以下は、異教徒が神から夢や警告を受けるケースを、聖書の時系列(おおよその出来事の順序)に従って並べたものです。聖書の出来事の時期は厳密ではない場合もありますが、概ね以下の順序になります。 GLOCKに聞いて一覧を出しました。
異邦人がヤフワ神から夢を与えられるケース
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アビメレク(創世記20:1-18) 時期: アブラハム時代(紀元前2000年頃、族長時代)
ゲラルの王アビメレクは、アブラハムの妻サラを娶ろうとしますが、夢の中で神から「彼女は人妻だ」と警告を受け、サラを返す(創世記20:3-7)。
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ラバン(創世記31:24) 時期: ヤコブ時代(紀元前1900年頃、族長時代後期)
ヤコブの舅ラバンは、ヤコブを追う途中、夢で神から「ヤコブに害を加えるな」と警告される。これによりラバンはヤコブと和平を結ぶ(創世記31:29)。
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バラム(民数記22章-24章) 時期: 出エジプト後の荒野時代(紀元前1400年頃)
モアブの王バラクに雇われた占い師バラムは、イスラエルを呪うよう依頼されるが、神が夢や幻(特にロバの奇跡)を通じて介入。バラムはイスラエルを祝福する(民数記23:7-10など)。
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東方の占星術者(マタイ2:1-12) 時期: イエス誕生時(紀元前6-4年頃)
東方から来た占星術者(博士たち)は、星に導かれてイエスを拝し、夢で神から「ヘロデ王のもとに帰るな」と警告を受け、別の道で帰国する(マタイ2:12)。
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ピラトの妻(マタイ27:19) 時期: イエスの裁判時(紀元30年頃)
ローマ総督ピラトの妻は、夢でイエスの無実を示され、夫に「その正しい人に手を出さないで」と警告する。彼女は異教徒(ローマ人)とされる。
一方で、夢を見て予言する占い師や霊媒師等の現代でいう超能力者に気をつけろと神の律法は警告してもいます。それらの科学で解明できない超常現象が確認される現実は、霊力が存在することを物語っているのであり、軽視できるものではないでしょう。とはいえ、今まで当たっていてもその後の2025年の七月を外すとたつきりょうが聖書の神や2028年再臨と無関係なイカサマ偽予言者と判明します。2028年人類六千年目を暗示している聖書とたつきりょうは別物ですから、2025年七月大津波が外れても2028年再臨も来ないことにはなりません。
申命記 13:1-3 「あなたたちの間に預言者や夢を見る者が現れ、しるしや不思議を告げ、それが実現したとしても、もし彼が『我々に従わず、ほかの神々に従い、それに仕えよう』と言うなら、その預言者や夢を見る者の言うことに耳を貸してはならない。あなたたちの神、主はあなたたちを試みて、あなたたちが心と魂を尽くして主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。」
申命記 18:10-12 「あなたの中には、子を火に焼いてささげる者、占いをする者、卜者、呪術者、魔法使い、呪文を唱える者、霊媒をする者、死霊を呼び出す者があってはならない。これらのことを行う者はすべて、主にとって忌まわしい者だからである。」
メディアで報道され周知の事実となった場合
このことからも確かに異教徒や占い師でも関係なく神からの警告や夢を受ける可能性はあります。しかし、たつき諒さんは何やらご自身のことをサイババの生まれ変わりとしての娘と名乗ったこともあると言われてます。それは流石に知性を感じさせない妄言や虚言でしょうから、夢で見た予言の信ぴょう性を低める要因になります。
また、大々的にメディアでも「根拠のないたつきりょうさんの夢の自伝出版漫画本を読んでそれを信じている台湾人が日本への訪問を控えていることから航空便を閉鎖した」と報道されているので、2025年七月に何も生じない可能性も高いでしょう。そうすると、「やっぱり予言なんて当たるもんじゃないよ」と決めつけて聖書預言の再臨の布告においても信ぴょう性が無いものとみなす風潮が蔓延していくことになるでしょう。一方でそれが勃発すると、人々は希望の音信を求めるようになりますので、2028年再臨説の需要が増すことになります。
たつきりょうさんの夢が聖書の神からか悪魔からなのかの判断の議論をするより、どちらに転んでも平静さを保つことができるようにあらゆるパターンを想定しておくことが賢明と言えます。聖書的には悪魔サタンは人々の魂が救われることを妨害していますので、災害が生じて人々が神を求め始めるシナリオに誘導するよりかは、邪悪な人々が大規模過ぎる大地震を経験せず一緒くたに死なずに最期まで生き延びる状況下を作り出すかもしれません。
自己顕示欲や嫉妬等の悪い霊を纏った大言壮語をする邪悪な人々は再臨時まで平凡な生活をしてることが聖句から読み取れますので、普段通りの生活をしているのでしょう。つまり、2025年七月の大規模な津波は来ない可能性があります。
ルカ 17:26-30 「ノアの時代にあったように、人の子の日にもそのようになる。ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が来て、みな滅ぼしてしまった。また、ロトの時代にもそのようであった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていた。しかし、ロトがソドムを出た日に、天から火と硫黄が降ってきて、みな滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、そのようになる。」
ペトロ第二 3:3-7 「まず、次のことを知っておきなさい。終りの時には、嘲る者たちが現れて、自分の欲に従って歩み、嘲りながら言うでしょう。『主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠った後も、すべてのものは創造の初めから変わっていないではないか。』…しかし、彼らは故意に忘れているのです。…現在の天と地とは、同じみことばによって、火に焼かれるために保たれており、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで、取って置かれているのです。」
人々が日常生活を営むこと自体を非とするのではなく、利己的に自分たちと周囲の幸福のみを追求し他者を気に留めない邪悪な性質を宿す者たちが滅びの対象となることを福音書は明記しています。結婚することも食べ飲みすることも人間の自然な営みですからそれ自体が悪いものではありませんが、己の生存本能と快楽だけを追求する人々はやはり多いでしょう。それらは再臨時に残念ながら滅びることになります。
一方で神の民は既に何らかの艱難を通っています。世界中の至る箇所にて紛争も地震も勃発しており、 善良な人々は国籍問わず大艱難の最中を生きています。逆に今が艱難と認識できない人々は恐らく滅びる側の利己的な山羊と言えるでしょう。