのシドニーなど、南極大陸上空を最短距離で直線的に通過する飛行経路がいくつか存在することになるしかし、そのようなフライトはすべて、南極大陸上空を一直線に最短・最速ルートで通過するのではなく、気温が低すぎて通常の飛行機では移動できないと言い訳して、南極大陸からあらゆる方向に遠ざかる!しかし実際には、南極大陸方向へ、またそこからの飛行は何度も行われており、NASAだけが地球上で異様に寒い(そして異様に暑い)状況下でも飛行を維持する技術を持っていると主張しているのだが、このような南極大陸を跨いでのNASA局以外での通常フライトのルートが存在しない理由とするにはインチキが過ぎる。もし地球が球で、南極大陸が寒すぎて飛べないとしたら、シドニーからサンチアゴへ飛ぶ唯一の論理的な方法は、南半球に留まりながら太平洋を一直線に飛ぶことだろう。どうしても必要であれば、途中のニュージーランドや他の南半球の都市で燃料を補給することもできるが、実際には、サンティアゴ-シドニー便は北半球に入り、ロサンゼルス国際空港や他の北米の空港で途中降機してから南半球に戻る。このようなとんでもない回り道は、地球儀上では意味をなさないが、平らな地球の地図で表示すると、ほぼ一直線になり、完璧な意味をなす。
この問題を説明するために、球体擁護派は、「重力」が何らかの方法で魔法のように不可解に、地球の下層大気全体を完全に同質化させて、ある未定の高さまで引っ張り上げられ、その徐々に速く回転する大気が、無限の真空空間と思われる非回転、非重力、非大気に接続していると主張する。NASAは、この不可能な非科学的現象がどの高度で起こるのか公式に発表することを拒否しているが、その地点を飛行する機体は大気圧の異常な変性に危険な影響を受けるだろう。また、真空が真空の性質を維持したまま非真空とつながって存在することはできないという単純な事実によっても、科学的に否定されている。エアゾール缶に穴をあけたことのある人なら誰でも知っているように、どんな種類でもいいがバリアや膜で隔てられていない隣接する2つの気圧は平衡化する。
もし "重力 "が回転する球体上の大気を魔法のように引きずるとしたら、極地の大気は時速0マイルで回転し、中緯度では時速500マイル(804.7km)前後で回転し、次第に速くなり、赤道付近では地球と大気が一緒に時速1000マイル(1609.3km)以上で回転することになる。この "重力化した "大気は、極点から赤道まで速度を増加させるだけでなく、高度が高くなるほど速度も必然的に増加する。しかし実際には、地球上のどの地点の大気も、同じようにこの力の影響を受けていない。測定されたことがなく、飛行機がそのような大気圧の変遷の異常を経験することなく、どの方向へも衰えることなく飛行できることから、それが存在しないことが証明されている。東西南北、どの角度からであっても高速回転してるはずの高速滑走路に飛行機を着陸させることも事実上不可能だ。言うまでもなく、雨、花火、鳥、虫、雲、煙、風船、投射物などは、地球とその大気が常に自転していれば、まったく違った挙動を示すだろう。
19世紀には、地球とその大気が自転していないことを証明するために、それぞれの方角に大砲を向けて実験が行われた。もし自転しているとすれば、北向きと南向きの大砲でコントロールが確立され、東向きの大砲の弾は他のものよりもかなり遠くに落ち、西向きの大砲の弾はかなり近くに落ちるはずである。
しかし実際には、大砲がどの方向に発射されても、その距離は常に同じである。常識的に考えて、もし地球とその大気が時速1000マイル(1609.3km)以上で常に東に回転しているのであれば、どこかで誰かが見たり、聞いたり、感じたり、測定したりできるはずである。人類史上誰も東向きへの回転の動きは感じない。 しかしその一方で、私たちは西向きのわずかな風さえも聞き、感じ、当然ながら体感的に測定することができる。さらに、雲、風、30種類の気象パターンは、予測不可能な形状に変化しながら蛇行し、雲は高度にて互いに反対方向へ同時に移動することがよくある。
12. 飛行時間
もし地球とその大気が赤道上で時速1000マイル以上で常に東に回自転しているとしたら、時速500マイル(804.7km)で飛行する通常の民間旅客機は、飛行速度を上げないと後ろに置いてけぼりにされて東方向の目的地に到着することはできないはずである。同様に、西向きの目的地には3倍の速度で到着するはずだが、そうではない。現実には、東行きと西行きの飛行時間の差は通常数分の問題であり、回転する地球上で発生するようなことはない。ガブリエル・アンリエットが著書『ヘブン・アンド・アース』で述べているように、「もしコペルニクスの時代に飛行機が発明されていたら、飛行機の速度と地球の自転速度の関係から、地球の自転に関する彼の主張が間違っていることにすぐに気づいたに違いない。 地球が1時間に1,000マイルで自転していると言われるように、飛行機が同じ方向に500マイルしか飛ばないとすると、目的地が1分ごとに遠ざかることは明らかである。一方、自転と反対方向に飛ぶとすれば、自転速度が加算されてしまい1,500マイル(2414km)の距離を1時間で移動することになる。また、地球の自転速度と同じとされる時速1,000マイルの飛行速度で自転速度と同じ方向にこの速度で飛行する航空機は、絶対に地面に着陸できないだろう。どちらの速度も等しいので、離陸した場所の上空で宙づりになったままである。」
地球回転モデルでは、地球と大気の速度は、赤道では時速1,000マイル、極に近づくにつれて徐々に遅くなり、ゼロに近づいていく。以下の例はすべて、地球とその大気が時速約500マイル(民間旅客機の平均飛行速度と同じ)で一緒に移動しているはずだと球体モデル信奉者が主張する中緯度での出来事である。例えば、ロサンゼルスからニューヨークへのフライトは、地球の自転と言われている東への移動に平均5.5時間かかるので、西への復路は2.75時間しかかからないはずだが、実際にはニューヨークからロサンゼルスへのフライトは平均6時間以上かかり、この時間は地球回転モデルとまったく矛盾している。 東京からロサンゼルスまで、地球の自転と仮定される東方向へのフライトは平均10.5時間かかる。したがって、自転中の西方向への往復フライトは平均5.25時間かかるはずだが、実際には平均11.5時間かかり、これも地球儀モデルとまったく矛盾するフライト時間である。ニューヨークからロンドンへの東行きフライトは平均7時間かかるので、スピン中の西行きフライトは平均3.5時間かかるはずだが、実際には平均7.5時間かかる。地球の自転上シカゴからボストンへの東方向へのフライトは平均2.25時間かかる。したがって、反対側西方向への往復フライトは平均1時間強かかるはずだが、実際には平均2.75時間かかる。パリからローマへの東方向へのフライトは平均2時間かかるため、疑わしいこの自転反対西方向への復路便は1時間しかかからないはずだが、実際には平均飛行時間は2時間10分である。これらの飛行時間はすべて、時速1000マイルで東向きに回転するボールでは不可能だが、静止した地球上空で予想される飛行時間と一致している。
13. 飛行経路
もし地球が本当に球体であったとしたら、南半球には、チリのサンティアゴからオーストラリアのシドニーなど、南極大陸上空を最短距離で直線的に通過する飛行経路がいくつか存在することになるしかし、そのようなフライトはすべて、南極大陸上空を一直線に最短・最速ルートで通過するのではなく、気温が低すぎて通常の飛行機では移動できないと言い訳して、南極大陸からあらゆる方向に遠ざかる!しかし実際には、南極大陸方向へ、またそこからの飛行は何度も行われており、NASAだけが地球上で異様に寒い(そして異様に暑い)状況下でも飛行を維持する技術を持っていると主張しているのだが、このような南極大陸を跨いでのNASA局以外での通常フライトのルートが存在しない理由とするにはインチキが過ぎる。もし地球が球で、南極大陸が寒すぎて飛べないとしたら、シドニーからサンチアゴへ飛ぶ唯一の論理的な方法は、南半球に留まりながら太平洋を一直線に飛ぶことだろう。どうしても必要であれば、途中のニュージーランドや他の南半球の都市で燃料を補給することもできるが、実際には、サンティアゴ-シドニー便は北半球に入り、ロサンゼルス国際空港や他の北米の空港で途中降機してから南半球に戻る。このようなとんでもない回り道は、地球儀上では意味をなさないが、平らな地球の地図で表示すると、ほぼ一直線になり、完璧な意味をなす。
地球儀で言えば、ヨハネスブルグ(南アフリカ)からパース(オーストラリア)まではインド洋を一直線に走り、モーリシャスやマダガスカルで燃料を補給することができる。しかし実際には、ヨハネスブルグからパースへのフライトのほとんどは、不思議なことにドバイ、香港、マレーシアのいずれかで途中に休憩、燃料補給するが、これは球体モデルでは不可解なルートであるが平面上だと理に適っている。地球儀で見れば、南アフリカのケープタウンからアルゼンチンのブエノスアリエスまでは、大西洋を同じ緯度線に沿って一直線に横切るはずだが、そうではなく、どの便もまず北半球の乗り継ぎ地へ行き、ロンドンからトルコ、ドバイまでどこにでも立ち寄る。繰り返しになるが、これらは球体モデル上ではまったく意味をなさないが、平らな地球地図に表示すれば完全に理解できる飛行ルートである。地球儀で見れば、チリのサンティアゴから南アフリカのヨハネスブルグまでは、南半球の南回帰線より下で行われる簡単なフライトのはずなのに、どのフライトもまず北半球の北回帰線に近いセネガルで燃料補給をするという不思議なことになっている!平面地図で表示すればこれも理解できることで、セネガルは北回帰線と南回帰線の中間地点に位置するからだ。地球儀の上では、南アフリカのヨハネスブルグからブラジルのサンパウロまでは南緯25度に沿って素早く一直線に進むはずだが、その代わりにほぼすべてのフライトがまず北緯50度のロンドンで燃料補給をする!このような馬鹿げた途中降機が現実に機能する唯一の理由は、地球が自転する球ではないからだ。
14. 緯度と経度
もし地球が本当に地球儀であったとしたら、赤道より南にある緯度の線は、南に行くほど徐々に小さな円周が測定されることになる。しかし、地球が拡張された平面であるならば、赤道より南の緯度線は、南に行くほど徐々に大きな円周が測定される。実践的な距離の測定方法を調べるために『オーストラリア人のハンドブック、年鑑、船乗りと輸入業者の指南書』を引用すると、シドニーからネルソンまでの直線距離は法定1550マイル(2414km)で、経度の差は22度2分14秒である。したがって、360度のうち22度2分14秒が1550マイルだとすると、全体の大きさは25,182マイル(40526.5km)となり、これは地球上の赤道より長いだけでなく、球体モデルの比率でのシドニー上の南緯の円周よりも、全体で4,262マイル(6859km)も大きいことになる。チリのホーン岬付近からオーストラリアのメルボルンのポートフィリップまでの距離は10,500マイル(16898.1km)、つまり経度で143度離れている。360度中残りの緯度をその距離とすると、この特定の緯度を中心にした総距離は26,430マイル(42535km)となり、球体上での赤道の距離よりも1500マイル(2414km)以上広く、南緯にあるはずの距離よりも何千キロメートルも広い。南アフリカの喜望峰からオーストラリアのメルボルンまでの平均緯度が南緯35.5度の地点で同様の計算をしたところ、地球の赤道より長いおおよそ25,000マイル(40233.6km)以上となった。一方、オーストラリアのシドニーからニュージーランドのウェリントンまでの平均緯度は南緯37.5度でこれまた地球の赤道より長い25000マイル以上だった! 地球儀モデルによれば、南緯37.5度における地球の円周は19,757法定マイル(31795.8km)に過ぎず、実際の長さより6000マイル(9656.1km)程短い距離になるはずだ。
球体説を仮定して赤道以南を航行した多くの船長が、南へ行くほど計算が大幅にずれていることに気づいたという事実も、地球が球体ではないことを証明している。例えば、ジェームス・クラーク・ロス船長の南極周航では、海図から外れることが日常茶飯事で、毎日平均12~16マイル(19.3km-25.7km)、さらに南下すると29マイル(46.7km)も海図から外れていることに戸惑ったと日誌に書かれている。チャールズ・ウィルクス中尉は、1838年から1842年までアメリカ海軍の南極探検隊を指揮していたが、彼の日誌には、18時間足らずで20マイル(32.2km)以上も東に進んだこともあった、と書かれている。トーマス・ミルナー牧師の言葉を引用すると、「南半球では、インドへの航海者たちが、西にあるはずの岬を東だと思い込んで、まだ後方にあると見越していたアフリカ沿岸に流れ着いたことがよくある。この不幸は、1845年にチャレンジャー号という立派なフリゲート艦に起こった。当時の最高峰な船『コンケラー』がなぜ行方不明になったのか。他の多くの優良な船も同様な不幸を招くこともあったが、なぜ完璧に機能し、人員配置され、暗い夜や霧や凪の天候最中ではなく白昼の太陽の下で航行していたのに、難破したのか。前例の場合は海岸で、後例の場合は沈んだ岩の上で不幸に見舞われているが『計算外』だったのか?答えは簡単だ。地球はボールではないからだ。」
地球儀モデルでは、南極大陸は南緯78度から90度までの球底を覆う氷の大陸であり、したがって周囲は12,000マイル(19312.1km)にも満たない。しかし、キャプテン・クックやジェームズ・クラーク・ロスをはじめとする多くの初期の探検家たちは、南極大陸一周に3年から4年以上をかけ、5万マイル(8046.7km)から6万マイル(9656.1km)を走破したジョージ・ナレス船長のチャレンジャー探検隊も、南極大陸を遠回りながら69,000マイル(111044.7km)を完全周回したが、これは地球儀モデルとはまったく矛盾している。1993年のホイットブレッドヨットレースで世界一周を達成したエルヴェ・リボーニ氏は、最近になって自らも地平派となり、磁気偏角のデマのせいでインチキが横行していると主張している。エルヴェは、平らな地球上では磁気偏角は存在せず、球体モデルを基にした海図と数学を航海計算に加えることで、パイロットや船乗りが航路を維持できると主張している。
15. 北極と南極
もし地球が本当に一つの球体であるならば、北極と南極の極地、そして赤道の北と南に位置する同程度の緯度の地域は、気温、季節の変化、日照時間の長さ、植物や動物の生態など、同じような条件や特徴を共有しているはずである。15. 北極と南極 もし地球が本当に一つの地球であるならば、北極と南極の極地、そして赤道の北と南に位置する同程度の緯度の地域は、気温、季節の変化、日照時間の長さ、植物や動物の生態など、同じような条件や特徴になっているはずだ。例えば、南極大陸は地球上で最も寒い場所で、年間の平均気温は華氏マイナス57度、最低気温はマイナス135.8度である!しかし、北極の年間平均気温は4度と比較的暖かい。一年を通して、南極の気温差は同程度の北極緯度の地域の半分以下であり、北極圏北部では適度に暖かい夏と扱いやすい冬を楽しめるが、南極圏南部は永久凍結されて雪や氷だらけでそれが解けるほど暖かくなることはない。傾き、ぐらつき、太陽の周りを一様に回転する球体の地球では、北極と南極の気温や季節がこれほど大きく異なることはないはずだ。
北極では四季がはっきり区別され、夏は暖かく、動植物も豊富である。エスキモーも北緯79度線まで生息しているが、南緯56度線以遠には原住民はいない。北緯65度のアイスランドには、870種の植物が自生し、さまざまな動物が豊富に生息している。これと比較して、南緯54度に位置するジョージア島には、18種の植物しか自生しておらず、動物もほとんど生息していない。様々な高木の密林が生い茂る北のカナダやイギリスと同じ緯度にありながら、キャプテン・クックはジョージア島について、爪楊枝を作るのに十分な大きさの低木を一本も見つけることができなかったと記している!クックはこう書いている。「木々は存在しない。南側に横たわる土地は、自ずと永久に極寒の地であるよう運命づけられているかのようで、太陽の光の暖かさを感じることはない。こんな寂しくて荒廃とした風景に言葉も出てこない。海洋生物でさえ、広大な土地ではまばらで、海鳥がそのような寂しい荒野を飛ぶのを観察することはめったにない。北極圏と南極圏における有機生物の限界の対比は、非常に顕著で重要である。」
南北の緯度が同程度の場所では、太陽は地球儀のモデル上とはまったく異なる動きをするが、平らな地球上ではまったく予想通りの動きをする。例えば、北部では、夜明けや夕暮れはゆっくりとやってきて、それがずっと長く続くが、南部では早くやってきては短い。北のある場所では薄明が1時間以上続くこともあるが、同等の南緯地域では数分で太陽光が完全に消えてしまう。また、北半球で夏が最長で続く期間は、赤道以北は南以北よりずっと長い、冬が続く最短での期間は、赤道以北では南以北よりずっと短い。これらの事実は、一様に回転し、ぐらぐらと揺れる球体の地球では説明のつかないことだが、平らな地では、太陽は南をより速く、より広い円を描き、北をより遅く、より狭い円を描くことで成立する。
16. 白夜
「白夜」は毎年夏至の日に起こる北極圏の現象で、北極圏以北の観測者は数日間連続して、太陽が頭上で円を描くように移動し、一日中昇ったり沈んだりしながら、72時間以上にわたって完全に沈むことがないのを見ることができる!もし地球が太陽の周りを回る自転する地球であったとしたら、白夜のような現象が観測できるのは極地点だけである。緯度89度から下は、傾きや傾斜に関係なく、太陽を24時間以上見続けることはできない。極点以外で自転する地球儀の上で太陽を見るには、公転の間、何マイルもの陸地と海越しに見渡さなければならない。
南極大陸にも同じような現象があると主張する人々がいるが、偶然にもそれを示すノーカット動画はなく、ネットで入手できる数少ない動画は怪しく編集または加工されており、南極条約はこれらの主張を検証または反論するために、権威から独立して探検家が冬至の間に南極大陸を旅行することを認めていない。逆に、北極の白夜を映したノーカット映像は何十本も公開されており、疑いの余地なく検証されている。さらに、南緯71度以降では毎年、太陽は5月17日に沈み、7月21日まで地平線上に姿を現さない。これは地球儀モデルとはまったく相容れないが、平面大地では簡単に説明できる。夏至の時期に北極圏で白夜が見られるのは、太陽が最も内側にある周期で極の中心をしっかりと回っているためで、そのような見晴らしの良い場所にいる人にとっては、太陽は常に水平線の上に見え続けている。同様に、極端な南緯地域では、その期間中、太陽は2ヶ月以上完全に見えなくなるが、これは北回帰線では、ブーメラン旋回軌道の最も内側の周期の最中で、太陽が北の中心をぴったりと回っているため、南の円周からは見ることができない仕組みになっている。
17. 北極星
太陽中心主義説では、地球は地軸の周りを1700㎞で自転する地球であり、太陽の周りを10万8000㎞で公転し、太陽系全体は天の川銀河の周りを時速85万kmで回り、銀河系全体は無限の宇宙空間を秒速630kmつまり時速約216万kmで飛び回っていると主張する。実際には、こんなとてつもない動きを歴史上の誰も見たことも聞いたことも感じたことも観測できた試しがないし、逆に北極星は地球の北極の真上に位置し、他のすべての恒星はその周りを真円を描くように回転しつつそれぞれの星座を構成して固定されたまま、年がら年中、何世紀経っても、夜も昼も動くことがないことを、誰もが自分の目ではっきりと見ることができる。タイムラプスの写真で見られる、動いていない北極星の周りのこのような円形の星の軌跡は、星そのものが動いているのであって、地球が動いているのではないことを証明している。もし地球が本当に傾き、ぐらつき、回転する宇宙球で、宇宙の中をこのような矛盾した運動を繰り返しているのだとしたら、不規則でランダムな渦巻き状の星痕しか見ることができず、夜空が同じ模様になることは2度すらないだろう。もし地球が本当にこ空想上の運動をすべて行っていたら、星座が存在することは不可能である。
ウィリアム・カーペンター著『100 Proofs Earth is Not a Globe(地球が球体でないことの100の証明)』を引用すると、「望遠鏡を固定する地球が1秒間に19マイルの速さで動くのであれば、常識的に考えて、なぜ観測者が望遠鏡が微動だにしないように石の土台に固定しなければならないのだろうか?6 × 10^24 kgという巨体が、『宇宙空間を永遠に転がり、波立ち、旋回し、飛び続けている』なんて大砲の砲弾が馬車くらいの速度に感じるほど比較にならないし、精密に正確に天文台の花崗岩の柱に固定された望遠鏡では、観察力の高い天文学者ですら髪の毛の1000分の1もその前進運動の変化を検出できないわけだ。どんな奇跡的体験を知ったとしても、こんな地球の回転おとぎ話には適わないよ。一年中、北極星に面した窓から外を見ると、(中北緯度では)北極星を眺められる、同じ窓の同じガラス板の同じ区画から北極星を見ることができる。これは正常な感覚を持つ人間にとって、私たちがまったく動いていないこと、地球が球体でないことは、十分な証拠となる。」
18. はちぶんぎ座シグマ星
はちぶんぎ座シグマ星(シグマ・オクタンティス)は、北極星に似た南の天極に位置する南極星であり、その周りを南半球の星がすべて反対方向に回転しているとされている。しかし、北極星とは異なり、シグマ・オクタンティスを同じ緯度に沿ったすべての地点から同時に見ることはできず、中心ではなく、中心から1度ずれていると言われている。動かないわけではないらしいが、一般人が天体望遠鏡でその動向を確認できた試しは無い。シグマ・オクタンティスが存在するかどうかについては、疑念が出ているほどだ。太陽中心モデルでは、赤道より南の星はシグマ・オクタンティスを中心に反対方向に回転していると主張されるが、実際には、すべての発光体はプラネタリウムのドームのように北極星を中心に東から西に同じ方向に回転している。平面上でのプラネタリウムは広大すぎて、1つの視点からすべての星を同時に見ることはできない。そのため、見かけの動き、角度、傾きは、遠近法やその人視点での向きによって変化する。
19.局所的に機能する太陽
太陽中心の天文学的数値は常に完璧に正確に聞こえるが、著名な学者は歴史的に、様々なモデルに合わせて定期的に大幅に変更することで悪名高い。例えば、コペルニクスの時代には、太陽の地球からの距離を正確に3,391,200マイル(5457607.4km)と計算していた。次の世紀には、ヨハネス・ケプラーが12,376,800マイル(19918528.8km)の距離であると決定した。アイザック・ニュートンは彼の時代に、「2800万マイル(45061632km)と5400万マイル(86904576km)のどちらで計算するかは問題ではない。」と言い出す始末だ。ベンジャミン・マーティンは8,100万マイル(130,356,864km)から8,200万マイル(131966208km)、トーマス・ディルワースは93,726,900マイル(150,838,824.2km)、ジョン・ハインドは95,298,260マイル(153,367,682.9km)、ベンジャミン・グールドは9,600万マイル(154,497,024km)以上、クリスチャン・メイヤーは1億400万マイル(167,371,776km)以上と勝手に好き放題計算していた。現在では、科学者は9,300万マイル(149,668,992km)という数字に落ち着いているが、こうした馬鹿げた距離はすべて、平面派が何世紀にもわたって使ってきたのと同じ方法で、簡単に間違っていることが証明できる。六分儀で測定し、平面三角法で計算すると、太陽と月の直径はわずか約30マイル(48.3km)で、距離は3,000マイル(4828km)にも満たない。
さらに、雲の上で撮影されたアマチュアの気球の映像は、太陽が何百万kmも離れているはずがないことを、見事な映像で証明している。いくつかの写真では、太陽のスポットライトが雲を局所的に照らしてる様相を確認できる。もし太陽が実際に何百万㎞も離れていたら、このような小さく局地的なホットスポットは発生しない。太陽が何百万マイルも遠くにあるわけではないことのもうひとつの証拠は、雲の上にある太陽の光源までの角度をたどってみるとわかる。太陽光が雲を通過して、さまざまな収束角度から降り注ぐ様子を示す写真やビデオは数え切れないほどある。収束している先にはもちろん太陽があり、何百万マイルも離れた場所ではなく、地球の比較的近くにあることは明らかだ。水面上の太陽と月の反射光が常に水平線から観察者まで直線的な光路を形成していることも、地球が球ではないことを証明している。もし地球の表面が曲がっていたら、反射光がボールの上で曲がることは不可能だ。
20. 科学的実験
アルベルト・マイケルソン、エドワード・モーリー、ジョージ・エアリー、ジョルジュ・サニャックといった著名な科学者たちによって、静止した地球の周りを回っているのは星であり、その逆ではないことを証明する実験がいくつも行われ、繰り返されてきた。彼らの実験による決定的な結果は、現代の天文学の本で議論されることも、言及されることもなく、むしろ真実を模索する探求心ある人たちに嘘を見破られないように、都合よく隠されてきた。たとえ ば、「エアリーの失敗」として知られる実験(太陽中心地動説の立証に失敗したため)は、星が静止した地球に対して相対的に動くのであって、その逆ではないことを証明した。エアリーは、まず望遠鏡に水を入れて内部の光速度を遅くし、次に星の光が直接望遠鏡に導くのに必要な傾きを計算したが、星の光は角度を変えることなく最初から一定の角度で届いていたため、地動説の証明には失敗し、代わりに地球中心の天動説を証明した。マイケルソン-モーリー、マイケルソン-ゲール、サニャックの実験もまた、宇宙空間を地球が運動すると仮定したことによる光速の変化を測定しようとした。様々な場所であらゆる方向から測定を行ったが、いずれも有意な変化を検出することはできず、地動説の証明となった。(動き回る対象に光が引力に曲げられ届くのか、そうでないかの実験)ウィリアム・カーペンターの著書 "地球が球体ではない100の証拠 "や私の著書 "200の証拠"を読めば、この20項目はほんの表面をなぞったに過ぎない。
NASAの月面着陸捏造をなぜ知っているのか?
1969年から1972年の間に、アメリカ航空宇宙局(NASA)は6回の有人月探査を成功させ、ゴルフやデューンバギーでの疾走、ニクソン大統領からのリアルタイムでの電話を受信するなど、あらゆる地球同様活動を行ったと言われている。しかし、現実には、冷静な目で詳しく調べてみると、このような演出されたイベントは、騙されやすく疑うことを知らない大衆に仕掛けられた大がかりなイカサマ以外の何ものでもないことがわかる。1. そもそも、月そのものは単なる発光体であり、空に浮かぶ非物質的な光であって、NASAや現代天文学が維持するような球状の惑星の固体ではないのだ。晴れた日には、満ち欠けのサイクルで月が透けて背景の青空を自分の目で見ることができる。晴れた夜、満ち欠けのサイクルの間、月の表面を通して星を直接見ることができる。また、新月になると月は完全に姿を消し、毎月1日だけ見えなくなる。
王立天文学会の会員でさえ、月が透けて直接星が見えることに戸惑ったことを何度も記録している。例えば、ケンシニトンの王立天文台のサー・ジェームズ・サウスは次のように書いている。「私が初めて望遠鏡を覗いたとき、7等星ほどの星が月の暗い箇所の縁から1度程度の離れたところにあった。月による掩蔽は避けられないと思ったが、その星は月の縁が接触した瞬間に消えるのではなく、あたかも透明な月を通して見えた。あるいは星が私と月の間にあるかのように、月の暗い面の上を滑空しているように見えた。似たよう明らかな事例は何度も確認できた。この現象の原因は不可解な謎に包まれている。」
三日月を掩蔽する星は古くからイスラム教のシンボルとして親しまれ、オスマン帝国のシンボルであり、アルジェリア、アゼルバイジャン、リビア、マレーシア、モーリタニア、パキスタン、シンガポール、チュニジア、トルコの国旗や、クロアチア、ドイツ、アイルランド、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スウェーデン、ウクライナ、イギリスに至る国々の紋章に見られる。しかし現在では、NASAの数十年にわたるプロパガンダのおかげで、人々は自分の感覚に反して、月が歩ける物理的な地表惑星であると信じている。
2. 基本的な物理学は、人類が月に飛んだことがないだけでなく、「宇宙の真空」という概念全体が不可能であることを証明している。NASAと現代天文学は、地球の大気は地球と共にに完全に回転しており、それが宇宙の真空に接するとされる未知な高さまでそうなると主張している。しかし、エアゾール容器に穴をあけたことのある人なら誰でもそうだが、陰圧状態の環境に隣接する陽圧のそれは、両者を隔てる強固なバリアがなければ平衡化する。
さらに、この回転する大気は地上レベルでは時速1000マイル(約1500キロ)ほどで、高度が上がるにつれて速度は増し、国際宇宙ステーションが軌道を周回すると主張される高度250マイルの地点では、大気とその中のあらゆるものが時速17500マイル(約28163.5㎞)という銃弾のようなとんでもない速さで移動していると言われている!つまり、ロケットに乗った宇宙飛行士たちは、自転し、加圧された地球の大気圏から、自転せず、加圧されていない、真空の大気圏に飛び出したとき、弾丸よりも速いスピードで移動していたのだ。
仮にそのような大気圧の異常な変遷をどうにか乗り切ったとしても、一旦真空と思われる宇宙空間に入れば、ステアリングを握り続けることは不可能だ。というのも、すべてのエンジン推進装置には、大気を押すため空気が必要だからだ。真空中ではそのような反作用はないため、すべての推進力はロケットを前進させるどころか、かえって不規則に回転させ、制御不能にしてしまう。近年、NASAはこの問題に関して、月はまだ地球の大気圏内にあると主張することで、何とか人々の疑念を抑えようとしているが、何十年もの間、このありえない主張を貫いてきたという事実は変わらない。
3. 宇宙空間、特にいわゆるヴァン・アレン帯に存在するとされる放射線の量は、宇宙飛行士の薄っぺらなスーツにはあまりにも強烈である。高度1,000マイル(1609.3km)から約15,000マイル(24,140.2km)まで、NASAの主張によれば、致命的な放射線の帯が存在し、そこを通過する者は数分で死ぬか重傷を負うという。あるロシアの研究では、月面に存在する放射線量は、宇宙飛行士が即死を避けるために4フィート(121.9cm)の厚みのある鉛の服を着る必要があると述べている。NASAの物理学者ジョン・モールディンは、宇宙飛行士は常に少なくとも2メートルの厚さの遮蔽物が必要だと言ったが、私たちは彼らが2インチ(5cm)の薄いスーツを着て "月 "を跳ね回っているのをフィルムで見ている。ジェームス・ヴァン・アレン自身も、2006年に亡くなるまで、厚い鉛の遮蔽物に完全に包まれることなく、人間が放射線帯を90分かけて通過し、また90分かけて帰還することに耐えられるはずがないと言い続けていた。
4. 月の気温は、夜間は氷点下279度、これは南極の最も寒い冬よりもはるかに寒く、月の真昼は最大243度で、これは沸騰したお湯よりも熱い!NASAは、彼らの特別なスーツには暖房と冷却システムの両方が装備されていると主張しているが、この驚異的な温度に耐えられるような技術はない。スーツはまた、宇宙の真空非圧力が血管を破裂させないように全身むらなく加圧されているはずだが、明らかに随所に深い折り目やシワがあり均等に加圧されていない。本当の加圧スーツを着た真空空間にいる宇宙飛行士は、加圧されているとはいえ宇宙の真空によってぶくぶくに全身むらなく膨張してミシュランマンに見えるだろうし、そのうち気泡が飛び出したり、破裂寸前になり柔軟性が全くないはずだ。また、月面でコダックフィルムを搭載したカメラが、溶けたり凍ったりすることなく、この極端な気温に耐えることは不可能だ。
5. アポロ11号の複数の画像では、数分の時間差の間に撮影されたはずだが、バズ・オルドリンが異なる色の手袋をはめ、異なる長さのブーツを履いている。例えば、写真AS11-40-5873でオルドリンは高いブーツと濃いグレーの手袋をしているが、そのわずか2枚後の写真AS11-40-5875では小さいブーツと白い手袋に着替えている。もしバズ54号が加圧された宇宙服を着て本当に真空の宇宙空間にいたのなら、このようなファッションの調整のためにスーツを減圧し、再び加圧する時間や理由はなかったはずだ。
6. アポロ計画では、月着陸船にはスタジオ用の特別な照明を持ち込まなかったため、"月 "およびそこで撮影されたすべての写真では、太陽だけが光源となるはずです。この場合、光は一方向からしか入らず、影はすべて反対方向にできるはずである。しかし、NASAの公式写真の数十枚には、最大3方向に同時に影が落とされており、その角度は最大90度であることが多い。これは、月面に存在しない複数の光源の結果としか考えられない。例えば、アポロ14号の写真AS14-68-9486では、背景の月着陸船の影が前景の岩とは全く異なる角度で投げかけられている。
7. 「月」から見た「太陽」が写っているとされる多くの写真は、明らかにスタジオのスポットライトであり、太陽ではない。例えば、アポロ12号の写真AS12-46-6765は、コンピュータによる補正の結果、「太陽」の中心に大きな電球があることが明らかになった。多くの研究者によって徹底的に解剖された後、NASAは実際にアポロ写真のギャラリーからこの画像の高解像度版を削除した。アポロ11号の写真AS11-40-5935にも、明らかに太陽ではないフレーム外の光から伸びる円錐形のスポットライト効果が写っている。
8. アポロの画像には、地面とスタジオの背景としか思えないような境界線がある。もし彼らが実際に月面で撮影していたなら、地面と背景は継ぎ目なく接し、そのような境界線は残らないだろう。さらに、何十枚もの画像を並べて分析すると、NASAが月のまったく異なる場所とされる場所で同じ背景を何度も再利用していることがわかる。丘、山、谷の輪郭は、他の場所とされる写真と重ね合わせると完璧に揃う。例えば、アポロ15号の画像AS15-82-11057は、非常にユニークで明確な山を背景にした月着陸船の様相になっているが、画像AS15-82-11082と重ね合わせると、それらはちょうど一致する。しかし、月着陸船はなく、前景も異なる状況になっている。もう一つの例は、アポロ17号の画像AS17-143-21972で、山が背景にあり、前景が明瞭である一方、画像AS17-136-20707 56では、全く同じ山が写っているが、今度は前景にいくつかの大きな岩や巨石が現れている。このような背景が繰り返し使用された例は、アポロ計画の期間中、何十例もあります。
9. NASAの多くの画像をコンピュータで補正すると、写真加工やスタジオでのごまかし演出の証拠が明らかになる。例えば、アポロ17号の月着陸船が離陸するとき、写真AS17-151-23201はスタジオの天井にはっきりとした影が映っている。同様に、アポロ14号の画像AS14-64-9089は、彩度の段階から黄色と青色を取り除くと、黒い背景に反射したスタジオ照明としか思えないものが写っている。別のアポロ14号の写真AS14-66-9306には、写真下に宙吊りにされたレチクルの十字線の影が写っており、これが加工されたもので、主張されているようなオリジナルではないことが証明されている。アポロ12号の画像AS12-49-7278には、複数の天井の照明によるスタジオ照明のレンズフレアがはっきりと写っており、アポロ12号の画像AS12-48-7071には、天井の照明がアラン・ビームのヘルメットに反射したと思われる状況が写っている。
10. ”月 "から撮影された "地球 "の画像に施されたコンピュータによる補正は、明らかに写真のトリックを明らかにしている。背景から黒を構成する色相を徐々に取り除くと、「地球」の周囲に明るい長方形のアーチファクトが現れ、合成画像であることが証明される。例えば、アポロ11号の写真AS11-44-6642をフォトショップで加工すると、「地球」が追加された部分にはっきりとした分離線が見られる。別の例としては、アポロ17号の画像AS17-134-20471がある。この画像は、拡大・編集すると「地球」の周囲に紛れもない長方形のアーチファクトが現れ、別の加工された合成写真であることが証明されている。
11. アポロ16号のオリジナル写真AS16-107-17446には、「C」の文字がはっきりと刻まれた岩と、その隣の土に描かれた別の「C」がある。これはデザイナーが小道具を各々適切なポジションに配置して舞台を演出するためによく使用される業界で周知されている印であり、偽の岩がセッティングされている明らかな特徴であり、当然それらが月で発見された類のものでない。このことが発覚した後、NASAは公式版の写真から2つのCの部分を加工したが、オリジナルの写真のコピーは今でもオンラインで入手できる。
12. アポロ計画で撮影されたいくつかのビデオ映像には、宇宙飛行士がワイヤーを使って無重力状態を作り出していた痕跡がある。アポロ14号では、バックパックに取り付けたワイヤーに光が反射してるのがちらっと見える場面が何度もあった。アポロ17号の国旗掲揚の場面で、2人の宇宙飛行士が握手をしようとした瞬間、2人のバックパックの上部からスクリーンの上部まで伸びているワイヤーに光が当たる。アポロ16号のミッション中、宇宙飛行士の一人が転倒したとき、彼はワイヤーで持ち上げられたとしか思えないようなあり得ないほど不自然な方法で、すぐに起き上がった。
13. より明白な映像の異常のひとつは、いくつかのアポロ・ミッションで、存在しない宇宙風にアメリカ国旗がはためく様子が映し出されていることだ。月には大気がないはずなので、旗は完全に静止しているはずなのだが、騒々しく動いているのがよく見える。NASAは、宇宙飛行士が旗の設置を整えた時に触れたことが原因ではないかと主張しているが、宇宙飛行士が旗に触れることも、近づくこともなく、旗が長時間揺れ続けていることから、そうではないことは明らかである。
14. NASAのアポロ映像を倍速で再生し、宇宙飛行士たちが小さな砂丘バギーで歩いたり、走ったり、ジャンプしたり、クルージングしたりする様子を見ると、もうひとつ興味深い映像の異常が発見できる。速度調整なしだと、宇宙飛行士はゆっくりと滑らかに浮遊し、漂い、滑空しているように見えるため、「低重力」錯覚が生じるが、いったん倍速で見られると、彼らが通常の速度で歩き、走り、ジャンプし、巡航している「通常重力」にあることが明らかになる。NASAは撮影後の編集作業で再生速度を50%落としただけで、それらしく演出しているのだ。
15.もう一つのNASAの重大なミスは、星が背景にあるはずだが、真っ黒になっていることだ。 おそらく、月から見えるはずの正確な星図を偽造するのは不可能に近いからだろう。異なるミッションに参加した宇宙飛行士たちの自伝やインタビューでの証言では、「驚くほど輝く星の光」を自慢する者もいれば、「月面にいる間に星を1つも見た覚えがない」と言う者もいて、さらに混乱を招いている!このような一貫性のない証言や、NASAの月面の写真に、適切な位置に星が写っていないという事実は、スタジオの捏造を証明する強力な証拠である。
16. NASAの画像AS11-40-5922(アポロ11号の月着陸船と思われる)をまともに見れば、1969年製の薄っぺらな画用紙、金箔、スコッチテープ、60本の金属製シャワー棒を使って "ハイテクに見える "装置を作ろうとした哀れな試みがわかるだろう。このNASAの公式写真に写っているガラクタが月まで飛んで往復したという考えは、あまりに滑稽で笑ってしまう。しかし、NASAの公式代表者であり宇宙飛行士でもあるドン・プティは、この1969年のテクノロジーは非常に高度なものであり、年間数十億ドルの予算を使っても、現在ではどうしても再現できないと断言している。偏見のない視聴者の多くは、平均レベルの高校の美術の授業なら、さほど苦労することなくこの仕掛けを組み立てることができると考えるだろう。「ナノ秒で月にもう一度行きたいくらいだ。でもNASAが破壊してしまったし、それを再度組み立てるのはちょっと難しすぎるし色々お金の問題もあるからね。」とドンは言い訳している。
アポロ11号のミッション・コントローラーであるハロルド・ローデンの言葉を引用すると、「乗員室の壁は非常に薄かった。これは軽量化のためだ。本当に指で強く突けば、宇宙船の外壁を突き破ることができた。アルミホイルを2枚重ねたくらいの厚さだった」。プロジェクト・マネージャーのトーマス・ケリーは、「乗員室のアルミニウム合金の表皮の厚さは約1000分の12インチで、台所で使うレイノルズ・ラップの3層分に相当する。」と述べた。アポロ宇宙飛行士のジム・ラベルは、「月着陸船の模型を見るたびに、外壁側面が硬くて本当に丈夫そうに見えた。だが月着陸船の外部は、実際にはマイラーとセロハンでできていて、61本のスコッチテープとホッチキスで組み立てられていることがわかった。ドライバーを落とすと床を突き破ってしまうので、床にはパッドを敷いてた。」
17. アポロ11号の画像AS11-40-5926には、月着陸船のフットパッドの拡大されたものが写っているが、そこには塵ひとつなく、10,000ポンドの噴射装置の下には焼け跡もクレーターもなく、まるでLEMが天井クレーンでそっと定位置に降ろされたかのようである。NASAの科学者たちは、自らの巨大な燃焼半径に着陸船が落ち込むことを心配していた。しかし、焼け跡もなく、パッドも汚れていない。宇宙飛行士の靴跡も地面に深く刻まれたが、着陸船の2,500ニュートンの推力はなぜか跡形もなく、爆風穴もパッド上の痕跡すらもなかった。
18. アポロ11号のミッション中、リチャード・ニクソンはワシントンD.C.から "月 "にいるニール・アームストロングに歴史的な電話をかけて、それはテレビで放映された。AT&Tのアーカイブによれば、この通話は「ワシントンD.C.の大統領執務室からヒューストンに送られ、そこでカプセル通信機を通じてミッション管制室経由で宇宙に送られた」。今日の遥かに優れた電気通信技術をもってしても、そして遥かに短い距離であっても、双方向で少なくとも数秒の遅延が生じる。しかし、ニクソンとアームストロングが話したときには、何の遅れもなかった。
19. ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが世界中の博物館に寄贈した、「月」の石とされるものの数々を調べることで、NASAの嘘についてもうひとつの確かな証拠が得られた。アポロ11号ミッション成功の直後、私立探偵のポール・ジェイコブスは、米国地質学局の局長に月の岩石を調査したかどうか、そしてその真偽を確認できるかどうかを尋ねたところ、その地質学者はただ笑って、米国政府による捏造だとほのめかしたと報告している。さらに最近では、2009年にアムステルダムのライクスミュージアムの学芸員が、1969年にアームストロングとオルドリンから個人的に贈られた「月の石」を調査したが、実際には地球から来た無価値な石化した木片であることが判明した。
20. ビデオ記録全体が詐欺に満ちているだけでなく、情報公開の要求を何年も無視してきたNASAは2001年、ついに公式に、オリジナルのアポロ11号のビデオはすべて、誰も解析できないように都合よく記録から消えてしまったと主張した!彼らは300億ドル以上を費やし、10年間絶え間ない準備を続け、人類史上最も歴史的な偉業に成功したが、誤って証拠映像を「紛失」してしまったと信じさせたいのだろう。テレビに映し出されたあのぼやけた幽霊のような白黒映像は、NASAが当時、すべてのテレビ局はオペレーション・ルームの大型スクリーン・ディスプレイから直接放送しなければならないと義務付けたため、大手ネットワーク全てはこれを受諾しわざとお粗末なものにした。そのため、一般の人々が目にしたのは、ただ粗末に拡大された映像であり、今ではオリジナルを見たり調べたりすることは不可能にしていたわけだ。アポロ11号の映像が消えただけでなく、NASAはアポロミッションのオリジナルの音声テープをすべて紛失したと主張している。また、NASAの請負業者は月探査車、イーグル月面着陸船、アポロ船のエンジンの印刷物や設計図をすべて紛失したという!これでは、証拠を見せろと言われて小学生が犬に宿題を食べられたと言い訳してるのと変わらない。
NASAには怪しい不正行為が多過ぎるゆえ、いわゆる "月面着陸 "を正直に公平に調査すれば、誰もが紛れもない同じ結論、ハリウッド映画の技術を駆使して作成された偽造演出であるという結論に達するのである。
なぜ平らな地球について嘘をつくのか?
あからさまなNASAの嘘や明らかな球体の矛盾に直面したとき、よくある質問の第1位は間違いなく、「でも、なぜ地球の形について嘘をつくのだろう!」である。私たちの故郷なる世界の真実を覆い隠そうとする、何世代にもわたる世界規模の陰謀が何のために存在するのだろうか?なぜNASAは何十億ドルもかけてロケットを作り、宇宙について人々に嘘をつくのか?平らな地球を隠すことにいったい何の意味があるのか?
そもそも、この質問をされるほとんどの人は、嘘の作成や維持に直接関与しているわけではないので、まったく関与していない当事者から動機について明確な答えを求めることは不可能である。誰かが嘘をつくとき、その動機や本当の内心は、その人だけが知っている。嘘をつかれた人は、嘘をついた人の行動の理由を推理したり推測したりすることができるが、最終的にその情報は嘘をついた人自身によってのみ明らかにされる。私たちフラットアース探求者は、この状況を生み出した詐欺集団本人ではないので、それら嘘つきたちの心に入り込むくらいでしか、このような質問に適切に答えることはできない。
他人の心理状態や動機について、無関係の当事者に尋ねることが実りのない、不可能な試みであることは明らかなはずだが、ではなぜ、誰かが地平派である度に、上記の問いかけが普遍的に最もよく聞かれる質問の第1位なのだろうか?この質問にはほとんどの場合、にやにや笑ったり、不敵に笑ったり、目を丸くしたり、あからさまに笑ったりすることが伴う。この質問をする人の大半は、このテーマについて実際に調査したわけでもなく、無関係の人間が他人の動機を知ることができないことを十分承知している。したがって、よく繰り返されるこの「でも、なぜ彼らは嘘をつくのだろう」という膝を打つような言い回しは、純粋な質問というよりも、彼らが嫌味な挑発的な自己防衛本能を抱いているのだ。
世界各国の政府が嘘をついていることを証明する無数の証拠や実験を調査する義務を果たすことなく、なぜ嘘をつくのかと執拗に尋ねるのは、目を閉じたまま血まみれの殺人現場に遭遇し、犯人の動機が理解できないためにそれが起こったと信じようとしないようなものだ。誰かが自分の主観的な感性に適した理由を提示するなら、そのとき初めて目を開けて、明らかな殺人事件を調査することができるだろうか平面地球派の人たちは、犯罪現場で証拠を集め、写真を撮り、証拠を分類する上級刑事のようなものだ。一方で無知な地球儀擁護派は、まるで独りよがりの新人が遅れてやってきて、私たちが見ている現場が間違っていると主張するようなものだ。
そもそも、この質問をされるほとんどの人は、嘘の作成や維持に直接関与しているわけではないので、まったく関与していない当事者から動機について明確な答えを求めることは不可能である。誰かが嘘をつくとき、その動機や本当の内心は、その人だけが知っている。嘘をつかれた人は、嘘をついた人の行動の理由を推理したり推測したりすることができるが、最終的にその情報は嘘をついた人自身によってのみ明らかにされる。私たちフラットアース探求者は、この状況を生み出した詐欺集団本人ではないので、それら嘘つきたちの心に入り込むくらいでしか、このような質問に適切に答えることはできない。
他人の心理状態や動機について、無関係の当事者に尋ねることが実りのない、不可能な試みであることは明らかなはずだが、ではなぜ、誰かが地平派である度に、上記の問いかけが普遍的に最もよく聞かれる質問の第1位なのだろうか?この質問にはほとんどの場合、にやにや笑ったり、不敵に笑ったり、目を丸くしたり、あからさまに笑ったりすることが伴う。この質問をする人の大半は、このテーマについて実際に調査したわけでもなく、無関係の人間が他人の動機を知ることができないことを十分承知している。したがって、よく繰り返されるこの「でも、なぜ彼らは嘘をつくのだろう」という膝を打つような言い回しは、純粋な質問というよりも、彼らが嫌味な挑発的な自己防衛本能を抱いているのだ。
世界各国の政府が嘘をついていることを証明する無数の証拠や実験を調査する義務を果たすことなく、なぜ嘘をつくのかと執拗に尋ねるのは、目を閉じたまま血まみれの殺人現場に遭遇し、犯人の動機が理解できないためにそれが起こったと信じようとしないようなものだ。誰かが自分の主観的な感性に適した理由を提示するなら、そのとき初めて目を開けて、明らかな殺人事件を調査することができるだろうか平面地球派の人たちは、犯罪現場で証拠を集め、写真を撮り、証拠を分類する上級刑事のようなものだ。一方で無知な地球儀擁護派は、まるで独りよがりの新人が遅れてやってきて、私たちが見ている現場が間違っていると主張するようなものだ。
平面地球論者は、この不適切な質問に対して決定的な答えを出すことは期待できないが、その理由や根拠を推測することはできる。「NASAをはじめとする政府宇宙機関なぜこのような欺瞞に何十億ドルも費やすのか」という具体的な疑問について少し考えればわかることは、これらの組織がそれぞれの国の納税者の懐から取り出した資金によって運営されていることに留意すべきである。言い換えれば、これらの政府宇宙機関は、国民が強制的に払わされている数十億ドルを毎年自由に受け取っているのだ。NASAだけでも、2022年には240億ドルものアメリカ国民の税金を受け取っており、これは毎日6500万ドル以上に相当する!NASAをはじめとする政府の宇宙機関は、現存する最大の闇金事業の穴のひとつであり、何十年にもわたって何兆ドルもの資金を吸い上げ、陳腐な海に打ち上げられるロケットやテレビで放映されるCGIアニメを我々に提供している。この幻想を維持するのにそれほど多額の費用は必要ではないはずで、非現実的な高額案件宇宙開発事業というよりは、実際には信じられないほど儲かる詐欺のようなものなのだ。
しかし、単に生産的な金儲けであるだけでなく、「宇宙」という概念全体が、地球球体説やビッグバンとともに、神やインテリジェント・デザインという考えを排除し、無秩序な偶然の一致に置き換えた虚無主義的な唯物論的世界観を生み出し、促進してきた。人間は目的を持った創造主によって意図的に創造されたのではなく、地球は知的な設計者によって理知的に設計されたのでもなく、生命も自然も他のすべてのものも、すべて無為に、偶然に存在するようになったと言われている。時間、空間、物質、意識、知性、生命の前には、まったく何もなかったと言われている。そして一瞬にして、何の理由もなく、無が爆発し、他の爆発のように物を破壊するのではなく、この爆発が物を創造し、そして、140億年以上もの間、時速6億7000万マイルで外に向かって発射された原始スープや何かの残骸が最終的に融合し、すべて時空宇宙万物が誕生したことになっている!まず、気体状の無が集まって太陽や星を形成し、次に無の固まりが集まって惑星や月を形成し、無から水素と酸素が集まって無の惑星地球に水を作り、そこから魔法のように単細胞生物が現れ、 多細胞の意識ある生物へと分裂し、増殖し、突然変異を起こし、様々な形態の海洋生物へと変化し、適応し、進化し、陸に這い上がり、エラを肺に入れ替えた後、尻尾を失い、使い捨ての親指が生えたといった藁にもすがる何でもあり状態で都合よく空理空論のビッグバン進化論が生じたことになっている。
この反神、反霊的、唯物論的進化論は、世界中の学校で福音的真理として教えられ、150年以上にわたって「科学」の無謬性によって固く守られてきたが、実際のところ、「科学」が地球が太陽の周りを回る球であるという有効な証拠をひとつも見つけることができなかったように、科学者も物質世界が本当に偶然の進化の産物であるという証拠をひとつも見つけることができなかった。しかし、子どもたちはいまだに、私たちは理由もなく無から生まれ、将来太陽が燃え尽きれば私たちは皆滅亡し、私たちが築いたものすべてが破壊されると教えられている。この運命論的、虚無主義的、唯物論的な創造と破壊の物語は、科学的真理を装った正真正銘の無神論的宗教を作り上げた。地球を宇宙の静止した中心から外すことで、彼らは物理的にも形而上学的にも、私たちを至上の重要な場所からまったく無関心な場所へと移動させたのだ。もし地球がすべての創造の中心であるならば、それは私たちの故郷と、知的設計者の設計の中で最も知的な私たちにとって特別な意味を持つことになる。しかし、もし地球が何十億もの銀河の中で何十億もの星の周りを回っている何十億もの惑星のひとつに過ぎないのであれば、神や創造や 人類が存在する特別な目的といった考え方は、非常にあり得ないものになってしまう。この無神論的、虚無主義的、唯物論的なパラダイムは、信仰者を精神的に押しつぶすと同時に、彼らのエゴを強化し、奮い立たせる。なぜなら、もし彼らに崇高な目的がなく、誰もがただの偶然であり、太陽が燃え尽きるときにすべてが終わり、人生で本当に重要なのは、自分たちだけだからだ。この反スピリチュアルな宗教に洗脳されることで、信者は物質世界を超えるものへの信仰を失い、物質的な少年少女となり、欲望に忠実身勝手な快楽主義の消費者となる。人類の本当のあるべき姿を根こそぎ奪い取られて、誤った方向性を植え付けられた人々は、どこまでも迷い込んでしまうだろう。
しかし、この球体欺瞞に明らかに乗せられていないのが、南極大陸と北極である。なぜなら、南極大陸は他のすべての大陸を取り囲み、その周囲に広がる高台の外縁であり、北極はすべてのコンパスが指し示す世界の中心点であり、天空で唯一の恒星である北極星の真下だからである。しかし、地球の平面を自転で傾いた惑星に変えてしまったことで、南極や北極に本来備わっていた特別な意味は事実上なくなってしまった。地球儀の上では、すべての位置が等しく重要であるため、北極はもはや中心ではなく、南極はボールの底にある小さな氷の大陸にすぎない。興味深いことに、地球儀の欺瞞が定着する前の古代の世界地図には、実際に両方の地域に余分な土地が描かれていた。北極には、渦巻きに囲まれた磁気を帯びたロドストン・マウンテンがあり、4つの島からなる大陸があり、4つの川によって隔てられていた。ゲラルドゥス・メルカトルの地図に添え書きされているのと同じく、ピュテアス、ストラボ、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス、聖ブランダン、ブレーメンのアダム、パウルス・ディアコヌス、ウェールズのジェラルド、ニコラス・ド・リン、ヤコブス・クノイエン、アンソニー・ジェンキンソン、ヨハネス・ルイシュ、オラウス・マグヌスなど、多くの古代の探検家、地図製作者、歴史家の証言によれば、これらの土地には巨人やピグミー族が住んでいたとされている。しかし、地球儀の欺瞞が定着して以来、これらの場所は現代の地図から完全に消えてしまった。同様に古代の地図では、南極大陸は現在よりもはるかに多くの国土を持ち、多くの地図には南極大陸の先にさらに大陸が描かれていた。リチャード・バーグ海軍士官はテレビの生中継で、南極大陸の向こうの手付かずの土地には未踏の膨大な資源があると主張し、『極地を越えた世界』や『鉄の共和国』のような本には、南極の南に文明全体が存在すると書かれている。地球を球体化することで、これらの潜在的な余剰土地、資源、文明は、文字通り存在する場所がなくなり、大衆の頭から概念的に消去された。その効果は、映画『トゥルーマン・ショー』に登場する勇敢な若きトゥルーマンが、教師から「もう手遅れだ、どこもかしこもすでに探検済みだ」と言われたときに似ている。一瞬にして、その間違った情報によって、彼の冒険心は打ち砕かれ、新しい発見はどこにもないと確信する。
要約すれば、この地球儀の嘘は本質的に、想像しうる最大かつ最も根本的な欺瞞であり、人々を足元の安定した水平な地球から根こそぎ精神まで取り除き、ボール状に成形し、太陽の周りに投げつけるものなのだ。人類は、偶然に理由もなくすべてを創造した、広大で盲目的で間抜けな宇宙で制御不能のまま空回りし、やがて隕石衝突や超新星によって吹き飛ばされる。すべての創造は物質的なプロセスで説明され、スピリチュアルなものは科学以前の時代の風変わりな遺物にすぎない。地球上のあらゆる場所はすでに探査されており、私たちの唯一の希望は、NASAやその他の宇宙機関に年間数十億ドル以上の資金を注ぎ込み、CGI火星のような他の球惑星に連れて行ってもらうことだ。本質的に、彼らは科学主義という新しい世界宗教を作り上げ、創造と破壊の物語、予言者と予言を揃えることで、人生の目的や高次の力を排除し、ランダムな無意味な爆発に置き換えたのだ。いわゆる "科学者 "は、新しい世界宗教の新しい司祭となり、今や従順な大衆は、支配層が彼らのために作るどんな未来に向かっても、歩調を合わせて歩く。
なぜ「地球は平らだ」という内部告発者はいないのか?
地球が傾いたり、ぐらついたり、回転したりする空想的な宇宙球ではないという客観的で実証可能な経験的証拠を突きつけられたとき、地球儀擁護派が一貫して突き返すのは、「もし平らな地球を守る人たちが提示している証拠が真実なら、なぜこの陰謀の母を暴露する内部告発者が一人も出てこないのか」ということである。NASAが何十年にもわたり雇用してきた何十万人もの人々のうち、一人も名乗り出てデマを認めないということがあり得るだろうか?ロシア、中国、日本、その他すべての政府宇宙機関、スペースX、ヴァージン・ギャラクティック、ブルー・オリジン、その他企業の宇宙事業についてはどうなのか?もし地球が球体でなく、私たちが月に行ったこともないのなら、なぜこれらの政府や企業は互いにタレこんで、この大ウソを大衆に暴露しないのだろうか?
この質問をしている人たちがまず認識しなければならないのは、すべての政府や企業は、区分化された階層的なピラミッド型の構造で組織されており、そこで雇用されている人たちの大半は、上層部から非常に内密の外部に特異な仕事を任されているということだ。この質問をしている人たちがまず認識しなければならないのは、すべての政府や企業は、区分化された階層的なピラミッド型の構造で組織されており、そこで雇用されている人たちの大半は、それを知ることで利得を得ることが得きる人たちだけ構成されており、上層部から非常に特殊な仕事を任されているということだ。ピラミッドの頂点に立つ社長、CEO、その他の権力者エリートだけが、組織内で実際に起こっていることを完全に把握し、コントロールしている。数字を計算する数学者、人工衛星を建設するエンジニア、機器を製造する請負業者、そして打ち上げや着陸が成功するたびに大きなメディアでハイタッチをするアポロ管制センターの人々に至るまで、これらの人々はすべて高度に専門化された仕事に区分けされており、役員室で何が起こっているのか、これらの企業の真の内情についてはまったく知らない。「宇宙」の分野で働く人々の大多数は、ロケットで飛び立ったこともなければ、雇用によって与えられた特別な知識もないため、暴露したり内部告発したりすることもできない。つまり、これらの従業員は、騙されやすい一般の人々と同じように騙され、提示されたシナリオを信じているだけなのだ。
この質問をする人たちが一般的に気づかない第二のことは、世界における秘密結社の普及と効力、彼らが行使する支配力の大きさ、悪意のある秘密主義への宣誓への献身度、そして、いわゆる「陰謀論」と呼ばれるもののうち、どれだけのものが実際に正当な陰謀の実態であるかということである。私の前著『アトランタの陰謀』、『平らな地球の陰謀』、『フラットランティス』を読んだことのある人なら、フリーメイソンやイエズス会のような秘密結社がいかにしてこのような陰謀を生み出し、支配しているかということと共に、多くの主流メディアの作り話に対抗するこれらの陰謀を証明する研究や豊富な証拠が存在することをよくご存知だろう。例えば、世界最古にして最大の秘密結社であるフリーメイソンが、ほとんどすべての国に存在し、世界中に500万人以上の会員がおり、全員が血の誓いを交わし、すべての学位において秘密を守ることを誓っていることを、ほとんどの人は知らない。彼らは、ジョン・ロビソンやキャプテン・モルガンのようなメイソンが実際に内部告発をし、メイソンの秘密を暴露した本を出版した後に究極の代償を払ったことを知らない。例えば、NASAが宇宙に送ったと主張する宇宙飛行士のほぼ全員が、実はフリーメーソンであることも知らない。
米国上院議員を2度務め、NASA初の宇宙飛行士の一人であるジョン・グレンは、メイソンとして知られている。月面を歩いたと嘘をついた2人目の男、バズ・オルドリン・ジュニアは、ニュージャージー州のモントクレア・ロッジNo.144の公認の、指輪をはめ、ハンドサインでサブリミナルメッセージを送ってくる33階級メイソンである。アポロ14号で月面を歩いたとされるエドガー・ミッチェルもまた、ニューメキシコ州のアルテスタ・ロッジ第29号でデモレイ・メーソン騎士団を務めている。アポロ15号のジェームス・アーウィンは、月面を歩いたと嘘をついた最後の男で、コロラド・スプリングスのテジョン・ロッジ104号のメンバーだった。アポロ7号のドン・アイゼルは、オハイオ州のルーサー・B・ターナー・ロッジ732号の会員だった。マーキュリー9号とジェミニ5号に搭乗したゴードン・クーパーは、コロラド州のカーボンデール・ロッジ第82号のマスター・メーソンであった。アポロ1号、マーキュリー5号、ジェミニ3号に搭乗したバージル・グリッソムは、インディアナ州のミッチェル・ロッジ第228号のマスター・メーソンであった。アポロ7号、シグマ7号、ジェミニ6号、マーキュリー8号に搭乗したウォルター・シラJr.は、フロリダ州のカナベラル・ロッジ339号の33階級メイソンであった。アポロ10号と18号、ジェミニ7号と9号に搭乗したトーマス・スタッフォードは、オクラホマ州のウェスタン・スター・ロッジ第138号のメイソンである。スカイラブ2号とチャレンジャー号に搭乗したポール・ワイツは、ペンシルベニア州のローレンス・ロッジ第708号の出身。NASAの宇宙飛行士ニール・アームストロング、アレン・シェパード、ウィリアム・ポーグ、バンス・ブランド、アンソニー・イングランドは全員、父親がフリーメイソンであり、アポロ計画中のNASAの責任者であったC.フレッド・クラインクネヒトは、その直後にフリーメイソンリーのスコティッシュ・ライト第33ディグリーの総司令官になった!フリーメーソン、あるいはフリーメーソンの家系であることが判明している宇宙飛行士の数は、偶然の一致では説明できる範疇ではないため、縦社会の中で生きる世の中の仕組みをある程度知っている懐疑論者であれば誰でも深刻な疑念を抱くはずだ。
この質問をする人々が考慮し、調査すべき最後のポイントは、実際にこのようなリークや内部告発がすでに何件もあったという事実である!ほとんどの球体擁護者は、このテーマについて調査するためのデューデリジェンスを行っておらず、主流メディアによって広く報道されていないことがあれば、それは起こらなかったと思い込んでいるだけなのだ。NASAのシニア・プログラム・アナリストであり、データ・ビジュアライザーの主任、別名 "ミスター・ブルー・マーブル "として知られるロバート・シモン氏は、NASAの地球画像がいかに撮影されたものではなく、実際にはフォトショップで加工されたものであり、完全にCGIの芸術性によって作成されたものであるかをインタビューで暴露した。「私の仕事は主に仕切られたデータを取得し、それを写真にすることです。」彼はインタビューで、「地球はフォトショップで加工されていますが、そうしなければならないのです 。」と語った。超写実主義者の画家であり、元NASAの業務用グラフィックス・マネージャーであると主張する声高なフラットアース論者であるマシュー・ボイランもまた、NASAの唯一の存在理由は大衆へのプロパガンダであり、誤った地動説の宇宙モデルを宣伝することであると内部告発している。彼は、地球、星、惑星の画像をフォトショップで加工するさまざまな取り組みを行ってきたと主張し、NASA職員との会合での逸話を語っている。そこでは、彼らはデマ全体を公然と認め、テレビを疑うことなく信じる洗脳されたゾンビたちを大笑いしていた。ソ連の英雄勲章を授与されたソ連の宇宙飛行士イーゴリ・ペトロヴィッチ・ヴォルクは、2014年のブルガリア・ニュース7の生放送のテレビインタビューで、「我々は宇宙に行ったことがないのだから、誰かがそう主張しても、それは真実ではない」と明言した。バズ・オルドリンは、2015年にワシントンDCで開催されたナショナル・ブック・フェスティバルで、8歳の少女ゾーイとの会話の中で、"なぜこんなに長い間、誰も月に行っていないのですか?"と質問された。しばらく間を置いてから、彼はこう尋ねた。「8歳の子供の質問ではない。私も疑問に思ってるよ。知りたいんだ。でも、私は知っていると思う。私たちはそこに行かなかったから。そして、そうなった。もしそうならなかったのなら、なぜそうならなかったのかを知るのはいいことだ。だから今後、何かを続けたいなら、過去に続けたかったことがなぜ中断されてしまったかを知る必要がある。」と答えた。さらに最近では、2019年のテレビの生放送のインタビューで、ポーランド最初で最後の宇宙飛行士であり国民的英雄であるミロスワフ・ヘルマゾフスキが、宇宙飛行から40年後に "あなたはそこに行ったことがありますが、地球は本当に宇宙空間にぶら下がっている球体なのですか?"と質問され、衝撃的な答えを返した。彼は衝撃的にもこう答えた。"何人かが疑っているように、地球は平らです。この質問は予想外でしたが、平らだと断言します。"
この質問をしている人たちがまず認識しなければならないのは、すべての政府や企業は、区分化された階層的なピラミッド型の構造で組織されており、そこで雇用されている人たちの大半は、上層部から非常に内密の外部に特異な仕事を任されているということだ。この質問をしている人たちがまず認識しなければならないのは、すべての政府や企業は、区分化された階層的なピラミッド型の構造で組織されており、そこで雇用されている人たちの大半は、それを知ることで利得を得ることが得きる人たちだけ構成されており、上層部から非常に特殊な仕事を任されているということだ。ピラミッドの頂点に立つ社長、CEO、その他の権力者エリートだけが、組織内で実際に起こっていることを完全に把握し、コントロールしている。数字を計算する数学者、人工衛星を建設するエンジニア、機器を製造する請負業者、そして打ち上げや着陸が成功するたびに大きなメディアでハイタッチをするアポロ管制センターの人々に至るまで、これらの人々はすべて高度に専門化された仕事に区分けされており、役員室で何が起こっているのか、これらの企業の真の内情についてはまったく知らない。「宇宙」の分野で働く人々の大多数は、ロケットで飛び立ったこともなければ、雇用によって与えられた特別な知識もないため、暴露したり内部告発したりすることもできない。つまり、これらの従業員は、騙されやすい一般の人々と同じように騙され、提示されたシナリオを信じているだけなのだ。
この質問をする人たちが一般的に気づかない第二のことは、世界における秘密結社の普及と効力、彼らが行使する支配力の大きさ、悪意のある秘密主義への宣誓への献身度、そして、いわゆる「陰謀論」と呼ばれるもののうち、どれだけのものが実際に正当な陰謀の実態であるかということである。私の前著『アトランタの陰謀』、『平らな地球の陰謀』、『フラットランティス』を読んだことのある人なら、フリーメイソンやイエズス会のような秘密結社がいかにしてこのような陰謀を生み出し、支配しているかということと共に、多くの主流メディアの作り話に対抗するこれらの陰謀を証明する研究や豊富な証拠が存在することをよくご存知だろう。例えば、世界最古にして最大の秘密結社であるフリーメイソンが、ほとんどすべての国に存在し、世界中に500万人以上の会員がおり、全員が血の誓いを交わし、すべての学位において秘密を守ることを誓っていることを、ほとんどの人は知らない。彼らは、ジョン・ロビソンやキャプテン・モルガンのようなメイソンが実際に内部告発をし、メイソンの秘密を暴露した本を出版した後に究極の代償を払ったことを知らない。例えば、NASAが宇宙に送ったと主張する宇宙飛行士のほぼ全員が、実はフリーメーソンであることも知らない。
米国上院議員を2度務め、NASA初の宇宙飛行士の一人であるジョン・グレンは、メイソンとして知られている。月面を歩いたと嘘をついた2人目の男、バズ・オルドリン・ジュニアは、ニュージャージー州のモントクレア・ロッジNo.144の公認の、指輪をはめ、ハンドサインでサブリミナルメッセージを送ってくる33階級メイソンである。アポロ14号で月面を歩いたとされるエドガー・ミッチェルもまた、ニューメキシコ州のアルテスタ・ロッジ第29号でデモレイ・メーソン騎士団を務めている。アポロ15号のジェームス・アーウィンは、月面を歩いたと嘘をついた最後の男で、コロラド・スプリングスのテジョン・ロッジ104号のメンバーだった。アポロ7号のドン・アイゼルは、オハイオ州のルーサー・B・ターナー・ロッジ732号の会員だった。マーキュリー9号とジェミニ5号に搭乗したゴードン・クーパーは、コロラド州のカーボンデール・ロッジ第82号のマスター・メーソンであった。アポロ1号、マーキュリー5号、ジェミニ3号に搭乗したバージル・グリッソムは、インディアナ州のミッチェル・ロッジ第228号のマスター・メーソンであった。アポロ7号、シグマ7号、ジェミニ6号、マーキュリー8号に搭乗したウォルター・シラJr.は、フロリダ州のカナベラル・ロッジ339号の33階級メイソンであった。アポロ10号と18号、ジェミニ7号と9号に搭乗したトーマス・スタッフォードは、オクラホマ州のウェスタン・スター・ロッジ第138号のメイソンである。スカイラブ2号とチャレンジャー号に搭乗したポール・ワイツは、ペンシルベニア州のローレンス・ロッジ第708号の出身。NASAの宇宙飛行士ニール・アームストロング、アレン・シェパード、ウィリアム・ポーグ、バンス・ブランド、アンソニー・イングランドは全員、父親がフリーメイソンであり、アポロ計画中のNASAの責任者であったC.フレッド・クラインクネヒトは、その直後にフリーメイソンリーのスコティッシュ・ライト第33ディグリーの総司令官になった!フリーメーソン、あるいはフリーメーソンの家系であることが判明している宇宙飛行士の数は、偶然の一致では説明できる範疇ではないため、縦社会の中で生きる世の中の仕組みをある程度知っている懐疑論者であれば誰でも深刻な疑念を抱くはずだ。
この質問をする人々が考慮し、調査すべき最後のポイントは、実際にこのようなリークや内部告発がすでに何件もあったという事実である!ほとんどの球体擁護者は、このテーマについて調査するためのデューデリジェンスを行っておらず、主流メディアによって広く報道されていないことがあれば、それは起こらなかったと思い込んでいるだけなのだ。NASAのシニア・プログラム・アナリストであり、データ・ビジュアライザーの主任、別名 "ミスター・ブルー・マーブル "として知られるロバート・シモン氏は、NASAの地球画像がいかに撮影されたものではなく、実際にはフォトショップで加工されたものであり、完全にCGIの芸術性によって作成されたものであるかをインタビューで暴露した。「私の仕事は主に仕切られたデータを取得し、それを写真にすることです。」彼はインタビューで、「地球はフォトショップで加工されていますが、そうしなければならないのです 。」と語った。超写実主義者の画家であり、元NASAの業務用グラフィックス・マネージャーであると主張する声高なフラットアース論者であるマシュー・ボイランもまた、NASAの唯一の存在理由は大衆へのプロパガンダであり、誤った地動説の宇宙モデルを宣伝することであると内部告発している。彼は、地球、星、惑星の画像をフォトショップで加工するさまざまな取り組みを行ってきたと主張し、NASA職員との会合での逸話を語っている。そこでは、彼らはデマ全体を公然と認め、テレビを疑うことなく信じる洗脳されたゾンビたちを大笑いしていた。ソ連の英雄勲章を授与されたソ連の宇宙飛行士イーゴリ・ペトロヴィッチ・ヴォルクは、2014年のブルガリア・ニュース7の生放送のテレビインタビューで、「我々は宇宙に行ったことがないのだから、誰かがそう主張しても、それは真実ではない」と明言した。バズ・オルドリンは、2015年にワシントンDCで開催されたナショナル・ブック・フェスティバルで、8歳の少女ゾーイとの会話の中で、"なぜこんなに長い間、誰も月に行っていないのですか?"と質問された。しばらく間を置いてから、彼はこう尋ねた。「8歳の子供の質問ではない。私も疑問に思ってるよ。知りたいんだ。でも、私は知っていると思う。私たちはそこに行かなかったから。そして、そうなった。もしそうならなかったのなら、なぜそうならなかったのかを知るのはいいことだ。だから今後、何かを続けたいなら、過去に続けたかったことがなぜ中断されてしまったかを知る必要がある。」と答えた。さらに最近では、2019年のテレビの生放送のインタビューで、ポーランド最初で最後の宇宙飛行士であり国民的英雄であるミロスワフ・ヘルマゾフスキが、宇宙飛行から40年後に "あなたはそこに行ったことがありますが、地球は本当に宇宙空間にぶら下がっている球体なのですか?"と質問され、衝撃的な答えを返した。彼は衝撃的にもこう答えた。"何人かが疑っているように、地球は平らです。この質問は予想外でしたが、平らだと断言します。"
なぜ平らな地球の写真がないのか?
地球儀信者からよく聞かれる奇妙で紛らわしい質問のひとつに、"なぜ平らな地球を写した写真がないのか?"というものがある。彼らが言いたいのは、NASAの画像が球体全体を写しているのと同じように、平らな地球全体を1つのフレームで写している "宇宙 "から撮影された写真がなぜないのかということだ。そもそも、地球平面がどこまで外側に広がっているのか、端で終わっているのか、何らかの障壁があるのか、それとも無限に広がっているのか、私たちは知っているふりはしていない。したがって、地球儀信者がこの質問をするとき、彼らは平らな地球がNASAが地球儀を提示するのと同じように宇宙に浮かんでいる物体にすぎないという仮定をしていることになる。The Flat Earth Society(地球平面協会)などのでっちあげ捏造係の門番たちによって、宇宙空間に浮かぶ愚かな平らな地球の漫画がたくさん描かれているが、これらの画像は本物の地球儀懐疑論者の主張を代弁するものではない。私たちは、客観的かつ経験的な手段によって、地球が曲率のない静止した水平面であることを実証し、一般的な地球儀説が科学的に不可能であることを証明するだけである。
「なぜ平らな地球の写真がないのか」という疑問は実に奇妙で紛らわしい。というのも、これまで撮影された地球の写真はすべて、曲率や球形は少しもなく、完全に平らな地平線が四方八方に広がっているのを写しているからだ。唯一の例外は、Go Proが使用するような魚眼レンズを使った捏造写真や、NASAが作成したようなCGI合成写真だ。魚眼レンズを使わずに撮影された実際の写真はすべて、地球が水平面であることを示している。アマチュアのロケットや気球が到達する限界高度でさえ、水平線は平らなまま、観測者の目線まで上昇する。これは、地上レベルでも見かけ上、容易に可視化できる一定の曲率の比率を伴う地球では物理的に不可能なことである。
「なぜ平らな地球の写真がないのか」という疑問は実に奇妙で紛らわしい。というのも、これまで撮影された地球の写真はすべて、曲率や球形は少しもなく、完全に平らな地平線が四方八方に広がっているのを写しているからだ。唯一の例外は、Go Proが使用するような魚眼レンズを使った捏造写真や、NASAが作成したようなCGI合成写真だ。魚眼レンズを使わずに撮影された実際の写真はすべて、地球が水平面であることを示している。アマチュアのロケットや気球が到達する限界高度でさえ、水平線は平らなまま、観測者の目線まで上昇する。これは、地上レベルでも見かけ上、容易に可視化できる一定の曲率の比率を伴う地球では物理的に不可能なことである。
ボール信者が自問すべきもっと適切な質問は、"なぜ地球の実際の写真がないのか?"である。NASAは自らのウェブサイトで、宇宙からの地球の写真は合成画像であり、写真ではないことを認めている。NASAのアーティストであり、ブルーマーブルの主要デザイナーであるロバート・シモンは、NASAがこれらのCGI画像を偽造する工程を生放送のラジオで説明した際に、"そうしなければならないからフォトショップで加工している "とまで言った。これらの明らかに加工された画像をざっと見ただけでも、疑念を抱かざるを得ない。並べて見比べると、陸地の形や大きさが様々で、地球や水の色も不規則で、同じ雲をコピー&ペーストして使っていることも多く、どれも全く違って見える。偽の月面着陸の際に撮影された地球の画像をコンピューターで補正したところ、合成であることが証明された。だから、なぜ平らな地球の写真がないのかと不思議に思っている地球儀狂信者の皆さんには、実際に撮影されたすべての写真には完全に平らな地球が写っているという事実を振り返り、同じ懐疑心と好奇心を、なぜ現実に本物の地球の写真がないのかを突き止めることに向けることをお勧めする。
なぜ地球だけが平らなのか?
地球が平らなら、他の惑星はなぜ丸いのだろうか?そもそも、地球は惑星ではなく平面であり、現代の天文学者たちは、語尾に "t "をつけるだけで、地球の平面を太陽の周りを回る地球へと言語的に変換している。「丸い」という言葉も欺瞞に満ちている。というのも、ほとんどの平地球体論者は、地球がコインのように丸いことには同意するが、ボールのように丸いことには同意しないからだ。ネット上でこのような主張をする場合、球体主義者はしばしば、8つの球状の惑星と、その中に浮かぶ平らな地球という、伝統的な天動説モデルの絵を提示する。しかし、この概念全体がストローマンである。天動説の太陽系で、太陽から3番目の宇宙空間に浮かぶ平らな惑星を信じている地球平面説学者はいないからだ。
NASAの多くのCGI映像では、惑星は確かに球形に見えるが、望遠鏡や超ズームカメラで自分の目で見ると、惑星が球形かどうかは議論の余地がある。私が個人的に惑星を観察したときはいつも、小さくて比較的平らな丸い光に見えたし、巨大な球状のテラ・ファーマの世界には見えなかった。NASAや他の "公式 "宇宙機関の映像では、惑星は3次元の球状世界のように見えるだけで、アマチュアの映像では、他の星々と同じような2次元の光のように見える。実際、惑星が「惑星」と呼ばれる前は、古代人は惑星を「さまよう星」と呼んでいた。なぜなら、惑星は他の「恒星」とは動きが一定ではなく異なるからだ。それぞれにユニークな外観を持っているが、どの星も球形の世界には見えないし、土星でさえ、周囲に光の輪がある円形の発光体のように見える。
しかし、結局のところ、地球の形を証明するためには、他の惑星がどのような形をしているかは全く関係ないのである。現代の天文学者は、 "絶対的真理である空へのアピール崇拝"をして、重要な真実から意識を逸らせるレッドヘリングを常に繰り返している。床の寸法を測るために業者を家に招いたのに、業者がすぐにテープメジャーを取り出し、天井の埋め込み照明をすべて測り始めたと想像してみてほしい!頭上の光を見ることで、足元の地球の形状を科学的に証明しようと主張する地球儀擁護論者がやっていることは、まさにこれである。手品師が片方の手で注意をそらしながらもう片方の手で騙すように、地球儀弁証論者は、足元の地球の形について実証的で測定可能な証拠を求められると、必ずと言っていいほど、その代わりに空に鼻を向け、そこにあるものの形について語り始める。しかし、仮に他の惑星がすべて球体だったとしても、それが地球の形といったい何の関係があるのだろうか?
なぜ平らな地球ではエベレストが見えないのか?
地球が平らなら、なぜ世界中のどこからでも望遠鏡を使ってエベレストを見ることができないのか?そもそもこの質問は、望遠鏡を使えばどこまでも遠くを見ることができるという誤った前提に立っている。この考えは、現代の天文学者が望遠鏡で見える星や惑星は何百万、何十億、何兆マイルも離れていると主張したために人々に植え付けられ、多くの人が望遠鏡を水平に向けると同じように遠くまで、少なくともエベレストと同じくらい遠くまで見えるはずだと思い込んでいる。しかし現実には、100倍から200倍のズーム機能を備えた望遠鏡やカメラを使って自分で試すことができるように、星や惑星はそれほど遠くにあるわけではないのであり、そんな途方もなく遠いものでは不可能なほど驚くほど細部までズームすることができる。さらに、地球を水平に見渡した場合、遠近感や 収束感、角分解能、消失点、汚染、霞、湿度、霧、霧など、星空を上方から見るときには関係ない視界や大気の制限が数多く存在する。望遠鏡でエベレストを見ることについて質問する人のほとんどは、実際に望遠鏡で実験したことはないだろうか、そうするとズームすればするほど視界が徐々に歪み、何も見えなくなることをすでに知っているはずだ。もちろん、丘や山、建物、木々など、エベレストへの視界を遮るものは無数にある。
海岸や平原、草原に立つと、天候や視力にもよるが、水平線が周囲3~6マイル(約4.8km~9.7km)に広がっていることがわかる。人間の目の視野は110度から1度で、物体が見える最小の角度は1度の60分の1であるため、物体が観察者から直径の3000倍離れると見えなくなる。つまり、例えば直径1インチの小銭を見ることができる最も遠い距離は、3000インチ(76.2m)、つまり250フィートということになる。晴れた日に高性能の望遠鏡を使えば、数百分の一の大きさの天体や遠くの天体をとらえることはできるが、地球のどこからでもエベレストを見ることは不可能だ。
なぜオーストラリアから北極星は見えないのか?
北極星がオーストラリアやニュージーランドのような南方から見えないのは、球状地球の曲率の陰に隠れているからだと、地球人たちは教えている。水平線の彼方に消えていく船について教えられていることと似ているが、彼らはこれらの船と北極星が地球の物理的な湾曲の背後に消えていると主張し、もし地球が本当に静止した平面であれば、オーストラリア人は北極星を見るのに何の問題もないはずだと主張する。
事実、南へ向かう旅行者の北に位置する星はすべて、観測者が南へ向かうほど頭上から徐々に遠ざかっていき、北へ向かう旅行者の南に位置する星はすべて、観測者が北へ向かうほど頭上から徐々に遠ざかっていく。同様に、北へ向かう旅行者の北に位置する星はすべて、観測者が北へ向かうほど頭上に徐々に昇り、南へ向かう旅行者の南に位置する星はすべて、観測者が南へ向かうほど頭上に徐々に昇る。この現象は、地球の曲率とはまったく関係なく、物体が見える角度や高さは物体から遠ざかれば遠ざかるほど小さくなり、ある地点で視線と上昇するように見える地球の表面が消失点(この場合は水平線)に収束し、その先では物体が見えなくなるという遠近法の法則にすべて関係している。
事実、南へ向かう旅行者の北に位置する星はすべて、観測者が南へ向かうほど頭上から徐々に遠ざかっていき、北へ向かう旅行者の南に位置する星はすべて、観測者が北へ向かうほど頭上から徐々に遠ざかっていく。同様に、北へ向かう旅行者の北に位置する星はすべて、観測者が北へ向かうほど頭上に徐々に昇り、南へ向かう旅行者の南に位置する星はすべて、観測者が南へ向かうほど頭上に徐々に昇る。この現象は、地球の曲率とはまったく関係なく、物体が見える角度や高さは物体から遠ざかれば遠ざかるほど小さくなり、ある地点で視線と上昇するように見える地球の表面が消失点(この場合は水平線)に収束し、その先では物体が見えなくなるという遠近法の法則にすべて関係している。
「長さ1マイル(約1.6km)の平らな通りで、ランプがずらりと並んでいるところを見つけると、私たちが立っているところから、ランプがだんだん地面に向かって下がっていくのがわかるだろう。通りの端にあるランプを手に取り、そこから100ヤード(91.4m)ほど離れると、私たちが近づいたときよりもずっと地面に近い位置にあるように見えるだろう。そのまま遠ざかり続けると、ランプは徐々に落ち込んでいき、最後に地面に見えてから消えるように見えるだろう。天文学者によれば、1マイル上では端から端まで約8インチしか落ち込んでおらず、この8インチでは、遠ざかるにつれて光が大きく落ち込むことは説明できない。このことは、北極星の凹みは平らな面に対して起こりうること、そして実際に起こることを証明している--単に、街灯からと同じように、北極星からの距離が長くなるからである。言い換えれば、例えば恒星のように、私たちの頭上にある物体から離れれば離れるほど、それは落ち込んでいき、十分に遠くまで行けば地平線まで沈み(あるいは沈んで見え)、やがて消えてしまう。"」-トーマス・ウィンシップ、"ゼテティック宇宙発生論"(34)
さらに、球体擁護派は常に北極星の見え方の問題に言及する。赤道より北の観測者にしか見えないのが、曲率のせいで見えなくなったという彼らのシナリオに合致しているように見えるからだ。しかし、他の多くの星や星座は、球体では不可能なほど広い範囲で観測者に見えている。たとえば、北極星に非常に近いおおぐま座は、北緯90度87分(北極)から南緯30度まで見ることができる。こぎつね座は北緯90度から南緯55度まで見える。牡牛座、魚座、獅子座は北緯90度から南緯65度まで見える。みずがめ座とてんびん座は北緯65度から南緯90度まで見える。おとめ座は北緯80度から南緯80度まで、オリオン座は北緯85度から南緯75度まで見える!球体の地球 "での観測者は、傾きや傾斜に関係なく、論理的にこれほど遠くを見ることはできないはずだ。そのため、北極星の偏角が地球を証明するのではなく、地球が静止した水平面であることのさらなる証拠となる。
さらに、球体擁護派は常に北極星の見え方の問題に言及する。赤道より北の観測者にしか見えないのが、曲率のせいで見えなくなったという彼らのシナリオに合致しているように見えるからだ。しかし、他の多くの星や星座は、球体では不可能なほど広い範囲で観測者に見えている。たとえば、北極星に非常に近いおおぐま座は、北緯90度87分(北極)から南緯30度まで見ることができる。こぎつね座は北緯90度から南緯55度まで見える。牡牛座、魚座、獅子座は北緯90度から南緯65度まで見える。みずがめ座とてんびん座は北緯65度から南緯90度まで見える。おとめ座は北緯80度から南緯80度まで、オリオン座は北緯85度から南緯75度まで見える!球体の地球 "での観測者は、傾きや傾斜に関係なく、論理的にこれほど遠くを見ることはできないはずだ。そのため、北極星の偏角が地球を証明するのではなく、地球が静止した水平面であることのさらなる証拠となる。
なぜ南半球では月が逆さまに見えるのか?
球体説を擁護する人々は、北半球から見ると月が上下正しい状態に見え、南半球から見ると月が上下逆に見えるので、これは地球が球体であることの証拠だと主張することが多い。彼らは、回転する球の南半球に立っている観測者は、北半球にいる観測者に対して文字通り逆さまに立っており、これが、反対側の半球から見たときに月が反転して見える唯一の理由だと考えている。しかし、月の写真を天井に貼り、部屋の反対側から見るだけで、誰でも簡単にこの薄っぺらな主張を否定することができる。部屋の一方の端から見ると月は上下正常に見え、もう一方の端から見ると逆さまに見える。この単純な現象を説明するために、部屋全体が球形である必要はないし、観察者が互いに物理的に逆さまに立っている必要もない。平らな地球モデルでは、月と太陽は常に回帰線上に当然ながら位置し、その大半の時間をそこでか赤道付近で費やす。だから、部屋の真ん中に貼られた写真のように、北から見た人にとっては月が上向きに見え、南から見た人にとっては月が下向きに見えることになる。したがって、この現象は、観察者がとんでもない回転するボールの上に逆さまに立っていると仮定しても、論理的な水平面の上に上下正常に立っていると仮定しても、簡単に説明できる。しかし、この問題をより深く調査すると、それがどちらであるかを決定的にする詳細が明らかになる。
地球儀擁護派は、月が反対側の半球で反転して見えると主張するとき、現実の状況を単純化しすぎていることが判明した。なぜなら、いつどこから見るかによって、実際には360度どの傾きでも月を見ることが可能だからである。以下の写真を見ていただければわかるように、月は単純に真上にも逆さにも見えるのではなく、さまざまな角度で見える。月が平らな地球を車輪のように1周しているため、月が撮影される場所や時間によって、「ウサギ」や「月の人」がさまざまな傾きで写っていることに気づくからだ。しかし、地球と月が球体であったなら間違いなく見ることができるはずの、月のさまざまな面や領域を見ることはできない。
太陽中心モデルでは、月は地球と「潮汐ロック」していると主張する。つまり、地球の重力が非常に強く、月が自転する周期を地球の自転周期と完全に同期させるため、私たちは月の1つの顔しか見ることができないそうだ。仮にこれが真実で、自転する球体の月が、自転する球体の地球の自転と何らかの形で完全に同期していたとしても、北半球の高緯度から月を見る観測者、南半球の高緯度から月を見る観測者、そして赤道付近から月を見る観測者は、少なくともわずかに異なる月の面/領域を見なければならないはずであり、必然的にそうなるはずである。このように異なる角度から月を見ている観測者が、まったく同じ面しか見えないということはありえない。北半球の高緯度から月を見る観測者は、南半球の高緯度から月を見る観測者とはまったく異なる面を、赤道付近から月を見る観測者とはわずかに異なる面を見ることになる。しかし実際には、いつ、どこで見ても、さまざまな傾きこそあれ、まったく同じ月の面しか見えない。これは、月が実際には回転する半透明の光り輝く円盤であり、回転する球状の大地ではないからこそ可能なのである。
太陽と月を異なる時刻に撮影し、正方形のグリッドに配置することで、太陽と月が球体ではなく円盤であることを確認することができる。もし太陽と月が球体であったとしたら、いつどこで撮影しても、カメラに向かって真円を描くことになるのだが、これは球体のどの面も必然的に円形に見えるからだ。しかし、もし太陽と月がともに円盤であるならば、頭上で真円を描いているだけで、観測者から遠ざかれば遠ざかるほど、見る角度が小さくなるため、わずかに楕円形に見え始めるはずである。国際フラットアース研究会のメンバーは、何度かこの実験を行っており、懐疑的な一般の人々にも同じことをするよう勧めている。というのは、どのモデルが実際に批判的な精査に耐えられるかを自分自身で見つけることができるからである。
太陽/月はなぜ水平線近くで大きくなるのか?
遠近法の法則が、船が水平線の彼方に消えてしまう理由であり、太陽や月が空に昇ったり沈んだりする理由であることを地球儀を愛する人々が耳にしたとき、彼らの次の疑問は、ではなぜ太陽や月は水平線の近くで大きく見えるのかということである。当然ながら街灯の長い列は、太陽や月と同じように、頭上に達するまで高くなり、水平線に沈んでいくように見えるが、太陽や月とは異なり、街灯や船など、遠近法によって消えると主張されるほとんどのものは、観察者から遠ざかるにつれて小さくなっていく。ではなぜ、遠近法の法則によって太陽と月が昇ったり沈んだりするのであれば、地平線に近づくにつれて太陽と月が縮小して見えることはないのだろうか?そもそも、夕焼けや月没のタイムラプス映像を十分に見ていると、地平線に近づくにつれて月がはっきりと縮小していくことがあることに気づくだろう。砂漠などの乾燥地帯で撮影された夕焼けや月没では、頭上にある大きな太陽と月がカメラから遠ざかるにつれて確実に縮小していく様子がよく映し出される。しかし、多くのケースや場所ではその逆が起こり、太陽と月は地平線に近づくにつれて大きくなるように見える。では、何が起きているのだろうか?
どのような種類の光でも、密度の高い媒質を通して見ると、軽い媒質を通して見た場合よりも大きく見え、一定の距離で大きなまぶしさが生じる。この効果は、湿った大気や霧の中のように、媒質が水性粒子や水蒸気を含んでいると、より顕著になる。例えば、街灯から数メートル離れた場所に立って光の大きさに気づいた後、数百メートル離れた場所から同じ光を見ると、光がかなり大きく見えることに気づくだろう。高所から撮影した夜の街並みのスナップ写真にもこの現象が見られる。地平線の近くにある遠くの街の明かりは、カメラの近くにある街の明かりよりもはるかに大きく明るく見える。これは多かれ少なかれいつでも見られるが、空気が湿っていて蒸気を帯びているときに最も顕著になる。
もちろん、日の出と日の入りには、太陽の光は真昼よりも多くの大気を通過しなければならない。これに加えて、地球上の低位置に最も近い空気は、正午に太陽が通過する高い地層よりも密度が高く、より多くの水の粒子を溶かして包含するため、光は拡大され、色も変化する。ENature.comは、「低い角度で見たときの月の暖色は、月が真上にあるときと比べて、大気の量が比較的多いことに起因する。この大気は月の光の青みを帯びた成分を散乱させ、観測者の目には低い位置にある月がより赤く見える。月が地平線より高い位置にあるときに月を見ると、月が夕方よりもずっと白く見えることがわかるだろう。」と書いている。
その他の要因としては、波長、光の回折、気圧、気温、大気のレンズ効果、レンズの開口幅、高度、湿度、透明度などがあり、これらはすべて純然たる結果に影響する。上記の理由含めた全ての因果関係によって太陽や月が拡大され、遠近法の法則によって縮小される度合いは、決まる。言い換えれば、太陽と月が地平線に沈むとき、地球上の観測者から見れば、上記の多くの理由によって大きくなると同時に、遠近法の法則によって小さくなり、その最終的な結果が目に見えるものになる。
地球の曲率を超えて船が消える?
地球儀の証拠とされるものの中で最もよく引き合いに出されるのは、岸辺にいる観測者から見て、水平線の彼方を航行する船が見えなくなることである。アリストテレス以来の地球儀派は、航行中の船体がマストヘッドの前に消えるのは、地球の物理的な湾曲が視界を遮るためだと主張してきた。この単純な証拠とされるものは、ニール・デグラス・タイソンやミシェル・サーラーをはじめとするNASAの広報担当者によって現在でも引用されているが、現代のズーム技術を使えば簡単に無効であることがわかる。晴れた日に性能の良い望遠鏡や超高倍率カメラを水平線に向けて固定すれば、地球の曲率と思われる部分の向こうに完全に消えてしまった船を完全に視界に戻すことができる。実際のところ、平面上の遠近法の法則がこの現象を決定づけており、必然的と言える。例えば、ドレスを着た少女が地平線に向かって歩き出すと、遠ざかれば遠ざかるほど地球に沈んでいくように見える。彼女の足はまず視界から消え、地面とドレスの裾の距離は徐々に縮まり、約半マイル後には、見えない足で歩く彼女のドレスが地面に触れているように見えるようになる。同じようなことが、スピードを上げて走り去る車にも起こる。車軸は徐々に低くなり、車輪は消え、まるで車体に沿って滑っているかのように見える。平面の場合、ある観測点から遠ざかる物体の最も低い部分は、必然的に最も高い部分よりも先に消えてしまう。これは地球の曲率とはまったく関係なく、視覚の性質に関係している。
平らな水平線を眺めると、足元から目線の高さまで地面が盛り上がって見え、頭上から目線の高さまで空が下り坂のように傾斜して見える。灯台の列が遠くに行くほど短く見えるが、実際にはすべて同じ高さである。道路や鉄道の線路を眺めていると、同じ現象が左右に起こっていることに気づくだろう。道路や線路の平行な両側は、地平線上の一点に収束しているように見えるが、実際には収束することはなく、全長にわたって平行なままである。したがって、この遠近法の法則は、私たちが世界を認識する方法そのものに組み込まれた目の錯覚なのである。
気球は高度12万フィート(約36.6km)以上にも達しても、全方位数百マイル(数百キロメートル)を見渡すことができる。カメラが高度を上げるにつれて、水平線は目の高さまで上がり、数マイルで消えてしまったように見えた船も、高度が上がれば簡単にまた見ることができる。皮肉なことに、この場合、地球儀を擁護する人々は正反対の言い訳をし、高度に関係なく、彼らの空想上の球形地球の曲率を見るのに十分な高さがないと主張する。言い換えれば、地上レベルでは、船はほんの数マイル先の地球儀の物理的な曲率を超えて消えていると主張するが、観測者が全方向を何百マイルも見渡せる高空では、カーブを見るのに十分な高さでも距離でもない!しかし現実には、地球に一定の基準で伴うはずの曲率計算を適用すれば、地上レベルでも容易にそれを観察できるはずだ。
飛行機の窓から見える地球の湾曲?
世界の形という問題に直面すると、多くの人はすぐに「自分は地球儀の上に住んでいる」と主張する。なぜなら個人的に飛行機の窓から地球の湾曲を見たことがあると信じているからだ。海辺に行ったり山に登ったりすると、はるか彼方に水平線が下向きにカーブしているのが見えると信じている人さえいる。しかし、現実には、どんな高度からでも水平線の湾曲が見えると思っている人は、確証バイアスと認知的不協和の深刻な思い込みに侵されている。そもそも、すべての民間航空機の乗客用窓ガラスに使われているガラスは、実際には丸く、層状で、わずかに湾曲しているため、縁が歪み、水平線やその他の直線が下にカーブしているように見える。この丸みを帯びた窓は、圧力を均等に分散させる効果があり、応力が集中する角がないため、亀裂や破損の可能性を減らし、圧力に耐えることができる。しかし残念なことに、この窓はガラスの曲率を水平線の曲率と勘違いして、地球を球体だと思い込ませるという奇妙な副次効果もある。このような乗客が操縦席の窓を訪れ、パイロットの目線から水平線を見れば、水平線は見渡す限り完全に平らなままであることがはっきりわかるだろう。実際、水平線は常に完全に水平であるため、このような名前がつけられている。同様に、飛行機が "air-plane "と名付けられ、"air-globes "と名付けられないのは、飛行機が水平な平面の上を飛んでいるからである。
球体上に一定の比率で伴う曲率計算からすると、海面レベルでも肉眼で見えるわずかな曲率が観測できるはずだ。わずか1マイル後には8インチの湾曲が指数関数的に増加し、2マイル後には32インチ、3マイル後には72インチ(6フィート)の地球の湾曲が水平線上に必然的に見えることになる。しかし実際のところ、この指数関数的な曲率の低下は、どの高度からも見ることも測定することもできない。海面でも、エベレスト山頂の5マイル(8km)の高さでも、民間旅客機の7マイル(11.2km)の高さでも、U2スパイ機の12マイル(19.3km)の高さでも、アマチュアの高高度気球に乗って20マイル以上の高さでも、わずかな湾曲もなく、水平線はずっと観察者の高さまで上昇している。もし水平線が球状の地球の物理的な曲率だとしたら、水平線はどの高さでも湾曲しているまま固定されるので、観測者が高度を上げるにつれて、水平線を見るためには下を向かなければならなくなるはずだ。しかし、このようなことは決して起こらない。高度に関係なく、水平線は常に目の高さまで上昇し、水平な平面の上空でのみ可能なように、360度完全に平らなままである。
さらに、もし地球が本当に円周25,000マイルの球状体であったなら、飛行機のパイロットは、まっすぐ「宇宙空間」に飛んでいかないように、常に高度を下方に修正しなければならないだろう。例えば、一般的な巡航速度時速500マイルで高度を維持しようとするパイロットは、常に機首を下に向け、1分間に平均2,777フィート(半マイル以上)降下しなければならない。例えば、一般的な巡航速度500mphで高度を維持しようとするパイロットは、常に機首を下に向け、1分間に平均2,777フィート(半マイル以上)降下しなければならないだろうが、そうでなければ、補正なしで、1時間後にパイロットは予想より31.5マイルも高いところにいることに気づくだろう。実際には、パイロットがこのような大幅な高度調整を行うのは、離陸直後と着陸直前だけである。一度巡航高度に達すると、民間機は飛行中ずっと水平を保ち、そのような絶え間ない調整は必要ない。実際、この問題で本当に必要な調整は、地球儀擁護論者が謙虚になり、マーク・トウェインが言ったように、残念ながら "人を騙すのは、騙されたと納得させるより簡単だ "と認めることだ。
エラトステネスの実験が平らな地球を否定?
球体地球説の証明としてよく引き合いに出されるのが、エラトステネスの棒と影の実験である。NASAの広報担当者であるカール・セーガンが、エジプトの地図に2つのオベリスクを取り付け、その影を見せるという実験を行ったことを覚えている人も多いだろう。紀元前250年頃、ギリシャの数学者であり哲学者であったエラトステネスが、シエネでの夏至の正午に太陽は影を落とさず、光線は井戸の底までまっすぐ届くが、一方でアレクサンドリアでは垂直に立てた金属の棒が大きな影を落とすことに気づいたという話がある。エラトステネス、カール・セーガン、そして他の地球儀支持者たちは、この結果は平らな地球では不可能だと論じている。カール・セーガンの言葉を借りれば、「ある瞬間、それぞれの棒がまったく影を落とさないとしても、地球が平らであれば、それはまったく簡単に理解できる。シエネの影が一定の長さで、アレキサンドリアの影も同じ長さなら、それは平らな地球上でも理にかなっている。しかし、同じ瞬間にシエネには影がなく、アレキサンドリアには非常に大きな影があったのはなぜだろうか?唯一の答えは、地球の表面が曲がっているからだ。」この結論に達した後、エラトステネスが2つの影の長さを太陽までの距離と仮定して計算し、今日でも太陽中心説の天文学者が使っているものに近い地球の円周の測定値を記録したことは有名である。しかし実際のところ、エラトステネスやセーガンなどは、湾曲した地球でのみ可能であると思い込んで単に間違っているのである。実際には、太陽が存在する平らな地球でもまったく同じ結果が生じる。エラトステネスの計算は、太陽が何百万マイルも離れていて、その光線がシエネとアレキサンドリアのように離れた地点でも完全に平行に降り注ぐと仮定して行われた。しかし、薄明光線として知られる現象に詳しい人なら誰でも、太陽の光線が完全に平行にならないこと、特にそのような遠距離ではそうであることをよく知っているため、議論全体が無意味になってしまう。さらに、六分儀と平面三角法を使い、地球上の2地点の太陽の角度を同時に測定し、互いの距離を因数分解することで、ピタゴラスの定理は太陽が何百万マイルも離れているのではなく、数千マイルも離れていないことを明らかにした。高高度気球の映像でも、雲にホットスポットを照らす様子が撮影されており、太陽が局地的なものであり、スポットライトとして機能していることが証明されている。したがって、もし球体信者が正直になりたいのであれば、平行光線を持つ遠方の太陽だけがこのような結果をもたらすという彼らの誤った思い込みが、湾曲した地球という誤った結論を導いたのだと認めなければならない。なぜなら、地球平面支持者は常に太陽は局所的なものだと主張してきたのであり、薄明光線の存在そのものが実験全体を無効にしてしまうからである。
キャベンディッシュの実験が重力を証明?
1797年、英国の科学者であり、フリーメーソンであり、デヴォンシャー公爵の裕福な孫であったヘンリー・キャベンディッシュは、重力の存在を証明し、その定数を測定し、地球、太陽、月、惑星の正確な質量を示す正確な数値を提供することに成功したとする実験結果を発表した。キャベンディッシュはどのようにしてこの太陽中心疑似科学の飛躍的進歩を成し遂げたのだろうか?彼は2つの大きな鉛玉をねじり天秤の両端に固定し、小屋の屋根から吊るした。キャベンディッシュは、自分の質量が測定値に影響しないように、小屋の窓から望遠鏡を使って仕掛けのわずかな動きを観察し、記録することで、重力を証明したと主張した。2つの小さな鉛玉を大きな鉛玉の近くに吊るし、互いに近づく動きを観測したものは重力の影響であると主張した。現在、キャベンディッシュ実験は科学界から広く批判されているが、その理由は、実験が行われて以来2世紀以上もの間、誰もそれを再現できなかったからである!第一に、いわゆる重力定数が一定でなければならないように、ボールは常に互いに引き合うわけではない。ねじり天秤は時にボールの方を向き、時にボールを遠ざけるのだが、天秤と接するとき、わずかに震えるような動きをしないわけにはいかない。ヘンリーがノートに書いていたのは、測定をしている最中、仕掛けが振動したままになっていることが多いということだった。第二に、彼の計算した重力の力は、すべての物質的物体を構成している電磁気の力より10^39弱かったので、実験では、より強い電磁気の力から、主張されている重力の力を割り出して、明確に区別するようなコントロールはできなかった。言い換えれば、ボールは静電気によって互いに引き合っているだけかもしれない。静電気は万物に存在する既知の力であり、重力よりも何十億倍も強いものだが、実験でコントロールすることは不可能だ。誰もキャベンディッシュの発見を再現できなかったにもかかわらず、この実験は大成功として歴史に残り、今日でも科学の教科書で万有引力の真の証明として教えられている。
フーコーの振り子は地球の自転を証明するか?
19世紀半ば、レオン・フーコーというフランス人が、振り子を振ってその運動が地球の日周運動を証明するものだと主張したことで有名になった。それ以来、いわゆる "フーコーの振り子 "は、太陽中心主義の永久不変の証拠を提供するものとして、世界中の博物館や博覧会場で常時揺らされている。しかし真実は、騙された大衆のほとんどが知らないうちに、「フーコーの振り子」は失敗した実験であり、似非科学がいかに簡単に騙されやすい大衆を欺くことができるかを証明したに過ぎない。そもそも、フーコーの振り子は一方向に一様に振れているわけではない。振り子が時計回りに回転することもあれば、反時計回りに回転することもある。この実験を繰り返した科学者たちは,何度も何度も,「振り子をスタートさせるときに,わずかな横方向の傾きを生じさせないようにするのは難しい」と認めている。振り子の挙動は、1)最初に振り始める力、2)円運動を最大限容易にするボールとソケットのジョイント、に依存する。実際、現在稼働しているフーコーの振り子の大半は、この設計に基づくものですらなく、代わりに電動式で完全に調整可能なものである。地球の自転は、振り子の揺れとはまったく無関係であり、無意味なものなのだ。もし地球の自転が振り子に何らかの影響を及ぼすのであれば、手動で振り子を動かす必要はないはずだ。さらに、もし地球の自転が実際に振り子の360度均一の日周回転を引き起こしているのであれば、地球上のどこにも止まっている振り子は一つも存在しないはずである!
「第一に,M.フーコーの計画に従って作られた振り子を振動させると,その振動面はしばしば変化する。変動が起こるとき,その変動は一様ではなく,同じ場所でいつも同じというわけでもなく,その速度も方向もいつも同じというわけでもない.したがって、これを証拠とすることはできない。なぜなら、一定でないものは、いかなる命題に対しても、賛成にも反対にも使えないからである。したがって、それは証拠ではなく、何の証明にもならない!第二に、振動面が変化することが観察されたとして、そのような変化と地球の運動との間にどのような関係があるのだろうか?振り子の下を動いているのは地球であって、振り子が地球の上を動いているのではないという結論に実験者を導く推論の原理は何か?どの点において何かに勝るほどの論理的な正しさや必然性があるのか?第三に,なぜ振り子の吊り点の特別な配置が,振動の平面に及ぼしうる影響に関して特別に考慮されなかったのだろうか?ボールとソケット 、ジョイントが,他のどのジョイントよりも円運動を容易にするものであることは,知られていなかったのか,見落とされていたのか,あるいは,理論的と思い込んだお祭り騒ぎの絶頂の中で,無視されていたのか。-サミュエル・ローブサム博士『地球は球体ではない 第2版』(153)
「我々は、この振り子とその所有者に失礼ながら、これは発明者の悪知恵以外の何ものでもないと信じている;そして、この見せ物と実演家は詐欺でしかないとしか言いようがない。この "振り子の証明 "のような幼稚なものは、これまで考え出された中で最も単純で馬鹿げており、騙されやすい大衆を騙そうとする試みの一つとしか言いようがない。振り子の実験が地球の自転を証明していると言われてきたが、それはまったく不可能である、ある振り子は一方向に回転し、別の振り子は逆方向に回転することがあるからだ。では、地球は1つの場所で同時に反対方向に回転するのだろうか?知りたいものだ。おそらく実験者たちは、この点について親切に教えてくれるだろう......もし地球に恐ろしい運動があるとすれば、そのような運動による何らかの感知できる影響があるはずだしかし、私たちはその動きを感じることも、見ることも、聞くこともできない。振り子が振動するのを見て、地球の運動が証明されていると考えることができるのか、ほとんど理解できない。しかし、彼らはそれを信じるように育てられ、天文学者が教えることを信じることが "科学的 "だと考えられている」。-ブラウント女史「科学のロマンス」(8-10)
コリオリ効果で地球は回転する球体?
また、19世紀半ばには、ガスパール=ギュスターヴ・コリオリというフランス人が、回転系における運動エネルギーの効果を示すいくつかの実験を行ったのだが、それ以来、この実験は太陽中心説の証明として神話化されるようになった。「コリオリ効果」とは、北半球では流し台やトイレの排水が一方向に回転するのに対し、南半球では逆方向に回転することで、球体の地球が回転していることを証明するとよく言われる。しかし、フーコーの振り子のように、北半球と南半球の洗面台やトイレの回転は一方向ではないことが、判明したのだった!同じ家庭にある洗面台とトイレは、地球の自転ではなく、洗面台の形と水の入る角度によって、反対方向に回転することがよくある。「地球の東向きの自転によって便器の中の水も自転するという前提は百歩譲って良いとしても、実際には、水が便器に出入りする力と速度は、1日の間に360度回転するような微小なものに影響されるにはあまりに大きすぎる。言ってみれば、コリオリ効果がトイレの洗浄に果たす役割は、ステレオのCDの回転に果たす役割ほど大きくない。トイレや洗面台から水が出る方向を決めるのは、便器の形と、その中に液体が最初に入る角度なのだ。-ジェニファー・ホートン、"地球の自転はトイレや野球の試合に影響するか?" https://science.howstuffworks.com/
主流科学の出版物でさえ、いわゆるコリオリ効果が流し台やトイレの水の挙動にまったく影響しないことを認めている。しかし、この事実は、エクアドルや赤道沿いの他の観光地では、このコリオリ効果を証明すると称して、ポータブルの流し台を使って人気のあるパーラートリックを演じる詐欺師の好都合を抑止しない。ショーマンはまず、すでに水で満たされているシンクを赤道線に沿って完璧にセットし、排水栓を抜いて、水が穴にまっすぐ排水される様子を観客に見せる。次に彼らはポータブルシンクを手に取り、騙されやすい聴衆を南半球まで数メートル歩かせ、コリオリ効果によって水が時計回りに回転して排水口に流れ込むことを説明する。今度はわざとシンクの左側から水を注ぎ、水が注がれた角度から時計回りに回転している間に素早く排水栓を抜く。次に、再び流し台を持ち上げ、マジックショーを数メートル北半球に移動させ、水が今度は反時計回りに回転することを説明する。最後に、右側からシンクに水を注ぎ、水が反時計回りに回転している間に栓を抜く。
コリオリ効果も弾道や気象パターンに影響を与えると言われており、北半球の嵐のほとんどは反時計回りに、南半球の嵐のほとんどは時計回りに旋回するため、長距離砲の弾丸は北半球では標的の右側に、南半球では左側に向かう傾向があると言われている。しかし、ここでも同じ問題が残る。すべての弾丸や嵐が一貫してこの挙動を示すわけではないので、何かの証拠として合理的に用いることはできない。
多くのプロのスナイパーは、このコリオリ効果を考慮したり補正したりする必要はないと明言している。スナイパーの弾丸が実際に影響を受けるのは、風、気温、湿度、気圧、照準器の開口部、そして人為的な誤差であり、地球の自転と言われているものでは無い。Snipershide.comより: 「私は2000メートルで撃ったことがあるが、コリオリ効果が要因だと言う人は大嘘つきだ。風、風、そして横風は何よりも弾丸を翻弄する。」また、Sniperforums.comからは、「私は3000ヤードまでの距離で射撃するが、コリオリ効果を計算する必要性を感じたことはない。私は1000ヤード先まで鹿を仕留めたことがあるが、コリオリのせいだと思われるような異常が起きたことは一度もない。」
皮肉なことに、狙撃兵の弾丸が地球の自転の影響を受けると主張する人々が、一変して飛行機やヘリコプターや熱気球が地球の自転の影響を受けないと主張する。その理由とは、大気全体がどういうわけか魔法のように地球にくっついていて、地球と一緒に完璧に自転しているからであると。この球体擁護論者たちは、法則性を両立させることはできない。
大気が地球の自転とは無関係で弾道に影響を与えるか、地球と大気が完全に一体となって動くため弾道に全く影響を与えないかのどちらかである。もし彼らが前者を主張し、大気が地球の自転とは無関係だと主張するならば、ヘリコプターはその場でホバリングするだけで、12時間後には地球を半周することができるはずだ。もし彼らが後者を主張し、地球と大気が一緒に動いていると主張するならば、いわゆるコリオリ効果が存在しないことを認めることになり、弾丸や気象パターンには何の影響も及ぼさないことになる。
レーニア山の影が地球を証明?
ワシントンのレーニア山の日の出と日没時の写真には、下から照らされた雲が山の影を浮かび上がらせているように見えるものがいくつかある。球体信者はしばしば、この効果を引き起こすには太陽が物理的に雲の下になければならず、平らな地球モデルでは太陽が物理的に地平線の下に落ちることはないため、地球が球体であることが確認されたという証拠として、これらの写真を引き合いに出す。一見、これは合理的な仮説に思えるかもしれないが、この現象についてさらに調査を進めると、そうでないことが判明する。そもそも、実際の物理的な光源がはるか上方にあるにもかかわらず、環境光や反射光が表面を下から照らし、物体の影を上方に投げかけている写真やビデオの例は枚挙にいとまがない。よくある例としては、窓から差し込む真昼の太陽光が床に反射して、部屋の家具の影を天井に落としている。この場合、光源は家具と家のはるか上方にあるが、天井は下から照らされており、家具の影は上方に投げかけられている。したがって、この効果は、光源が物理的に対象物や表面の下に落ちなくても、定期的に起こりうるし、実際に起こっている。
これらの写真では、山の頂上は雲のラインより上にある。従って、球体信者が山の下の部分が上に投げかけられているに違いないと思い込んでいる影は、山の頂上の部分が下に投げかけられているものである可能性がある。それは彼らの確証バイアスが、さらなる観察が後者であることを決定的に示しているのに、前者であるに違いないと決めつけているに過ぎない。それはさらなる観察が後者であることを明確にしているのに、彼らの確証バイアスが、前者であるに違いないと決めつけているに過ぎない。このような山の日の出と日の入りのタイムラプス動画は、これらの都合の良い写真とは異なり、実際には影が最初に現れた瞬間から消え去る最後の瞬間まで、常に雲の上にあることを示している。影が日常で毎日存在する中で、地球儀モデルのように、影が雲の頂上から下へ落ちる状態から、雲の底へ落ちる状態へと切り替わるタイミング等無い。さらに、もし本当に太陽が日没時に山の高さより下に落ちて影を上方に落としているのであれば、タイムラプス映像は、影がまず地平線近くの最も遠い雲に投影され始め、それから最も近い雲に向かって引いていく様子を映すはずだが、実際には常に、影は真昼に最も近い雲に投影され始め、ゆっくりと地平線に向かって伸びていき、日没とともに消えていく。同様に、日の出では逆のことが起こり、影はすでに地平線まで完全に伸びている状態から始まり、真昼に消えるまでゆっくりと縮小していく。したがって、これらの観測は球地球であることの証拠というよりも、実際には球地球モデルと完全に矛盾しており、太陽が常に物理的に雲の上にある平面地球でのみ可能なのである。
ポンチャートレイン湖の橋は地球の湾曲を示している?
ルイジアナ州のポンチャートレイン湖の土手道と送電線の様相を記録したビデオが存在するが、それで地球儀愛好家が地球の湾曲を視覚的に証明したと主張される。映像では、橋と送電線をある角度と高さから見ると、地平線に向かって下向きにカーブしているように見え、この見かけの湾曲が地球儀の証拠だと主張している。この映像を見てまず気づくことは、地球儀のように曲率が均一ではないということだ。その代わり、前景には見かけ上の曲率がほとんどなく、水平線に近い背景にはあまりにも多くの曲率が現れている。これらの写真のカーブを完成させる円をなぞれば、円周25,000マイル(40,075 km)近い地球の曲率を示しているはずがないことは明らかだ。橋自体の長さは24マイル(38.6km)弱で、地平線近くの急カーブ部分をなぞった円は、最大でも数百マイル(数百km)しかない小さな地球を表している。このことは、湾曲が物理的なものではなく、視覚的な現象であることを示している。実際、平らなテーブルの上に同じブロックを並べて、同じような高さと角度から撮影すれば、まったく同じように見える湾曲の演出を作り出すことができる。視覚的には、テーブルの後方にあるブロックが短くなっているか、テーブル自体が下にカーブしているように見えるが、実際にはテーブルは完全に平らで、ブロックはすべて同じ高さである。同様に、ポンチャートレイン湖の送電鉄塔も、視覚的には背景の鉄塔が短くなっているか、湖自体が下にカーブしているように見えるが、実際には鉄塔の高さはすべて同じであり、ポンチャートレイン湖は完全に平らであることがわかっている。
湖と土手道全体が完全に平らな水平線の上に見えるのは明らかだ。高高度気球を使えば、全方位数百マイルを見渡すことができる12万フィート以上の高さに達するので、さらに明白になる。皮肉なことに、このような平らな水平線に遭遇すると、地球儀擁護論者は正反対の言い訳をし、高度に関係なく、単に曲率を見るのに十分な高さがないと主張する。言い換えれば、地上レベルではポンチャートレイン湖の橋と送電塔が、わずか20マイル(32.2km)先の地球儀の物理的な湾曲の周囲で曲がっていると主張するのだが、何百マイルも四方八方を見渡せる高高度ですらまだカーブを見るのに十分な高さでも距離でもないとされるのだ!
地図、コンパス、周回航法は平らな地球上でどのように機能するのか?
歴史上の人々は東へ西へと完璧な直線で旅をし、やがて出発点に戻ってくるという俗説を学校で子供たちに教えている(今でもほとんどの大人は信じている)。マゼラン以来、何百人もの冒険家たちがこのような地球一周を成功させてきたと、地球が球体であることの証明のように喧伝されているが、実は歴史上、完璧な直線で旅に出て、スタート地点に戻ってきた人はいないのだ。海路であろうと空路であろうと、歴史上成功した周航はすべて同じパターンを踏襲している。それは、港から港へ最も便利なルートを航行または飛行し、1周するまで補給や再給油のために立ち寄るというものだ。歴史上、船乗りも飛行士も、完全にまっすぐな同じ方向だけを旅して、魔法のように出発地点に戻った人は一人もいない(間抜け以外にいないだろう)。この馬鹿げた嘘は、批判的に検証すれば明白になるが、幼い子供たちに教えれば、地球儀の洗脳を受け入れるように彼らの心を狂わせ、歪めることに成功する。コンパス・ローズに描かれた基本方位とは異なり、地球上の北、南、東、西は、90度離れた単なる直線ではない。北は上向きの矢ではなく、実際には点であり、中心点である。地理的な北極星として知られる地球全体の中心点は、北極星の真下に位置し、天空の正確な中心点を示す天空で唯一の動かない星である。南とは、下向きの矢ではなく、実際には北の中心点に接するすべての直線、言い換えれば、北極から外に伸びるすべての直線が真南に向かうことになる。東と西は、右向きと左向きの矢印ではなく、実際にはポールを中心に時計回りと反時計回りの円を描いている。太陽、月、星はすべて東から昇り、西に沈むので、毎日、私たちの上空と周囲で完璧な円を描く。
ご覧の通り、それらは地球の上空と周囲を西向きに円を描くように移動しており、コンパス・ローズが示唆するように、すべてがまっすぐ左向きに移動しているわけではない。北極星は天の北極であり、南は北極星に背を向けて進むこと、東は北極星に左肩を90度向けて進むこと、西は北極星に右肩を90度向けて進むことを意味する。歴史上の周航はすべて東回りか西回りであり、北回りや南回りは地理的に不可能だからだ。同じように、南半球のオーストラリアから南米へ、あるいはニュージーランドから南アフリカへのフライトも、南極大陸を南下するような地球儀上の最短・最短ルートを飛ぶことはない。
そのような飛行は寒すぎて飛行機が対応できないからだと主張されているが、現実には、南極大陸は球状に回転する地球の裏側に限定された小さな氷大陸ではないため、そのルートは地理的に不可能なのだ。南極大陸は実は、私たちの平らな動かない平面である地球の南外周であり、他の6つの大陸を取り囲んでいる。しかし、南極大陸が実際にどこまで南下しているのか、その終点はどうなっているのか、あるいはその先に何があるのかは、すべて一般の人々には知られていないし、知られていない。その結果、完全に正確で、完全に機能する平らな地球地図は存在しないし、北極、南極、その他あらゆる場所での完全な独立した探検が人々にまず許可されなければ、存在し得ないのである。
しかし、平坦で静止した地球の地理を推測する上で、視覚的な補助となる地図がいくつかある。グリーソンの1892年版新標準世界地図とハモンドの1945年版航空時代世界地図がそれである。これらのいわゆる「正距方位図法」地図は、実用的なナビゲーションに使用され、国連、世界保健機関、国際海事機関、国際民間航空機関のロゴにも見られる。彼らはこれらを、北極を中心点とする球形の地球を単に二次元的に表現したものだと主張し、これらの地図は地球儀を平らにして作られたと主張するが、正反対である。地球儀(特に南極大陸と呼ばれる)は、平らな地球を球状化し、広大な外周を球の下の窮屈な異形の氷大陸に束ねることによって作られたものであり、一般市民からは条約によって立ち入り禁止にされている。
平らな地球上でシドニー-サンティアゴ間のようなフライトはどのように機能するのか?
地球儀論争を展開する人たちがよく口にするもうひとつの証拠とされるのが、南半球の長距離フライトにおける時間と経路の問題である。例えば、オーストラリアのシドニーからチリのサンティアゴまでの直行便は、目的地まで平均13時間しかかからないが、これは球体擁護論者が平らな地球では不可能だと主張する時間である。彼らの主張では、シドニー-サンティアゴ間の米国経由便は直行便の2倍の時間をかけて目的地に到着するため、直行便は米国を横断しておらず、平らな地球上ではそんなに早く到着できないことを証明していると言う。そもそも、もし地球が本当に球体であったなら、このようなフライトの最短ルートはすべて南極大陸上空を一直線に通ることになる。この飛行経路が実際に可能であれば、何時間も何百マイルも短縮できるはずだが、パイロットたちは南極は寒すぎて飛べないという言い訳をするため、球体の地球を最短最速で飛行する経路を取る飛行機は実際には1機もない。
もし地球が本当に球体であったなら、このようなフライトの2番目の最短ルートは、太平洋を真東または真西に直進し、全フライトを南半球で過ごすことになる。必要であれば、途中のニュージーランドや南半球の都市で燃料を補給することもできる。しかし実際には、サンティアゴ-シドニー便をはじめとする南半球の長距離便の99%は、赤道を2回越えることになるわけだが、まず北半球に向かい、ロサンゼルス国際空港をはじめとする北米の空港で途中降機してから南半球に戻る。
さらにいくつかの例を挙げよう: 地球儀で見ると、チリのサンティアゴから南アフリカのヨハネスブルグまでは、南半球の南回帰線より下で行われる簡単なフライトのはずだが、どのフライトもまず不思議なことに、北半球の北回帰線に近いセネガルで燃料補給をする!しかし、平らな地球上で地図にすると、その理由は一目瞭然である。セネガルは実際には、この2つの中間に位置する直線経路の途中にあるからだ。地球儀の上では、南アフリカのヨハネスブルグからブラジルのサンパウロまでは、南緯25度から123度に沿って大西洋を一直線に駆け抜けるはずなのだが、そうではなく、ほぼすべてのフライトがまず北緯50度のロンドンで燃料補給をする。地球儀の上では、南アフリカのヨハネスブルグからオーストラリアのパースまではインド洋上空を一直線に進み、モーリシャスやマダガスカルで燃料を補給するのが便利なはずだが、実際にはヨハネスブルグからパースへのフライトのほとんどは、不思議なことにドバイ、香港、マレーシアのいずれかで途中降機する。地球儀で見れば、南アフリカのケープタウンからアルゼンチンのブエノスアリエスまでは、大西洋を同じ緯度線に沿って一直線に横切るはずだが、そうではなく、どの便もまず北半球の乗り継ぎ地へ行き、ロンドンからトルコ、ドバイまでどこにでも立ち寄る。このようなとんでもない回り道は、地球儀上では意味をなさないが、平らな地球の地図に表示されると完璧な意味を持ち、ほぼ直線になる。
シドニー-サンティアゴ間の直行便については、Google Flightsのデータでは平均所要時間が13時間22分、Google Earthのデータでは総距離が7,063(11366.8km)マイルとなっている。7,063マイルを13.3時間で割ると、必要な平均飛行速度は時速531マイル(854.6km)となり、グーグル検索によれば、これは民間旅客機の平均飛行速度時速540マイル(869km)をわずかに下回る。言い換えれば、このような飛行は平らな地球の上空で容易に可能であるだけでなく、予想される時間通りに飛行することができるのである。地球儀論争者の中には、この事実を認めつつも、シドニー-サンティアゴの直行便は太平洋上の大圏航路をたどり、ずっと南半球に留まるため、必要な飛行距離、速度、飛行時間が長くなるという主張で反論する者もいる。この主張に関しては、まず、編集されていないビデオ映像がネット上に存在しないため、これらのフライトが存在することさえ証明されていない。また、平面論者たちが直行便を予約しようとするたびに、予約が通らなかったり、出発の数日前にキャンセルされて払い戻されたり、直行便でないフライトに変更されたりする。第二に、もし存在するとしても、これらのフライトがそのような経路をたどっていることはまだ証明されていない。というのも、やはり編集されていないビデオ映像はなく、フライトトラッカーは海洋上で映像をカットしてしまうし、他の南半球の長距離フライトの99%が急進的な北回りをすることを考えると、その可能性は極めて低いからだ。
しかし、上記のことを差し引いても、平らな地球の上空でそのような飛行が不可能な理由はない。時速540マイルは平均的な民間航空会社の速度だが、ほとんどのコンベアやボーイングはもっと速く、特にこのような長距離飛行では時速600~800マイル以上で飛行する性能を有している。民間旅客機コンコルドの最大飛行速度は、時速1,480マイル(約150km/h)だった。さらに、貿易風とジェット気流が存在し、パイロットはこれを定期的に利用することで、時速をさらに200mphまで上げることができる。したがって、仮にそのような飛行が存在し、地球儀論争者が主張するようなルートをノンストップで移動したとしても、貿易風とジェット気流を利用して速度を上げるだけで、飛行機は平らな地球上で、時間通りに目的地に到着することができる。
もしニュートンのリンゴが頭の上ではなく水たまりに落ちていたら、リンゴは空気より密度が高いので空中を落下しただけで、水より密度が低いので水の上に浮いたと見ただろう。肺が空っぽのときよりも、空気が充満しているときのほうが浮きやすいことに気づいたことがあるだろうか。潜水艦は、バラストタンクが空気で満たされているときは海面に浮かんでいるが、通風孔が開いて海水が浸水すると、潜水艦の密度が水より大きくなるため沈み始める。どの深さまで潜りたいかによって、船員はタンク内の空気と水の比率を調整し、再浮上の準備ができたら圧縮空気をタンクに吹き込むことで、海水を強制的に排出し、密度を下げ、水面に浮上させる。
プラスチック風船にヘリウムと空気を約半分ずつ入れることで、この相対密度の事実を証明することもできる。ヘリウムは酸素や窒素など、私たちの周りの空気を構成する気体よりも軽いため、気球に適量のヘリウムを充填してプラスチックの密度を補い、バランスをとることで、上昇も下降もしない平衡状態にある「重力に逆らわない」浮遊気球ができる。
もし重力が存在せず、物体が周囲の媒体よりも密度が高いために落下するだけだとしたら、なぜ様々な質量の物体が同じ速度で落下するのか?もし重力がないのなら、なぜヘリウム風船は真空室の中で下に落ちるのか?また、重力がなければ、なぜ物を落としたときに上や横ではなく下に落ちるのでしょうか?
そもそも、羽根と金床は、一方が周囲の媒体(空気)よりも根本的に密度が高いのに対し、もう一方はそうでないため、どちらも異なる速度で落下する。タンポポの種とレンガ、あるいは紙切れと巨石を想像してみてほしい。これらの例や他の多くの例は、9.81m/s/sという「重力」による一様な加速度のはずの速度を覆す、まったく異なる速度で落下する。この現象は、より正確には「密度平衡への最大加速度」と呼ばれるだろう。何かが十分な質量を持ち、空気抵抗を打ち消すのに十分な空気力学的特性を持つ限り、物はほぼ同じ速度で空気中を落下する。しかし、例えば媒体を空気から水に変えると、物体は同じ速度で落下しなくなる。つまり、またしても、この重力定数を否定している。
真空チャンバー内では空気の媒体が完全に取り除かれるため、羽毛やボーリングの球を含むすべての物体は、この最大落下速度で落下する。方程式から媒体を完全に取り除くことで、ヘリウム風船を含むすべての物体は同時に地面に落下する。移動する媒体がなければ、すべての物体の落下速度は確かに等しくなるが、これは神話的な引力とは何の関係もなく、周囲の媒体の密度がゼロになったという事実がすべてである。したがって、実際には、真空チャンバー内の羽毛やボーリングの玉、その他のものは、密度がゼロである何もない空間よりも無限に密度が高いので、すべて同じ速度9.81m/s/sで落下する。これは実際には、「何もない空間における物質の一定の落下速度」、つまり「密度平衡に向かう最大加速度」であって、「重力による一様な加速度」ではない。
まず、物体を落下させたときに、上や横ではなく下に落ちるのはなぜかというと、空気/水/陸地が積み重なって形成される圧力勾配があり、それが下に行くほど圧力/重量/密度が高くなり、方向が決まるからだ。第二に、ヘリウム風船は下ではなく上に落ちるため、下方向への偏りがないことが証明される。このことは、軽石を含むさまざまな種類の石を池に投げ入れることでも証明できる。軽石以外の石は底に沈むが、軽石を投入すると水面に浮かび上がってくる。ヘリウム風船が空気より密度が小さいのと同じように、軽石の密度は水より小さいからだ。相対密度が周囲の媒体より低いものは上昇し、相対密度が周囲の媒体より高いものは下降する。これはすべて、ニュートン卿が彼の太陽中心主義に合うように名前を変え、改造するずっと以前からよく知られ、理解されていた密度と浮力の自然物理学によって完璧に説明できる。
しかし、上記のことを差し引いても、平らな地球の上空でそのような飛行が不可能な理由はない。時速540マイルは平均的な民間航空会社の速度だが、ほとんどのコンベアやボーイングはもっと速く、特にこのような長距離飛行では時速600~800マイル以上で飛行する性能を有している。民間旅客機コンコルドの最大飛行速度は、時速1,480マイル(約150km/h)だった。さらに、貿易風とジェット気流が存在し、パイロットはこれを定期的に利用することで、時速をさらに200mphまで上げることができる。したがって、仮にそのような飛行が存在し、地球儀論争者が主張するようなルートをノンストップで移動したとしても、貿易風とジェット気流を利用して速度を上げるだけで、飛行機は平らな地球上で、時間通りに目的地に到着することができる。
平らな地球で重力はどのように働くのか?
重力理論がアイザック・ニュートン卿の想像の片鱗に触れるはるか以前から、密度と浮力という自然物理学は、リンゴが下に落ちる理由を完璧に説明していた。端的に言えば、物体はそれを取り囲む媒質との相対密度に基づいて落ちたり浮き上がったりする。リンゴは空気より密度が高いので落ちるが、ヘリウム風船は軽いので上昇する。これが、雨粒が空気中を落下し、気泡が水中を上昇する理由である。すべてのものは相対密度を求め、それに従って収まるまで上昇または下降する。小さな小石は海の底に沈むが、巨大な客船や空母は海面に浮いているのはこのためだ。小石は小さくても、体積に対する質量(密度)が水より大きいので沈み、客船は大きくても、体積に対する質量が水より小さいので浮く。もしニュートンのリンゴが頭の上ではなく水たまりに落ちていたら、リンゴは空気より密度が高いので空中を落下しただけで、水より密度が低いので水の上に浮いたと見ただろう。肺が空っぽのときよりも、空気が充満しているときのほうが浮きやすいことに気づいたことがあるだろうか。潜水艦は、バラストタンクが空気で満たされているときは海面に浮かんでいるが、通風孔が開いて海水が浸水すると、潜水艦の密度が水より大きくなるため沈み始める。どの深さまで潜りたいかによって、船員はタンク内の空気と水の比率を調整し、再浮上の準備ができたら圧縮空気をタンクに吹き込むことで、海水を強制的に排出し、密度を下げ、水面に浮上させる。
プラスチック風船にヘリウムと空気を約半分ずつ入れることで、この相対密度の事実を証明することもできる。ヘリウムは酸素や窒素など、私たちの周りの空気を構成する気体よりも軽いため、気球に適量のヘリウムを充填してプラスチックの密度を補い、バランスをとることで、上昇も下降もしない平衡状態にある「重力に逆らわない」浮遊気球ができる。
もし重力が存在せず、物体が周囲の媒体よりも密度が高いために落下するだけだとしたら、なぜ様々な質量の物体が同じ速度で落下するのか?もし重力がないのなら、なぜヘリウム風船は真空室の中で下に落ちるのか?また、重力がなければ、なぜ物を落としたときに上や横ではなく下に落ちるのでしょうか?
そもそも、羽根と金床は、一方が周囲の媒体(空気)よりも根本的に密度が高いのに対し、もう一方はそうでないため、どちらも異なる速度で落下する。タンポポの種とレンガ、あるいは紙切れと巨石を想像してみてほしい。これらの例や他の多くの例は、9.81m/s/sという「重力」による一様な加速度のはずの速度を覆す、まったく異なる速度で落下する。この現象は、より正確には「密度平衡への最大加速度」と呼ばれるだろう。何かが十分な質量を持ち、空気抵抗を打ち消すのに十分な空気力学的特性を持つ限り、物はほぼ同じ速度で空気中を落下する。しかし、例えば媒体を空気から水に変えると、物体は同じ速度で落下しなくなる。つまり、またしても、この重力定数を否定している。
真空チャンバー内では空気の媒体が完全に取り除かれるため、羽毛やボーリングの球を含むすべての物体は、この最大落下速度で落下する。方程式から媒体を完全に取り除くことで、ヘリウム風船を含むすべての物体は同時に地面に落下する。移動する媒体がなければ、すべての物体の落下速度は確かに等しくなるが、これは神話的な引力とは何の関係もなく、周囲の媒体の密度がゼロになったという事実がすべてである。したがって、実際には、真空チャンバー内の羽毛やボーリングの玉、その他のものは、密度がゼロである何もない空間よりも無限に密度が高いので、すべて同じ速度9.81m/s/sで落下する。これは実際には、「何もない空間における物質の一定の落下速度」、つまり「密度平衡に向かう最大加速度」であって、「重力による一様な加速度」ではない。
まず、物体を落下させたときに、上や横ではなく下に落ちるのはなぜかというと、空気/水/陸地が積み重なって形成される圧力勾配があり、それが下に行くほど圧力/重量/密度が高くなり、方向が決まるからだ。第二に、ヘリウム風船は下ではなく上に落ちるため、下方向への偏りがないことが証明される。このことは、軽石を含むさまざまな種類の石を池に投げ入れることでも証明できる。軽石以外の石は底に沈むが、軽石を投入すると水面に浮かび上がってくる。ヘリウム風船が空気より密度が小さいのと同じように、軽石の密度は水より小さいからだ。相対密度が周囲の媒体より低いものは上昇し、相対密度が周囲の媒体より高いものは下降する。これはすべて、ニュートン卿が彼の太陽中心主義に合うように名前を変え、改造するずっと以前からよく知られ、理解されていた密度と浮力の自然物理学によって完璧に説明できる。
平らな地球では日の出と日の入りはどのように機能するのか?
平らな地球モデルでは、太陽と月のスポットライトは地球の表面と平行に常に浮遊している。私たちの目から見ると、遠近法の法則により、2つの光は東の地平線を上昇し、頭上高くピークに達した後、西の地平線の下に沈んでいるように見える。嘲笑する人がよく想像するように、それらは平らな地球の裏側に逃げ込むのではなく、むしろ南北回帰線の円周を時計回りに同心円状に回転するのだ。上昇、ピーク、沈下の見え方は、遠近法の法則によるもので、背の高い物体が近くにあるときは頭上高く見えるが、距離が離れると消失点に向かって徐々に低くなる。「太陽は常に地表の上にあり、地表と平行にあるが、朝から正午までは大空を昇り、夕方には地平線の下に沈んで見える。これは、遠近法というシンプルでどこにでも見える法則から生じている。鳥の群れは、平地や湿地を通過するとき、後退するにつれて常に下降しているように見える。群れが広がっている場合、観測者から遠くにいる鳥は近くの鳥よりも低く、あるいは地平線に近く見える。ランプの列の一番奥の灯りが一番低く見えるが、それぞれの灯りの高さは同じである。これらの現象を念頭に置けば、太陽は常に地球の表面と平行であるにもかかわらず、近づいてくるにつれ上昇しているように見え、子午線または正午の位置から離れるときには下降するように見えるはずであることが容易にわかるだろう。
常識的に誰でも解る自然現象だが、長い街灯の列の一端に立つと、最も近くにある街灯が最も高く、最も遠くにある街灯が最も低く見える。一方、列の反対側の端に向かって進むにつれて、近づいている街灯は高くなり、遠ざかっている街灯は徐々に低くなる......観察者が遠ざかるにつれて、物体が低く見えるのは、遠近法の普通の効果である。灯台、教会の尖塔、記念碑、ガス灯、その他の高所にある物体を、ほんの数メートル離れたところから見て、その角度に注目するという実験をしてみよう。遠ざかるにつれて、その物体が見える角度は小さくなり、観測者の距離が長くなるにつれて、物体はどんどん低く見えるようになる。ある地点で、その物体への視線と、その物体が立っている、あるいはその上にある、明らかに隆起している地球の表面は、消失点や地平線を構成する角度に収束する。」-サミュエル・ロウボサム博士、"ゼテティック天文学、地球は球体ではない!" (85と231)
球体の擁護者たちはしばしばこの説明が正しくないと主張し、太陽が単に遠近法のために消えたのであれば、船が水平線の彼方に消えてしまうのと同じように、優れたズーム・カメラなら、沈んだ後でも太陽を完全な視界に戻すことができるはずだと、平地球体論者たちに異議を唱える。現実には、数マイル離れたところから船をズームして視界に戻すのと、3,000マイル(4828km)以上離れたところから太陽を戻すのとでは大違いだ。さらに、通常、船は時速数マイルしか移動していないが、太陽は時速1,000マイル(1609.3km)以上移動しているため、この実験を試みるチャンスは数分しかない。まず、太陽が地平線の下に半分消えて、上半分しか見えなくなるまで待ち、下半分が見えなくなったことを確認する。次に、十分な拡大機能を持つカメラを使い、半分沈んだ太陽にズームインすることで、太陽全体を完全に浮かび上がらせることができる!そして、ズームインしたりズームアウトしたりすると、太陽が地平線の上に昇り、地平線の下に沈むように見え、多くの場合、空のかなりの部分が太陽の下に再び現れ、太陽が単にあなたの位置から遠ざかっているだけで、物理的に地球の曲率の下に落ちているのではないことが疑いの余地なく証明される。
太陽中心主義者は、これまで地球を歩いてきたすべての人間が自分の目で見てきたことと正反対のことを信じさせようとしている。 太陽、月、星、惑星、上空のあらゆる光が、私たちの足元の動かない地球の上を回り、その周りを回っていることは、子供や自分で思考する判断力を持った大人なら誰でも知っている。また、太陽と月はほぼ同じ大きさで、地球の比較的近くに位置していることは明白であり、400倍もサイズが異なっているわけでもなく、何百万マイルも何千万マイルも離れているわけでもない。このような根拠のないSFファンタジーのために、自分の感覚や日常的な経験を放棄することは、権威に媚売りをする極端な邪道であり、洗脳された信者は自分の自然な直感を信じることができなくなり、天文学の魔術師の空想的な説明に永遠に縛られることになる。
「地球は引き伸ばされた構造をしており、中央の北から南に向かってあらゆる方向に分岐している。赤道は北の中心と南の円周の中間にあり、太陽の進路を北偏と南偏に分ける。太陽が世界を最も長く一周するのは、最大南偏角まで達したときである。徐々に北上すると、円は縮小する。太陽は進路の南端に達してから約3ヶ月で、赤道を一周する。それでも北上しながら世界を一周し、さらに3ヶ月後には最大北偏角となり、太陽は再び南へ向かい始める。北緯では、太陽が北に向かうとき、太陽は毎日早く昇り、正午には高度が高くなり、日没は遅くなる。一方、南緯では、同じ時に太陽は当然のように遅く昇り、正午には高度が低くなり、日没は早くなる。南半球の夏、例えば9月から12月にかけての北半球では、太陽は毎日遅く昇り、正午には高度が下がり、早く沈む。地球の周りを毎日回るこの運動が、昼と夜の入れ替わりの原因であり、北回りと南回りのコースが季節を生み出す。太陽が赤道より南にあるとき、南は夏、北は冬となる。季節が交互にやってくるという事実は、地球が太陽の周りを公転しているというニュートン流の妄想を真っ向から否定するものである。夏は地球が太陽に最も近く、冬は地球が太陽から最も遠いことが原因だと言われている。しかし、読者がどの教科書の議論に従おうとすれば、この理論によれば、地球が太陽に最も近いとき、北緯と南緯の両方で夏があるはずであり、同様に、地球が太陽から最も遠いとき、地球全体が同時に冬になるはずであることがわかるだろう!要するに、地球が球状であり、太陽の周りを公転しているという仮定では、季節の繰り返しを説明することは不可能なのである。」-トーマス・ウィンシップ、"ゼテティック宇宙発生論" (124-125)
「1年の本質的な特徴は、2つの6ヶ月の均等な期間に分割されることである。第一に、昼の長さが夜の長さを上回り、その逆も然りである。日の出と日の入りの時間の変化によって支配されることに基づくことであり、第二に、太陽が真昼に天空で到達する高さの高低によって決まることである。 昼が夜より長く、太陽が一年の頂点に達する第一の周期は、春分から秋分まで、つまり3月21日から9月22日までである。第二の周期は、逆に夜が昼より長くなり、太陽が一年の最低点に下がる周期で、秋分から春分まで、つまり9月23日から3月20日までである。この2つの6ヶ月の期間は、気温が反対になることも特徴である。春と夏に対応する第一のサイクルでは、暑さは徐々に上昇し、下降する。一方、秋と冬を構成する第二のサイクルでは、寒さの強さが徐々に上昇し、下降する。」-ガブリエル・アンリエ『天と地』(3-4)
「もし太陽が固定されていて、地球がその下を公転しているのなら、赤道を挟んだ両側に同じ現象が同じ距離で存在するはずだ!ニュージーランドの薄明がイギリスよりずっと突然で、夜がイギリスよりずっと寒いのはなぜだろう?南の「半球」が北の「半球」よりも速く回転するはずがない!緯度はほぼ同じで、地球を一周する距離は南緯50度でも北緯50度でも同じであり、全体が24時間に1回自転するように、2つの場所の表面は同じ速度で太陽の下を通り、光はまったく同じように朝に近づき、夕方に遠ざかるはずであるにもかかわらず、事実はまったく逆である!......北部の絶え間ない太陽光線は、きわめて急速に数多くの植物性生物を発達させ、何百万もの生き物を養っている。しかし南部では、太陽光線が中心部に留まることも滞留することもなく、海や陸を急速に駆け巡り、24時間で南半球を一周するため、地表を灼熱化させ心地よい刺激を与える時間がないのである。したがって、比較的低緯度の南部でさえ、あらゆるものが荒涼とした様相を呈している。もし地球が地球儀であり、動いていない太陽の下を軸として回転しているのであれば、このような南北の違いは存在し得ない。2つの半球は同じ緯度で同じ程度の光と熱を受け、種類も程度も同じ一般的な現象を持つだろう。北と比較して南に見られる特異性は、北の中心を持つ静止平面上に存在しうるものに過ぎず、その平面と同心円上に移動する太陽の経路が存在する。」サミュエル・ロウボサム博士、"ゼテティック天文学、地球は地球儀ではない!"(116-121) (116-121)
球体の擁護者たちはしばしばこの説明が正しくないと主張し、太陽が単に遠近法のために消えたのであれば、船が水平線の彼方に消えてしまうのと同じように、優れたズーム・カメラなら、沈んだ後でも太陽を完全な視界に戻すことができるはずだと、平地球体論者たちに異議を唱える。現実には、数マイル離れたところから船をズームして視界に戻すのと、3,000マイル(4828km)以上離れたところから太陽を戻すのとでは大違いだ。さらに、通常、船は時速数マイルしか移動していないが、太陽は時速1,000マイル(1609.3km)以上移動しているため、この実験を試みるチャンスは数分しかない。まず、太陽が地平線の下に半分消えて、上半分しか見えなくなるまで待ち、下半分が見えなくなったことを確認する。次に、十分な拡大機能を持つカメラを使い、半分沈んだ太陽にズームインすることで、太陽全体を完全に浮かび上がらせることができる!そして、ズームインしたりズームアウトしたりすると、太陽が地平線の上に昇り、地平線の下に沈むように見え、多くの場合、空のかなりの部分が太陽の下に再び現れ、太陽が単にあなたの位置から遠ざかっているだけで、物理的に地球の曲率の下に落ちているのではないことが疑いの余地なく証明される。
太陽中心主義者は、これまで地球を歩いてきたすべての人間が自分の目で見てきたことと正反対のことを信じさせようとしている。 太陽、月、星、惑星、上空のあらゆる光が、私たちの足元の動かない地球の上を回り、その周りを回っていることは、子供や自分で思考する判断力を持った大人なら誰でも知っている。また、太陽と月はほぼ同じ大きさで、地球の比較的近くに位置していることは明白であり、400倍もサイズが異なっているわけでもなく、何百万マイルも何千万マイルも離れているわけでもない。このような根拠のないSFファンタジーのために、自分の感覚や日常的な経験を放棄することは、権威に媚売りをする極端な邪道であり、洗脳された信者は自分の自然な直感を信じることができなくなり、天文学の魔術師の空想的な説明に永遠に縛られることになる。
平らな地球では季節はどうなるのか?
平地球モデルでは、太陽と月の光は地球の周りを公転し、それらが通過する地域をスポットライトのように照らす。太陽のコークスクリューの旅は、冬至の南回帰線から始まり、そこで太陽は地球上とその周囲を最も速く、最も大きく一周する。その後3ヶ月間、太陽は毎日少しずつ進路を狭め、速度を落とし、春分までに太陽が南回帰線から赤道まで螺旋状に進む。それからまた3ヶ月間、太陽は毎日わずかに進路を狭めて速度を落とし続け、夏至に太陽が北回帰線を最も小さくゆっくりと一周するまで続く。太陽はこの最も内側の円に達すると、今度は対向し、拡大し、速度を速めながら、南回帰線に向かって戻る旅を始める。それから3ヶ月間、毎日太陽はわずかに進路を広げ、速度を速め、秋分までに太陽は北回帰線から赤道に螺旋を描いて戻る。それからまた3ヶ月間、太陽は毎日少しずつ進路を広げ、速度を上げ続ける。冬至になると、太陽は南回帰線を最大最速で繰り返し一周し、年に一度のコークスクリューの旅が再び始まる。「地球は引き伸ばされた構造をしており、中央の北から南に向かってあらゆる方向に分岐している。赤道は北の中心と南の円周の中間にあり、太陽の進路を北偏と南偏に分ける。太陽が世界を最も長く一周するのは、最大南偏角まで達したときである。徐々に北上すると、円は縮小する。太陽は進路の南端に達してから約3ヶ月で、赤道を一周する。それでも北上しながら世界を一周し、さらに3ヶ月後には最大北偏角となり、太陽は再び南へ向かい始める。北緯では、太陽が北に向かうとき、太陽は毎日早く昇り、正午には高度が高くなり、日没は遅くなる。一方、南緯では、同じ時に太陽は当然のように遅く昇り、正午には高度が低くなり、日没は早くなる。南半球の夏、例えば9月から12月にかけての北半球では、太陽は毎日遅く昇り、正午には高度が下がり、早く沈む。地球の周りを毎日回るこの運動が、昼と夜の入れ替わりの原因であり、北回りと南回りのコースが季節を生み出す。太陽が赤道より南にあるとき、南は夏、北は冬となる。季節が交互にやってくるという事実は、地球が太陽の周りを公転しているというニュートン流の妄想を真っ向から否定するものである。夏は地球が太陽に最も近く、冬は地球が太陽から最も遠いことが原因だと言われている。しかし、読者がどの教科書の議論に従おうとすれば、この理論によれば、地球が太陽に最も近いとき、北緯と南緯の両方で夏があるはずであり、同様に、地球が太陽から最も遠いとき、地球全体が同時に冬になるはずであることがわかるだろう!要するに、地球が球状であり、太陽の周りを公転しているという仮定では、季節の繰り返しを説明することは不可能なのである。」-トーマス・ウィンシップ、"ゼテティック宇宙発生論" (124-125)
「1年の本質的な特徴は、2つの6ヶ月の均等な期間に分割されることである。第一に、昼の長さが夜の長さを上回り、その逆も然りである。日の出と日の入りの時間の変化によって支配されることに基づくことであり、第二に、太陽が真昼に天空で到達する高さの高低によって決まることである。 昼が夜より長く、太陽が一年の頂点に達する第一の周期は、春分から秋分まで、つまり3月21日から9月22日までである。第二の周期は、逆に夜が昼より長くなり、太陽が一年の最低点に下がる周期で、秋分から春分まで、つまり9月23日から3月20日までである。この2つの6ヶ月の期間は、気温が反対になることも特徴である。春と夏に対応する第一のサイクルでは、暑さは徐々に上昇し、下降する。一方、秋と冬を構成する第二のサイクルでは、寒さの強さが徐々に上昇し、下降する。」-ガブリエル・アンリエ『天と地』(3-4)
「もし太陽が固定されていて、地球がその下を公転しているのなら、赤道を挟んだ両側に同じ現象が同じ距離で存在するはずだ!ニュージーランドの薄明がイギリスよりずっと突然で、夜がイギリスよりずっと寒いのはなぜだろう?南の「半球」が北の「半球」よりも速く回転するはずがない!緯度はほぼ同じで、地球を一周する距離は南緯50度でも北緯50度でも同じであり、全体が24時間に1回自転するように、2つの場所の表面は同じ速度で太陽の下を通り、光はまったく同じように朝に近づき、夕方に遠ざかるはずであるにもかかわらず、事実はまったく逆である!......北部の絶え間ない太陽光線は、きわめて急速に数多くの植物性生物を発達させ、何百万もの生き物を養っている。しかし南部では、太陽光線が中心部に留まることも滞留することもなく、海や陸を急速に駆け巡り、24時間で南半球を一周するため、地表を灼熱化させ心地よい刺激を与える時間がないのである。したがって、比較的低緯度の南部でさえ、あらゆるものが荒涼とした様相を呈している。もし地球が地球儀であり、動いていない太陽の下を軸として回転しているのであれば、このような南北の違いは存在し得ない。2つの半球は同じ緯度で同じ程度の光と熱を受け、種類も程度も同じ一般的な現象を持つだろう。北と比較して南に見られる特異性は、北の中心を持つ静止平面上に存在しうるものに過ぎず、その平面と同心円上に移動する太陽の経路が存在する。」サミュエル・ロウボサム博士、"ゼテティック天文学、地球は地球儀ではない!"(116-121) (116-121)
平らな地球で真夜中の太陽はどのように機能するのか?
真夜中の太陽(白夜)とは、夏至の時期に北極圏以北で観測者が経験する現象で、太陽が沈むことなく360度ぐるぐると回っているのを見ることができる。観測者がどのくらい北にいるかにもよるが、太陽は数日から数週間にわたって見ることができ、いつもと同じように昇ったり沈んだりするが、完全に地平線の彼方に沈むことはない。太陽が北回帰線に到達すると、地球上空を最も狭い範囲で一周するため、北極圏の中心に位置する観測者は、太陽が地平線の彼方に沈むほど太陽から離れることはない。太陽が赤道に戻る夏至を過ぎると、太陽は完全に沈み、北極の昼は短くなる。一方、南極では夏至の時期になると、5月中旬から7月中旬までの2カ月以上にわたって太陽が完全に姿を消し、南極圏以南は厳しい寒さの暗闇に包まれる。繰り返しになるが、太陽が北回帰線に向かって進路を狭めたり縮めたりすることで、南極の周囲からかなり遠ざかり、はるか南方に位置する観測者からは見えなくなるからだ。南極観測隊が再び太陽を地平線上に見ることができるようになり、南極の日が長くなり始めるのは、太陽が拡大して進路を大きく戻すようになる7月半ば以降である。太陽中心説の地球儀モデルに適合させるためには、この白夜現象は南極圏以南の観測者にも冬至の時期に起こるはずである。観測者がどのくらい南にいるかにもよるが、太陽は北極と同じように完全に沈むことなく数日/数週間は見えるはずだ。しかし実際には、南極大陸では1年を通して24時間日照があることはない。冬至の間、太陽は南回帰線上とその周囲を最も広い範囲で周回するため、南から十分に離れた場所にいる観測者は、太陽との距離が近いために日照時間が延長されるが、それでも毎日、太陽が完全に地平線から昇り、沈むのを観測することができる。実際、北極と南極の気候が大きく異なるのはこのためであり、それぞれが受ける太陽光の量が大きく異なるからである。太陽中心の地球モデルに基づけば、北極も南極も毎年同程度の日照量を受け、同程度の気温、季節の変化、植物や動物の生命維持能力を持つはずだが、実際にはこれらの点で大きく異なっている。
南極大陸は地球上で最も寒い場所で、年間平均気温は華氏マイナス57度、最低気温はマイナス135.8度である!しかし、北極の年間平均気温は4度と比較的暖かい。一年を通して、南極の気温差は北極の半分以下である。北極圏の夏は適度に暖かく、冬は過ごしやすいが、南極圏は雪と氷が溶けるほど暖かくなることはない。南緯49度に位置するケルゲレン島には、その過酷な気候に耐えうる自生植物が18種しかない。北緯65度、赤道から16度北に位置するアイスランドは、ケルゲレンの南よりも北にあるが、アイスランドには870種もの植物が自生している。北のカナダやイギリスでは、さまざまな高木の密林が広がっているが、その北と同じ緯度上の南緯54度のジョージア島について有名なキャプテン・クックは、爪楊枝を作るのに十分な大きさの低木を1つも見つけることができなかったと記している!北極では四季がはっきり区別され、夏は暖かく、動植物も豊富であるのに対し、南極ではそのようなことはない。エスキモーは北緯79度線まで生息しているが、南方では56度線より高いところに原住民はいない。
この1つの事実が太陽中心地球モデルを破壊することになるため、1950年代以来、南極条約が存在し、50カ国以上が署名して、南極への単独旅行と探検を禁止している。高額の添乗員付きペンギンツアーや政府公認の業者を除けば、南極大陸に足を踏み入れることは許されない。特に、24時間日照が絶えないはずの冬至の時期はなおさらだ。これは太陽中心主義的な見せかけにとって非常に重要であるため、ネットで検索すると、南極大陸の24時間日照を示すと称するビデオをいくつか見つけることができるが地球の画像と同様に全部偽物である。南極の24時間タイムラプスを撮影したとされる最も人気のある動画は、実は偶然にも山が動画のテキストレイヤーの上に重なっており、巧妙な詐欺であることが証明されている。他の動画は、単に北極の白夜のタイムラプスを映しているだけだが、南極からのものだと主張している。北極圏の真夜中の太陽を撮影した、はっきりと本物の映像はネット上で何十本も見ることができるし、北極圏の上空を自由に旅して自分の目で体験することもできる。しかし逆に、南極の白夜と思われる現象については、ネット上に明らかにフェイクと思われる動画が数本あるだけで、自由に旅行して体験することはできない。
日食は平らな地球上でどのように機能するのか?
現代天文学が月食や日食を正確に予測できるのは、太陽中心説の結果であり証明だと考える人は多い。しかし、日食はコペルニクスの「太陽中心球地球説」が生まれる何千年も前から、世界中の文化によって正確に予言されてきたという事実がある。紀元1世紀のプトレマイオスは、平らで静止した地球を前提に、600年もの間、現在生きている誰よりも正確に日食を予測していた。紀元前600年にさかのぼれば、タレスはメデ人とリディア人の戦争を終結させた日食を正確に予測していたし、はるか3000年前には、カルデア人、エジプト人、インド人、中国人などが、現代の方法と同じ数秒以内の範囲で日食を正確に予測していた。日食は18年周期で定期的に正確に起こるので、地動説、天動説、平地球、地球球の宇宙論に関係なく、日食はそのような要素とは無関係に正確に計算できる。太陽中心主義者は、地球の球状の形を証明するもう1つの仮説として、月食は球状の地球の影が月を掩蔽することによって引き起こされると主張している。太陽、地球、月の球体が3つのビリヤードの球のように完全に一直線に並び、太陽の光が地球の影を月に落とすというものだ。残念なことに、月食は太陽と月が地平線の上に一緒に見えているときに起こり、今も定期的に起こっているという事実のために、この説明は完全に無効になってしまう。さらに、太陽の光が地球の影を月に落とすには、3つの天体が180度の直行軌道で一直線に並んでいなければならない。
早くもプリニウスの時代には、太陽と月の両方が空に見えているときに月食が起きたという記録があり、今日に至るまで月食が起き続けている。太陽中心主義者は通常、自分たちの理論の矛盾を説明するために、光の屈折が現象を説明するのに十分な大きさで起こっているに違いないと主張するが、このとてもあり得ない逆エンジニアリングによるダメージ・コントロールの説明が受け入れられたとしても、地球にいる観測者が、球状の地球の周囲180度、12,000マイル離れた反対側の物体を見ることができるはずなのを説明することはできない。現実には、日食はビリヤードの玉を3つ並べるよりもはるかにオカルト的で神秘的な現象である。
月食は、月が黄道の交点で太陽と反対側にある満月の時にのみ起こり、日食は、月が黄道の交点で太陽と一直線上にある新月の時にのみ起こる。このような太陽と月の重なりや対立は、太陽年に最低4回起こり、その正確な高度や観測者の位置によって、部分日食、皆既日食、金環日食が起こる。古代の宇宙論では、こうした月の節とそれに伴う日食はラーフとケトゥという神として擬人化され、しばしば太陽や月を食い荒らす姿が描かれた。日食の時は新月の重なりが太陽と直接交差してブラックアウト効果を引き起こし、月食の時は満月が太陽と重なることで影のような赤い色合いを引き起こす。この現象は、発光体とその規則的な相互作用に関わる完全な天体的現象であり、私たちの足元にある地球が天空に影を落とすような地上的現象ではない。
平らな地球で南の星はどのように機能するのか?
地球は平らな動きのない平面で、太陽、月、星々が私たちのまわりを回っているのを、みなさんが毎日体験しているのと同じように見ている。北極星は、北極星の真上に位置する磁気の単極中心点である。北極星は天界で唯一動かない星であり、他の星座はすべて、毎晩地球の上で完全な円を描いて回っている。いわゆる "惑星 "は、古代人には "さまよえる星 "として知られていたが、当時も現在と同じように、天空をさまよい、スピログラフのような独自のパターンを描きながら、その周期の間、地球の上空で順行運動と逆行運動をすることが観察されていたため、このような名前が付けられた。一方、"恒星 "と呼ばれる星々は、その当時、私たちが今日観察できるように、毎晩、毎年、何世紀経ってもその星座のパターンに固定され、相対的な位置が変わることがないことが観察されたため、このような名前が付けられた。もし地球がNASAや現代天文学が主張するように、本当に傾き、ぐらつき、回転するスペースボールで、時速1,600kmで自転しながら、太陽の周りを時速10万kmで公転して、太陽系が銀河系の軌道を時速85万kmで公転し、銀河系が膨張する宇宙に乗るかたちで、秒速630km(時速約216万km)の速度で移動しているとするなら、星の模様が2晩続けて同じに見えることはないだろうし、ましてや何千年も何万年もまったく同じ星座に固定されることはないだろう!現実には、地球と北極星は動かない。一方、天界の他のすべてのものは、プラネタリウムのドームのように、地球上と北極星を中心に東西に回転している。しかし、地球のプラネタリウムは非常に広大であるため、遠近法ではどの地点からでもすべての星を同時に見ることはできない。北極星、おおぐま座/こぐま座、その他の北の星座は、赤道の北のどの地点からでも同時に見ることができるが、逆に、いわゆる南極星であるシグマ・オクタンティス、南十字星、その他の外側の星座は、赤道の南のどの地点からでも同時に見ることはできない。というのは、これらの星座はすべて、夕方に昇ってから朝に沈むまで、大きな南の弧を描いているからである。北を向くと星は反時計回りに右から左へ回り、南を向くと時計回りに左から右へ回り、東を向くと星は前に上がり後ろに沈み、西を向くと星は後ろに上がり前に沈む。そのため、見かけの動き、角度、傾きは、地球上のどこにいるか、どの方角を向いているかによって変わるが、実際の動きは常に東から西である。
「もうひとつ確かなことは、赤道より北から北極星と、おおぐま座、こぐま座、その他多くの星座を、すべての子午線から同時に見ることができるということである;一方赤道から南からは、いわゆる南極星も、際立った星座である南十字星も、すべての子午線から同時に見ることはできないが、これは北極星を含む南のすべての星座が、夕方に昇って朝に沈むまで、大きな南の弧を描いて子午線を横切っていることを示している。しかし、地球が球体であれば、南極星のシグマ・オクタンティスと南周極星座の南十字星は、北極星や北周極星座と同じように、同じ緯度のどの経度からも同時に見えることになる。しかし、そのようなことはない。」-サミュエル・ロウボサム博士、"ゼテティック天文学、地球は地球儀ではない!" (286)
平らな地球では潮汐はどのように機能するのか?
アイザック・ニュートン卿は、地球の海の潮汐は月の引力によって引き起こされると理論化し、現在では一般的に教えられ、信じられている。月の重力は「潮汐力」と呼ばれるものを発生させ、地球とその水を月に近い側だけでなく、月から遠い側にも押し広げると言われている。しかし、彼ら独自の計算と予測によれば、月の直径がわずか2,160マイルで、地球が8,000マイルだとすると、地球の方が87倍も質量が大きく、したがって、大きい物体が小さい物体を引き寄せるはずであり、その逆ではないことになる。太陽中心主義者は、地球の重力の方が大きいから月が軌道上にあるのだと主張する。したがって、地球の海面では、月の重力が地球の重力よりもはるかに小さいため、月の引力が地球の引力に勝ることはありえない。もし月が、地球の引力が急激に大きく働いているとされる深部からの海の水を1インチでも持ち上げるのに十分な引力を持っているならば、引力の理論上、月までの水の引力を妨げるものは何もないことになる。さらに、月の速度と進路は一様であるため、地球の潮汐に一様な影響を及ぼすはずだが、実際には地球の潮汐は大きく変動する。例えば、ポートナタールでは海面上昇と海面下降はわずか6フィート(1.8m)だが、海岸から600マイル(965.6km)離れたベイラでは海面上昇と海面下降は26フィート(7.9m)もある。それだけでなく、もし月の重力が本当に潮汐力を発生させ、地球とその水を膨張させているとしたら、世界中の湖沼、池、その他の内水面も同じように影響を受け、潮汐が発生することになる。このような問題やその他の問題により、アイザック・ニュートンは、潮汐の説明が彼の重力理論の中で「最も納得のいかない」部分であることを公然と認めた。「こうして私たちは、海の潮の満ち引きは月の引力によるものではなく、単に「大いなる深み』にある地球上の地盤が単純に上昇したり下降したりすることによって生じるという結論へと、圧倒的な証拠力によって導かれてきた。もし海水が月によって上昇し、地球によって下降するのであれば、大海の底に存在するあの静けさはありえない。大気が地球に絶えず圧力をかけているというこの事実を念頭に置き、地球が『水の上に広がる』広大な平面であるという事実と結びつければ、必然的に大気がわずかに変動し、水中でゆっくりと上昇したり下降したりしなければならないことがわかるだろう。大気の作用によって地面はゆっくりと沈下し、海水は後退する岸に向かって移動して洪水潮を発生させ、抵抗する海洋媒体の反作用によって地盤が徐々に上昇すると、海水は後退して干潮潮を発生させる。これが潮汐の一般的な原因である。どのような特有の現象が観察されようとも、それは水路、湾、岬、その他の局所的な原因によるものである。」サミュエル・ロウボサム博士、"ゼテティック天文学、地球は地球儀ではない!"(108-110)
「潮の干満の差が大きいのは、隣地の地形が異なることが主な原因だ。チェプストウでは60フィート(18.3m)、ポーティスヘッドでは50フィート(15.2m)まで上昇するが、ダブリン湾ではわずか12フィート(3.7m)、ウェックスフォードではわずか5フィート(1.5m)である。地球そのものにわずかな震動があることは、できるだけ安定した状態で固定されている場合でも、水準器の動きに見ることができる。また、海に揺らぎがあることは、夏の最も穏やかな日に停泊している船の揺れで目撃することができる。潮汐がどのような手段で規則的に影響を受けているかは、現在のところ推測でしかない。おそらく、大深海の水に対する大気圧によるものかもしれないし、故ローボッサム博士が示唆したように、フラットアース上の月そのものが大気に影響を与え、気圧を増減させ、間接的に水中での地球の上昇と下降をもたらすのかもしれない。」 -デヴィッド・ウォードロー・スコット、"Terra Firma" (259-260)
潮の満ち引きは明らかに、地球の他の海域ではなく、相互につながった海域の産物である。したがって、上記の著者や他の19世紀の著者が述べているように、大深海の上に静止している地球の自然な変動によって引き起こされるか、あるいは、より古代の探検家の記述が信頼できるとすれば、さらに不思議な現象の可能性がある。歴史を通じて多くの文化が、北極に巨大な渦巻きの渦に囲まれた大きなロドストン・マウンテンがあり、それが地球の潮汐を引き起こすと主張してきたと記録している。この大渦は、地球のへその中心点にあるガイアの呼吸のように、1日に2回、海水を吸ったり吐いたりして、6時間ごとに交互に方向を反転させると言われている。もしそれが本当なら、大潮と小潮の一貫した規則性は、他のどの理論よりもうまく説明できる。
古代北欧の伝説によれば、「フヴェルゲルミル」(世界の井戸)と呼ばれる巨大な激しい渦が極地の山を取り囲み、地下水路を通じて1日4回、6時間の周期で押し引きを繰り返すことで、地球の潮の満ち引きを引き起こしているという。この "深い淵 "に関する歴史的記録は、紀元8世紀にはすでに見つかっている。パウルス・ディアコヌス(助祭パウロ)が『ランゴバルドルムの歴史』の中で次のように記している: 「海が際限なく広がる海岸からそう遠くないところに、われわれが一般に海のへそと呼ぶ、非常に深い水の淵がある。1日に2回、波を吸い込んで、また吐き出すと言われているように、波が押し寄せ、恐るべき速さで再び戻っていくことが、この沿岸のいたるところで証明されている。先に述べた渦潮によって、船はしばしば矢が空を飛ぶような速さで引き込まれると言われているし、時には非常に恐ろしい破壊を伴って湾内で難破することもある。潜ろうとした瞬間、突然の波の衝撃で再び引き戻され、引き込まれたときと同じ速さで再び外へ押し出されることがよくある。」
西暦1035年、ブレーメンのフリジア人探検家アダムは、その著書『Gesta Hammaburgensis Ecclesiae Pontificum』の中で、この「深淵な裂け目」との致命的な遭遇をこう語っている: 「突然、彼らは、目では到底見通すことのできない、茫洋とした暗い霧の中に落ちた。そして見よ、変動する海の流れは、神秘的な源泉へと渦を巻きながら逆流し、絶望の中で死しか念頭になかった不幸な船員たちを、猛烈な勢いで混沌へと引きずり込んだ。これが「深淵の裂け目」であると彼らは言うが、その深淵では、通常、再度上昇する変動が表現されるように、減少しているように見える海の逆流がすべて吸い込まれ、再び勢いを増すという報告がある。仲間たちが自分たちの魂を受け入れてくださるよう神の憐れみを祈っていたとき、海の後方への推進力が彼らの船の一部を運び去ったが、前方への放出が残りの船を他の船のはるか後方に投げ捨てた。こうして、目の前にあった即座の危機から神の時宜を得た助けによって解放された彼らは、力を尽くして漕ぎ出し、洪水を乗り越えた。」
ブレコンの大助祭であり、ヘンリー2世の王室書記官であったジラルダス・カンブレンシス(ウェールズのジェラルド)は、1188年の著作『Topographia Hibernica』の中で次のように記している: 「島々からそう遠くない北の方、海には驚くべき渦があり、そこへ向かって四方八方から波が押し寄せてくるが、やがて自然の秘境へと流れ込み、いわば奈落の底に飲み込まれてしまう。船がその方向を通り過ぎようものなら、波の力によって巻き込まれ、引き寄せられ、逃げ場もなく渦に吸い込まれてしまう。海にはこの渦が4つあり、哲学者たちは世界の4つの方角に存在すると述べていることから、風と同様に海の流れも一定の原理によって制御されていると推測されている。」この渦潮は、12世紀後半の著作『ノルウェーの歴史』(Historia Norwegiae)でも言及されており、著者のノルウェー人修道士(匿名)は、特に詳細な記述でこう述べている: 「あらゆる渦潮の中で最大のものがそこにあり、最強の船を巻き込み、干潮時には吸い込み、満潮時にはその破片を吐き出す。地球そのものに非常に深い淵があり、その横には口を開けた洞窟があり、水の呼吸によってもたらされると言われる風が吹き込んでいる。実際、これらの風はその呼吸によって、大地の隠れた通路を通って海の水を引き寄せ、奈落の底に閉じこめ、同じ力によって再び押し出して、海面上昇、潮吹き、渦巻きを引き起こす。地震も起こるし、さまざまな蒸気の放出や火災も起こる。地球の頬にこもった風の息が吹き出そうとするとき、それは恐ろしい轟音とともに世界の土台を揺さぶり、震え上がらせるからだ。風の息が地球の内部で火と争うとき、大洋の真ん中でさえ、深海に亀裂が生じ、煙のような呼気と硫黄のような炎が現れるのが見える。」
1508年、地図製作者ヨハネス・ルイシュは、極地の山と渦潮が描かれた世界地図を発表した: 「北極の下には、周囲33ドイツマイルの磁気を帯びた高い岩がある。波立つ海がこの岩を取り囲み、あたかも水が壷から下の4つの口へと注ぎ込むかのようである。」その後、1595年、歴史上最も有名な地図製作者であるゲラルドゥス・メルカトルが151号「Septentrionalium Terrarum Descriptio」を出版し、極地の山と渦潮を詳細に描き、次のように記した: 「海にある怪物のような溝、そこへ向かって四方から遠方からやってくる海のうねりが、まるで導管によってそこに運ばれてきたかのように収束し、一緒になって走り、この神秘的な自然の深淵に流れ込み、まるでそれによって食い尽くされるかのようになり、万が一、船がそこを通るようなことがあれば、波の強力な暴力によって取り押さえられ、引き離され、この飢えた力がすぐにそれを飲み込んで二度と現れない。」エリザベス1世の顧問であったジョン・ディーに宛てたメルカトルの書簡が残っており、その詳細が記されている: 「四つの国の真ん中には渦があり、そこに北を分割する四つの引き離せない海がある。そして水は、まるで漏斗(じょうご)に水を通すかのように、ぐるぐると回りながら地球の中に降りていく。極の四方の幅は4度、つまり全部で8度である。」
火山と地震は平らな地球上でどのように機能するのか?
よく聞かれる質問のひとつに、地震や火山は平らな地球ではどうなるのかというものがある。簡単に答えれば、地震や火山が曲率のある地球上でどのように機能しても、曲率のない地球上でもまったく同じように機能するということだ。なぜなら、これらの現象について存在する理論は、地球の形状とは無関係だからである。とはいえ、地震の原因に関する一般的な理論は、球状の地球よりも平面の地球の方が理にかなっている。プレートテクトニクスの理論では、隣接する大きな地殻変動プレートが摩擦を重ね、一方の断層面が他方の断層面の下に滑り込んで地震を引き起こすと考えられている。しかし、「プレート」テクトニクスから断層「プレーン」テクトニクスに至るまで、主流となっているイメージや用語はすべて、球体ではなく水平な平面の地質を示唆している。
火山に関しては、地球儀モデルは、火山から噴火して放出される溶岩は、トッツィーポップ地球の魔法のマグマ・トッツィーロールの中心部の奥深くからやってくると主張している。(トッツィーとはアメリカ産の人気キャンディ)しかし実際には、史上最長・最深の掘削作業であるロシアのコラ・スーパーディープでは、20年以上の歳月をかけ、何本ものドリルを破壊して、わずか8マイル(12.9km)しか掘り下げることができなかった。したがって、溶融マグマがあるとされる地殻、アウター・マントル、インナー・マントル、アウター・コア、インナー・コアの各層を示す、学校で教えられるボール状の地球モデル全体は、すべてまったくの憶測にすぎず、私たちは実際に地殻の向こう側へ突き抜けたことすらないのである。
分かっているのは、地球の物質は下に行くほど密度が高くなり、圧力が高くなり、その結果加熱されるということだ。最大深度8マイル弱で、コラ・スーパーディープのボーリング孔は華氏356度の高温を記録した。下へ下へと掘り進むにつれて、温度は50フィートごとに華氏約1度ずつ上昇し続けるため、わずか1.5マイル下っただけですでに熱湯の温度となり、15マイル下る頃にはすべての岩石が溶け落ちて溶融している。
シリマン教授は『アメリカ科学ジャーナル』の中で、「パリのアルテシアン井戸をボーリングしたところ、下方に50フィート(15.2m)下がるごとに1度の割合で温度が上昇した」と書いている。既知の原因から推論すると、地球の内部全体、あるいは少なくともその大部分は、激しい風によって撹拌された溶けた岩石の海である。土壌の最上層の地層は、季節による気温の変化をすべて共有しており、その影響は緯度によって異なるものの、決して大きくはない深さまで及ぼされている。この点を超えると、深度が深くなるにつれて温度は比例して上昇する。何度も繰り返された数多くの実験によって、温度上昇は約54.5フィート(16.6m)ごとに平均1度(華氏)であることが示されている。したがって、地表から約12マイル(19.3km)の深さでは、我々は白熱の塊に近づいていることになる。」
言い換えれば、溶けたマグマは地球の核の数千マイル下で発生するのではなく、わずか12~15マイル下からの水平な地球の層である。この沸騰し続けるゆっくりと移動する溶融物質と有毒ガスの塊は、最終的に地震と火山の両方につながる最も抵抗の少ない領域を見つけ、それを形成する。その動きとストレスは、剪断、褶曲、断層面を引き起こし、それらが激しく収縮することを私たちは地震と呼び、近くの圧力解放弁から過剰なマグマと有害なガスが噴出することを私たちは火山と呼ぶ。これが、地震と火山がしばしば同時に活動する理由であり、世界の火山の大半が主要な地震断層線に沿って存在する理由である。実際、環太平洋火山帯だけで、世界で記録されている地震の90%、活火山の75%が発生している。
シリマン教授はこう続ける: 「科学的な研究によって、地球の内部全体が火の塊であり、われわれが固体と呼んでいるものは、その火の塊が包まれている地殻や皮にすぎないということは、十分に確認されている事実である。この火の作用によって、地殻のあちこちに大きな導管が貫通し、内部炉への煙突として機能していることは確かだ。これらの煙突のうち、実に700本が確認されている。そのうちの300本が現在も稼働中で、煙や蒸気だけでなく、燃焼している液状物質の塊も噴出している。すべての火山は安全弁であり、圧力がある程度まで高まったときに内部から圧力を逃がすようになっている。もし逃がすようになっていなければ、居住可能な地殻を粉々に引き裂くかもしれないが、そのような大火災にならぬように恒久的に役立っている。」
シリマン教授はこう続ける: 「科学的な研究によって、地球の内部全体が火の塊であり、われわれが固体と呼んでいるものは、その火の塊が包まれている地殻や皮にすぎないということは、十分に確認されている事実である。この火の作用によって、地殻のあちこちに大きな導管が貫通し、内部炉への煙突として機能していることは確かだ。これらの煙突のうち、実に700本が確認されている。そのうちの300本が現在も稼働中で、煙や蒸気だけでなく、燃焼している液状物質の塊も噴出している。すべての火山は安全弁であり、圧力がある程度まで高まったときに内部から圧力を逃がすようになっている。もし逃がすようになっていなければ、居住可能な地殻を粉々に引き裂くかもしれないが、そのような大火災にならぬように恒久的に役立っている。」
サミュエル・ロウボサム博士は次のように書いている:「この内部火災の揮発性生成物は強制的に放出され、時折蓄積して爆発し、地層を破壊し、我々が現在観察しているような不規則で混乱した状態を作り出した。それゆえ、地震や火山、その他の自然現象が発生したのである。火山活動の生成物から、内部の火の性質や、燃焼に関係する元素を確認することができる。これらの生成物の中には毒性を持つものもあり、地球上のさまざまな場所にある火口から大量に放出され、風によって飛散して大気中に拡散し、しばしば動物や植物の生命に猛毒として作用するような量となっている...。このように、地震、海底火山、内陸火山に関連する現象は、凍土から熱帯まで地球のあらゆる場所に存在し、高温で沸騰する泉、泥や蒸気の噴水、硫黄やその他の物質が燃える湖、可燃性の破壊的なガスの噴出や爆発、炭鉱のチョークやファイヤー・ダンプに見られることから、地表のわずか数マイル下に、広範囲に及ぶ燃焼地帯が存在することは確かである; 何千マイルにもわたって四方八方に延びる広大な火の海: このほとんど無限の地下炉で起こっている化学的・電気的作用の激しさと威力は、まったく筆舌に尽くしがたいものであり、人間が経験できる範囲のものとは比較にならない。」
平らな地球でウシュアイアの日照時間は17時間?
南緯54度以下に位置する世界最南端の都市、アルゼンチンのウシュアイアでは、毎年12月の日照時間が17時間を超え、冬至の日には最大17時間20分となる。地球儀を信じる人たちは、平らな地球ではこのようなことはあり得ないと主張することが多いが、それは、局所的な、回転する、スポットライトのような太陽は、このような南の場所をこれほど長く照らすことはできないはずだという主張である。そもそも冬至は、太陽が南回帰線に沿って最南端を一周する時であるため、12月に南半球の緯度で日照時間が長くなることは、平らな地球モデルで予想される通りである。ウシュアイアはまた、毎年夏至の日に世界で最も昼が短くなることを誇っている。夏至は、太陽が北回帰線に沿って最北の内側を一周する正確な時刻であるため、これもまた平らな地球モデルで予想される通りである。地球儀擁護派はしばしばこの点を認めるが、最速で最外周を回る局所的な回転スポットライト太陽では、このような南の場所をこれほど長い間照らすことはできないはずだと主張し、timeanddate dot comが表示する年間点灯パターンに従うためには、照らされる領域の実際の形状は、太陽が南へ移動するにつれて増加し、年間を通じて変化しなければならないと主張している。
しかし、これもヴェーダの「平らな地球」モデルでは説明されており、太陽は1年に1度、対流圏から対流圏へとらせん状に移動する間に、冬至の頃に南半球のピークに達するまでの6ヶ月間、高度と速度を着実に上げ、その後夏至の頃に北半球の谷に達するまでの次の6ヶ月間、高度と速度を着実に下げると言われている。この主張を肯定するにも否定するにも、現代の六分儀による実験が必要だが、もし本当なら、なぜ太陽がこれほど長い間南の場所を照らすことができるのかが説明できる。また、標準的な平らな地球地図の上にガラスドームのペーパーウェイトを置き、そこに小さな懐中電灯をさまざまな高さで当てると、実際の発光パターンの形が、毎年恒例のtimeanddate dot.comのグラフィック表示が示すように正確に移動し、変化する。懐中電灯が地図の北側の内側を照らすと、照らされる領域は標準的なスポットライトの形になるが、懐中電灯が地図の南側を照らしながら外側へ移動するにつれて、照らされる領域は次第に三日月型になり、この時間帯の日照時間が長くなる。したがって、もし私たちの地球平面が、多くの古代文化によって主張されたように、結晶性の半透明なドーム状の大空に実際に覆われているならば、この照明サイクルは確かに可能であり、完全に理にかなっている。
平らな地球の上、下、そしてその先には何があるのか?
このテーマに初めて出くわした人たちがよくする3つの関連した質問、そのすべてに共通する答えは、平らな地球の上、下、外には何があるのか?最も短く、最も正直な答えは、結局のところ、地球の上、下、そして彼方に何があるのかはわからないということだ。現実には、地球儀信者自身も、地球の奥深くに何が存在するのか知らないし、無限の真空空間の果てに何が存在するのかも知らない。しかし、彼らは太陽中心主義の司祭たちから、物語やCGI画像の形で、その両方について明確な答えを与えられている。しかし、彼らの一人であるリチャード・ファインマンが雄弁に語っているように、"私はむしろ、疑問を呈することのできない答えよりも、答えることのできない疑問を持ちたい"。地球儀モデルは、球状の地球がいくつかの層に分かれていると主張している。まず厚さ800マイルの鉄とニッケルの内核から始まり、幅1,400マイルの溶融金属マグマの外核に包まれ、1,800マイルのマグネシウムに富んだマントルに囲まれ、10〜20マイルの玄武岩と花崗岩の地殻で覆われている。このことは、世界中の教科書や地質学の教室で事実として教えられているが、唯一の証拠は、専門家が地震の際に「地震波を読む」ことによって、このような非常に具体的な判断を下したと主張していることだけである。物理的で実証可能な証拠としては、ロシアのコラ・スーパーディープ・ボアホールが史上最深の掘削作業に20年近くを費やし、数え切れないほどのドリルが破壊されたにもかかわらず、地殻を突き破ることなく、8マイル(約1.6km)未満の深さまでしか到達できなかった事実だ。したがって現実には、地球儀擁護派もフラットアース派も、私たちが掘削した8マイルの地下に何が存在するのか、本当のところは知らないのである。
後先考えていないかのような地球儀モデルでは無限大に膨張する真空空間を何十億、何百億光年も離れた星や惑星が飛び交っているとしている。科学者、天文学者、宇宙飛行士の誰ひとりとして、そのような主張を確認するために実際にこれらの場所に行った者はいないにもかかわらず、この話全体が福音の真実として教えられ、信じられている。地球の形状のような地上的な事柄に関しては、地球が静止した水平面であることを疑いの余地なく証明する、経験的で実証可能で再現可能な実験が何百と存在するが、上空のルミナリエのような天体的な事柄に関しては、物理的に実験が不可能であるため、それらに関する結論はすべて推論と推測に基づいているだけである。しかし、100倍以下のズームで細部まで確認できることから、想定よりもはるかに近くにいる可能性が高い。
平らな地球の外側に何が存在するかという問題に関しては、世界の主要国が署名した南極条約により、南緯60度以遠の独自探査が禁止されているため、一般人がそれを知ることは法的に許されていない。ヤール・アンデホイのような探検家は、南極大陸への単独航海と探検を何度か試みたが、巡視船に捕らえられ、罰金を科され、投獄された。したがって、上と下に存在するものに対する答えと同じように、平らな地球の外側に存在するものに対する答えも不明なのだ。懐疑論者の中には、ある地点に端があるだろうと示唆する者もいる。多くの古代文化や聖典は、ドーム状の大空にバリアが存在することを示唆しているが、他の地図や理論では、南極を超えた他の外側の土地、あるいは無限の平面が存在すると推測されている。しかし、正真正銘のフラットアース研究者たちは、そのような理論を信じることに満足するのではなく、これらの答えが今のところ私たちの手に届かないものであることを受け入れ、私たちの領域を完全に独自に探索することを推し進め続けている。
フラットアースについて個人的にどのように学びますか?
子供たちは皆、私たちが平らな地球の上に住んでいて、太陽や月や星が私たちの周りを回っていると自然に思い込んでいる。太陽中心主義を教え込まれる前の子供たちは、傾き、ぐらつき、回転する球状楕円体の上に住んでいて、無限の真空空間を信じられないようなスピードで駆け抜けていると思い込んだり、信じたりすることはないだろう。主流メディアや政府の教育を通じて徹底的に洗脳された後でのみ、子供たちは徐々に、実際に自然な日常生活での実体験を放棄し、教師やテレビが信奉する新しい想像モデルを採用し始める。
小学校で太陽系の勉強を始めたとき、地球は太陽のまわりをぐるぐる回って宇宙に浮かぶ巨大な青い球だと教えられたのを覚えている。その概念全体が私には滑稽に聞こえた。私は椅子に座ったままじっと動かずにいたが、眼下の地面が実際に傾き、ぐらつき、回転し、さまざまな方向に時速何千マイルも回転していると聞かされたのだ。窓の外や海辺、山の頂上からは、平らな水平線が少しも下にカーブしていないのがはっきりと見えた。それなのに私は、地球は球体で、まっすぐ下に穴を掘れば中国に飛び出して、もっと下に空が広がっていると聞かされていた!
そのとき先生が、オーストラリアの人たちはみんな、北半球の人たちと相対的に逆さまの人生を送っているのだと主張したので、私は混乱して手を挙げ、"なぜ南半球の人たちはボールから落ちないのですか?"と尋ねたことを覚えている。それに対して私の先生は、太陽中心モデルの一言で、すべての重大な疑問に対する魔法のような答えをあっさりと答えた: 重力 引力- 世界の海や建物や人々を、急速に回転する球に固定するのに十分なほど強い目に見えない力であり、同時に鳥や虫や煙や蒸気やヘリウム風船がその掌握から完全に逃れるのに十分なほど弱い力である。
子供の私には、先生や教科書が主張することに異議を唱えるだけの語彙も自信も教養も経験もなかったが、当惑した私の脳は、教えられたモデルを完全に納得することはなかったし、心の奥底には、地球は彼らが言うようなものではないという、うっすらとした不安が常に残っていた。大学時代、私は最初の著書『アスベスト・ヘッド』を書いた。その中でビッグバン宇宙論の問題点をいくつか指摘し、シンクロするように本の表紙にフラマリオンの平らな地球の絵を選んだ。大学卒業後、私は陰謀について深く研究し始め、インターネットで地動説や平らな地球に関する情報を定期的に探した。最初に表示されるリンクは、「地球は平らな円盤であり、9.81m/sの速度で宇宙空間を上昇し続けている」というような、いわゆる重力の影響を説明するために馬鹿げた主張をする「平らな地球協会」からのものだった。そのウェブサイトでは、このような偽りの主張がなされており、私は一時期、平らな地球について調べることから遠ざかっていた。しかし、私はすぐに検索を続け、19世紀に平らな地球について書かれた本があることを知った。このテーマについて最初に読んだのは、サミュエル・ロウボサム博士の『ゼテティック天文学』(Zetetic Astronomy)だった: そしてウィリアム・カーペンターの『地球が地球でないことの100の証明』である。これらの本は事実に基づいた情報と証拠に満ちており、茶番的で風刺的な地球平板協会や、ナンセンスな理論が満載された彼らのウェブサイトとはまったく違っていた。例えば、19世紀の平らな地球主義者たちは、地球は動かず、重力はまったく存在しないと主張し、それぞれについて豊富な証拠を挙げていた。しかし、現代の平らな地球協会は、何の証拠もなしに、重力は存在し、平らな地球は宇宙空間を永遠に垂直にまっすぐ上に向かって伸びている円盤だと主張している。
2008年、私は次の本『アトランタ人の陰謀』の執筆を終え、出版した。この本には、地動説に関する全章と、NASAの月面着陸を非難する平地球派の言葉がいくつか含まれている。この時点で私は地動説を確信し、平らな地球の宇宙論に大きく傾いていた。当時、アレックス・ジョーンズは陰謀論界で最大の発言者であり、私はこの最も重要なテーマにもっと注目してもらおうと、拙著『The Atlantean Conspiracy(アトランタ人の陰謀)』とともに、ロウボーサム博士の著書『Earth Not a Globe(地球は球体ではない)』をインフォウォーズに送った。プロデューサーのロブ・デューは、アレックスに伝えておくとメッセージを返したが、それっきり二人からの連絡はなかった。しかし数週間後、アレックスがメッセージを受け取ったことは明らかだった。というのも、彼は笑いながらオンエアでこう言ったからだ。「私は平地恐怖症の人たちから、アトランタ人の陰謀だ(エリック・デュベイのウェブサイト)という事実を隠蔽しているという連絡を受けたんだ。」
小学校で太陽系の勉強を始めたとき、地球は太陽のまわりをぐるぐる回って宇宙に浮かぶ巨大な青い球だと教えられたのを覚えている。その概念全体が私には滑稽に聞こえた。私は椅子に座ったままじっと動かずにいたが、眼下の地面が実際に傾き、ぐらつき、回転し、さまざまな方向に時速何千マイルも回転していると聞かされたのだ。窓の外や海辺、山の頂上からは、平らな水平線が少しも下にカーブしていないのがはっきりと見えた。それなのに私は、地球は球体で、まっすぐ下に穴を掘れば中国に飛び出して、もっと下に空が広がっていると聞かされていた!
そのとき先生が、オーストラリアの人たちはみんな、北半球の人たちと相対的に逆さまの人生を送っているのだと主張したので、私は混乱して手を挙げ、"なぜ南半球の人たちはボールから落ちないのですか?"と尋ねたことを覚えている。それに対して私の先生は、太陽中心モデルの一言で、すべての重大な疑問に対する魔法のような答えをあっさりと答えた: 重力 引力- 世界の海や建物や人々を、急速に回転する球に固定するのに十分なほど強い目に見えない力であり、同時に鳥や虫や煙や蒸気やヘリウム風船がその掌握から完全に逃れるのに十分なほど弱い力である。
子供の私には、先生や教科書が主張することに異議を唱えるだけの語彙も自信も教養も経験もなかったが、当惑した私の脳は、教えられたモデルを完全に納得することはなかったし、心の奥底には、地球は彼らが言うようなものではないという、うっすらとした不安が常に残っていた。大学時代、私は最初の著書『アスベスト・ヘッド』を書いた。その中でビッグバン宇宙論の問題点をいくつか指摘し、シンクロするように本の表紙にフラマリオンの平らな地球の絵を選んだ。大学卒業後、私は陰謀について深く研究し始め、インターネットで地動説や平らな地球に関する情報を定期的に探した。最初に表示されるリンクは、「地球は平らな円盤であり、9.81m/sの速度で宇宙空間を上昇し続けている」というような、いわゆる重力の影響を説明するために馬鹿げた主張をする「平らな地球協会」からのものだった。そのウェブサイトでは、このような偽りの主張がなされており、私は一時期、平らな地球について調べることから遠ざかっていた。しかし、私はすぐに検索を続け、19世紀に平らな地球について書かれた本があることを知った。このテーマについて最初に読んだのは、サミュエル・ロウボサム博士の『ゼテティック天文学』(Zetetic Astronomy)だった: そしてウィリアム・カーペンターの『地球が地球でないことの100の証明』である。これらの本は事実に基づいた情報と証拠に満ちており、茶番的で風刺的な地球平板協会や、ナンセンスな理論が満載された彼らのウェブサイトとはまったく違っていた。例えば、19世紀の平らな地球主義者たちは、地球は動かず、重力はまったく存在しないと主張し、それぞれについて豊富な証拠を挙げていた。しかし、現代の平らな地球協会は、何の証拠もなしに、重力は存在し、平らな地球は宇宙空間を永遠に垂直にまっすぐ上に向かって伸びている円盤だと主張している。
2008年、私は次の本『アトランタ人の陰謀』の執筆を終え、出版した。この本には、地動説に関する全章と、NASAの月面着陸を非難する平地球派の言葉がいくつか含まれている。この時点で私は地動説を確信し、平らな地球の宇宙論に大きく傾いていた。当時、アレックス・ジョーンズは陰謀論界で最大の発言者であり、私はこの最も重要なテーマにもっと注目してもらおうと、拙著『The Atlantean Conspiracy(アトランタ人の陰謀)』とともに、ロウボーサム博士の著書『Earth Not a Globe(地球は球体ではない)』をインフォウォーズに送った。プロデューサーのロブ・デューは、アレックスに伝えておくとメッセージを返したが、それっきり二人からの連絡はなかった。しかし数週間後、アレックスがメッセージを受け取ったことは明らかだった。というのも、彼は笑いながらオンエアでこう言ったからだ。「私は平地恐怖症の人たちから、アトランタ人の陰謀だ(エリック・デュベイのウェブサイト)という事実を隠蔽しているという連絡を受けたんだ。」
これらの本を読んだ後、地球は本当に動かない平らな平面であり、ふらふらと回転する球ではないことが、疑いの余地なく明らかになった。ご想像の通り、私が研究し暴露してきた他のすべての陰謀でさえ、この特別な暴露は私の心を完全に揺さぶった。文字通り、考え得る限り最大かつ最も根本的な欺瞞であり、何世紀にもわたってほぼ全人類をうまく騙してきたのだ。私はすぐに、この嘘を世界に暴露する方法を見つけなければならないという信じられないような目に見えない重圧を肩に感じ、2014年11月にインターネット上でフラットアースの資料を最終的に爆発的に公開する計画を立て始めた。命の危険を感じた私は、『The Flat Earth Conspiracy』(邦題『フラットアースの陰謀』)の全著作を極秘裏に執筆し、『The Flat Earth Conspiracy』(邦題『フラットアースの陰謀』)のドキュメンタリーや初期のビデオ数本を執筆し、多くのラジオ・インタビューに応じたが、それは過去何年にもわたって私が作成し、編集してきたフラットアースの情報を一挙に大々的に発表するつもりだったからだ。私は何度か殺害予告を受けており、それをブログで紹介しているが、今のところ何もない。
2014年以来、私はこの最も重要な真実を広めるために、オリジナルの国際フラットアース研究会を再開し、何百本ものフラットアースのビデオを制作し、何十本ものインタビューを行い、さらに3冊のフラットアースの本を書き、3枚のフラットアースの音楽アルバムをリリースし、フラットアースの長編映画(LEVEL: The Movie)のナレーションを担当し、すべて無料で公開しています。その間に、私は40以上のビデオと3つのYouTubeチャンネル全体を禁止され、3つのFacebookアカウントを禁止され、LinkedInから永久追放され、CD Baby、BandCamp、TuneCoreから私の音楽を禁止され、すべてのストリーミングサービスから私の最初のアルバムを禁止され、PewTube、Reddit、VK、Icke Forums、Prison Planet Forums、AboveTopSecret Forumsから禁止され、私のウェブサイト、ブログ、IFERS全体をハッキングされ、削除された。幸いなことに、彼らはあきらめずに戻ってくる人を黙らせることはできない。私は、NWOが死ぬか私が死ぬまで、活動を決して止めないと誓った。
まだお読みでない方は、私のウェブサイトにあるリンクをたどって、私が紹介したすべての本やその他のメディアをご覧ください。もし誰もがこれらの古い本を読む時間をとれば、人類は一夜にしてこの欺瞞から目覚めるだろう。これらの本がどれも読まれず、学校で言及さえされないのは悲劇である。その代わりに子供たちは、無知な古代の祖先だけが地球が静止した平面だと信じるほど愚かだったという完全な確信とともに、太陽中心地球モデルを強制的に教え込まれるのだが、実際には真逆のことが真実であり、現代人がこれほど操りやすいものであることが露呈しているだけである。
2014年以来、私はこの最も重要な真実を広めるために、オリジナルの国際フラットアース研究会を再開し、何百本ものフラットアースのビデオを制作し、何十本ものインタビューを行い、さらに3冊のフラットアースの本を書き、3枚のフラットアースの音楽アルバムをリリースし、フラットアースの長編映画(LEVEL: The Movie)のナレーションを担当し、すべて無料で公開しています。その間に、私は40以上のビデオと3つのYouTubeチャンネル全体を禁止され、3つのFacebookアカウントを禁止され、LinkedInから永久追放され、CD Baby、BandCamp、TuneCoreから私の音楽を禁止され、すべてのストリーミングサービスから私の最初のアルバムを禁止され、PewTube、Reddit、VK、Icke Forums、Prison Planet Forums、AboveTopSecret Forumsから禁止され、私のウェブサイト、ブログ、IFERS全体をハッキングされ、削除された。幸いなことに、彼らはあきらめずに戻ってくる人を黙らせることはできない。私は、NWOが死ぬか私が死ぬまで、活動を決して止めないと誓った。
まだお読みでない方は、私のウェブサイトにあるリンクをたどって、私が紹介したすべての本やその他のメディアをご覧ください。もし誰もがこれらの古い本を読む時間をとれば、人類は一夜にしてこの欺瞞から目覚めるだろう。これらの本がどれも読まれず、学校で言及さえされないのは悲劇である。その代わりに子供たちは、無知な古代の祖先だけが地球が静止した平面だと信じるほど愚かだったという完全な確信とともに、太陽中心地球モデルを強制的に教え込まれるのだが、実際には真逆のことが真実であり、現代人がこれほど操りやすいものであることが露呈しているだけである。
なぜ平らな地球が重要なのか?
平らな地球についてよく聞かれる質問がある。それは、純粋な質問というよりも、むしろレトリック的であり、防御のための方便であり、頑固な地球儀擁護者たちが、それ以上この話題に関わることを完全に拒否するための最後の論点になりがちである。あなたがどのような答えを提示しようとも、あなたがどれほど明瞭で説得力のある反論をしようとも、この質問をした後、彼らはほとんどの場合、手を挙げ、真実の追求全体が無駄であると主張するだろうから。この「地球が平らなら何がどうなるというのか」とお決まりの返答と共に愚弄されるだろう。なぜ平らな地球が重要なのか?なぜ地球の形が重要なのか?それが私の人生にどんな違いをもたらすのか?そして彼らの典型例: 私はまた朝起きて仕事に行かなければならないのだから、なぜ気にしなければならないのか?球体擁護派がこの域に達すると、それは基本的に、宝くじに当たること以外は彼らにとって重要でないことを認める、万歳三唱の白旗全撤退降伏となる。なぜなら、そのような馬鹿げた前提条件を満たすことができるのは、文字通り宝くじだけだからだ。地球が平らであることが明らかになれば、一夜にして億万長者になれるというわけでもない。もしあなたの友人や家族が、あなたが彼らと話し合おうとした他の話題について、このように言ったとしたらどうだろう?例えば、あなたの配偶者が浮気をし、そのことを親友に話そうとしたら、"あなたが嘘をつかれたかどうかにかかわらず、私はまた朝起きて仕事に行かなければならないのだから、私には関係ない "と言われたとする。議論に値するために、誰かに雇用の必要性から解放されることを要求するのは絶対に失礼だし、完全に馬鹿げている。
では、なぜ地球の形が重要なのか?地球が平らな動かない平面であろうと、傾き、ぐらつき、回転する宇宙球であろうと、なぜ誰も気にする必要があるのだろうか?まず、決定的に重要なのは、形ではなく嘘である。太陽中心主義という嘘は、想像しうる限り最も陰湿な嘘の一つであり、人々の常識や生きた経験を根こそぎ奪い、証明されていない理論や専門家と思われる人たちの説明に置き換えてしまう。このような無意味な地球儀モデルを支持するために、子どもたちが幼い頃から自分の感覚の証拠を放棄するように教え込まれると、子どもたちの精神に分裂が起こり、もはや自分の感覚や経験を信じることができなくなり、その代わりに、認知された権威者が提示する、それとはまったく逆の情報を信じなければならなくなる。その結果、人類はプラトンの洞窟の寓話に出てくる奴隷のようになってしまったのだ。このような唯一無二の誤った宇宙観を教えることは、信じられないほど人を欺き、個人の力を奪うことになる。
一度、自分の感覚の証拠を信用できないと確信した子供は、それ以降、永遠にプラトンの洞窟の中に鎖でつながれることになる。外の世界をありのままに見ることができない子供は、プラトンの操り人形師が壁に投影した影を眺めるだけの人生を余儀なくされる。この誤った虚無主義的で唯物論的な宇宙論を絶対的な真理として教えることは、心理的トラウマを与え、精神的に荒廃させ、信者に物質世界を超えたものへの信仰を失わせる。その結果、創造と破壊の物語、オカルト預言者、予言がありながら、何の目的も崇高な力もない、まさに新しい世界宗教である科学主義のカルト的な信奉者が生まれた。いわゆる "科学者 "と呼ばれる人たちは、私たち初心者が盲目的に信じるしかないような高度な教育や説明を受け、新たな聖職者階級となっている。本来の生活基盤を根こそぎ奪われ、誤った方向性、依存性を与えられた人々は、どこへでも導かれる可能性があるのだ。
では、なぜ地球の形が重要なのか?繰り返すが、形ではなく、嘘なのだ。私たちがどこに住んでいるのか、どこから来たのか、という基本的かつ基礎的なことに関して、人類が5世紀もの間完全に騙されてきたという事実は、太陽中心地球モデルを人類史上最大かつ最も成功したデマとしている。何世代にもわたってほぼ全人類を欺き、人々の常識を奪い、周到に練られた嘘に置き換えることは、明らかに重大な問題である。それは、個人に対して行われる可能性のある最も心理的に破壊的なことのひとつであり、それを見抜くことは、生涯で最も明らかにされるべきことのひとつである。だから、そんなことに何の違いがあるのか、という愚かな質問をする人がいるのは、すでに極度の心理的歪みの兆候なのだ。真実を知ることがあなたの人生にとって重要でないとしたら、それはあなたの人生について何を意味するのだろうか?
フラットアースは、人生にスピリチュアルな次元を加え、常識を肯定し、批判的思考力を養い、実存的無気力を癒し、多くのでっち上げられた恐怖を和らげ、発見と冒険の精神を再燃させることで、多くの人々を根底から変える壮大な啓示である。このように、地球が平らであることの暴露は、全体的に有益であり、個人レベルでは多くの人々に真の変革をもたらすものである。しかし、それ以上に重要なのは、人類がこの重大な嘘を完全に暴き、最終的に嘘つきたちを根絶やしにすることに成功すれば、社会全体に有益な波及効果をもたらすということだ。回転する宇宙ボールのような地球が、500年にわたる欺瞞であったことがついに世界中に暴露されたとき、人類は突然、あらゆる政府、あらゆる宇宙機関、大学、宗教団体、主流メディア、オルタナティブ・メディアのすべてが、大衆から金を騙し取り、支配するためのとんでもない工作を後押しする二枚舌であったという現実に直面することになる。このような基本的な真実が暴かれると、嘘つきの政治家、報道官、記者、教師たちは、権威のある声として喝采を浴びていたのが、突然、嘲笑され、疎まれ、非難されるにふさわしい存在へと変貌する。これらの基本的な事実にひとたび気づけば、政府、大学、メディア、そしてこの多世代に渡る太陽中心主義神話を長い間懸命に紡いできたその他の絡み合った組織は、突然、そして完全に信用を失うことになる。その結果として、支配体制から精神的に大量に脱出することが、まさにこの時代に必要なことなのだ。
さらに、私たちの真の宇宙論が明らかになれば、この最も重要な現実をこの何百年もの間、私たちから隠し続けてきた少数のエリート一族や秘密結社の真実も明らかになる。本質的に、いったん地球平面の陰謀が暴かれれば、他のあらゆる重要な陰謀も相対的に暴かれる。なぜなら、このいわゆる「すべての陰謀の母」は、非常に多くの基本的かつ基礎的な事実を傘下に収め、それらを完全に暴露するからである。何世紀にもわたって、無知で非科学的な世界観であると嘲笑され、嘲笑されてきたこのテーマは、陰謀論の中でも最も奇抜なものであるはずだが、実際には、最も簡単に実証可能で体験的に証明されたものなのだ。何世紀にもわたって、無知で非科学的な世界観であると嘲笑され、嘲笑されてきたこのテーマは、陰謀論の中でも最も奇抜なものであるはずだが、実際には、最も簡単に実証可能で経験的に証明された現実の事実のひとつなのだ。人類がついに平らな地球の真実に目覚めるとき、それは正真正銘の啓蒙の新時代の到来であり、常識のルネサンスであり、私たちの中にいる欺瞞者たちを最終的かつ永遠に暴き、追放する機会なのだ。
では、なぜ地球の形が重要なのか?繰り返すが、形ではなく、嘘なのだ。私たちがどこに住んでいるのか、どこから来たのか、という基本的かつ基礎的なことに関して、人類が5世紀もの間完全に騙されてきたという事実は、太陽中心地球モデルを人類史上最大かつ最も成功したデマとしている。何世代にもわたってほぼ全人類を欺き、人々の常識を奪い、周到に練られた嘘に置き換えることは、明らかに重大な問題である。それは、個人に対して行われる可能性のある最も心理的に破壊的なことのひとつであり、それを見抜くことは、生涯で最も明らかにされるべきことのひとつである。だから、そんなことに何の違いがあるのか、という愚かな質問をする人がいるのは、すでに極度の心理的歪みの兆候なのだ。真実を知ることがあなたの人生にとって重要でないとしたら、それはあなたの人生について何を意味するのだろうか?
フラットアースは、人生にスピリチュアルな次元を加え、常識を肯定し、批判的思考力を養い、実存的無気力を癒し、多くのでっち上げられた恐怖を和らげ、発見と冒険の精神を再燃させることで、多くの人々を根底から変える壮大な啓示である。このように、地球が平らであることの暴露は、全体的に有益であり、個人レベルでは多くの人々に真の変革をもたらすものである。しかし、それ以上に重要なのは、人類がこの重大な嘘を完全に暴き、最終的に嘘つきたちを根絶やしにすることに成功すれば、社会全体に有益な波及効果をもたらすということだ。回転する宇宙ボールのような地球が、500年にわたる欺瞞であったことがついに世界中に暴露されたとき、人類は突然、あらゆる政府、あらゆる宇宙機関、大学、宗教団体、主流メディア、オルタナティブ・メディアのすべてが、大衆から金を騙し取り、支配するためのとんでもない工作を後押しする二枚舌であったという現実に直面することになる。このような基本的な真実が暴かれると、嘘つきの政治家、報道官、記者、教師たちは、権威のある声として喝采を浴びていたのが、突然、嘲笑され、疎まれ、非難されるにふさわしい存在へと変貌する。これらの基本的な事実にひとたび気づけば、政府、大学、メディア、そしてこの多世代に渡る太陽中心主義神話を長い間懸命に紡いできたその他の絡み合った組織は、突然、そして完全に信用を失うことになる。その結果として、支配体制から精神的に大量に脱出することが、まさにこの時代に必要なことなのだ。
さらに、私たちの真の宇宙論が明らかになれば、この最も重要な現実をこの何百年もの間、私たちから隠し続けてきた少数のエリート一族や秘密結社の真実も明らかになる。本質的に、いったん地球平面の陰謀が暴かれれば、他のあらゆる重要な陰謀も相対的に暴かれる。なぜなら、このいわゆる「すべての陰謀の母」は、非常に多くの基本的かつ基礎的な事実を傘下に収め、それらを完全に暴露するからである。何世紀にもわたって、無知で非科学的な世界観であると嘲笑され、嘲笑されてきたこのテーマは、陰謀論の中でも最も奇抜なものであるはずだが、実際には、最も簡単に実証可能で体験的に証明されたものなのだ。何世紀にもわたって、無知で非科学的な世界観であると嘲笑され、嘲笑されてきたこのテーマは、陰謀論の中でも最も奇抜なものであるはずだが、実際には、最も簡単に実証可能で経験的に証明された現実の事実のひとつなのだ。人類がついに平らな地球の真実に目覚めるとき、それは正真正銘の啓蒙の新時代の到来であり、常識のルネサンスであり、私たちの中にいる欺瞞者たちを最終的かつ永遠に暴き、追放する機会なのだ。